第5話 宿題の仕上げへ1 

 2021年10月1日(金) 岡山駅前の某カフェにて


「米河さん、ご無沙汰しております。賀来です」

 改まった口調で、黒縁眼鏡の中年紳士、と言っても50歳を幾分回っているスーツ姿の男性が、これまたスーツ姿で蝶ネクタイにヒョウ柄のセルロイド丸眼鏡の同年配の紳士に声をかけた。 すでに腰かけてアイスコーヒーを飲んでいる紳士のもとに、後から来た同年配の紳士の座るテーブルの向かい側手に腰掛けた。

「あ、賀来さんですね。お久しぶりです」


「そういえば、3か月ぶりだな。日高先生の宿題、やったのか?」

「コロちゃん(新型コロナウイルス)のおかげでまだやけど、来週お会いすることになった。まあしっかし、すごいことになりそうやで」

 日高先生の「宿題」というのは、元くすのき学園児童指導員の日高淳氏が3カ月前に米河氏らに渡した、元保母の手記のこと。これを読んで、その元保母さんと元児童の男性に会えという話。小説家の米河氏にしてみれば、それは単なる第三者としての立合というよりもむしろ、取材の要素の強い「仕事」である。

「何がそんなにすごいことになるって?」

「何って、あんた、決まっとるやないか。母親と息子が生き別れて、42年ぶりの再会やで。これがすごくないわけないだろう。ただ、実の母子というわけではないけどな。賀来ちゃんも読んだだろ、あの文章」

「確かに読んだ。うん。読んだよ。でもなぁ、そういうの、「親子」っていうのか? 疑念と言ったら語弊があるけど、何だか、不思議な世界だな。当時24歳の保母と3歳の男の子。21歳ぐらいで子どもを産む人もいないわけじゃないから、年齢差という点においては確かに、「親子」であっても不思議じゃない。現に米ちゃんとこの御両親がそのくらいの年齢差だよな。とはいえ、その二人の置かれた場所とか関係が、何とも言えんな。下山さんだっけ、まあその、くすのき学園という養護施設の保母だった当時の中元「先生」にしてみれば、来るべき子育ての予行を、給料をもらって毎日の食事をいただきながらできたのは確かだ。小田英一君って子にしてみれば、どうかな。幼少期の本当に物心もついていない頃に自分の身の回りで起きていたことなのだろうけど、大人になってそんなこと言われても、寝耳に水というか、その人が自分の「母親」みたいな役割をしてくれていたなんてこと、わかりようもないだろなぁ。今の小田英一さんは、何歳になる?」

「1978年9月時点で3歳って記述があったから、おそらく1975年生れ。今生きていれば、って、人を殺しちゃいかんが、今は46歳ってことになる。わしらの学年が今年度で52歳だから、わしらよりはおおむね6才程度若い、ってことになる」

「で、米ちゃん、今の小田さんは、何をされているのか分かったのかい?」

「日高さんに前お会いしたときにお聞きしたらだな、岡山県庁の教育関連部署にお勤めらしい。3歳下に弟さんがいて、今は大阪で弁護士をしている。どっちも、O大の出身だそうな。英一さんは経済で、弟の真二さんは法科だそうな。ま、わしの後輩ってことになるわな。中学までは普通に公立で、高校はどちらも県立A高校だから、中学はともかく、高校は賀来ちゃんの後輩ということになる」

「この年齢に及んで、今さらなことではあるけど、そういう話になったら、初対面でもお互い話も進むわな。高校はぼくのほうで大学が米ちゃんのほうの後輩だね、お二人とも。ま、だからと言ってぼくらが今さら、先輩面できるわけでもないが」

「それもそうや」


 彼らはアイス珈琲を飲み終え、立飲みの店に移動することにした。10月になったとはいえ、日中の最高気温は30度にも至っているから、やっぱり、暑い。

「ちょっと迂回になるが、まずはあの立飲みに寄って行こう」

「そうするか。前回はおごられたから、今回はぼくが出そうか?」

「いやいや、いいって。割り勘で行こう」


 彼らは岡山駅方面に向かって歩いていき、パチンコ屋と商店街横に挟まれた路地に入った。現在の時刻は17時40分。まだ、外は暗くない。

 立飲みの店の看板の文字が、路地の西側と東側のどちらからも見える。これまで約2カ月近く、緊急事態宣言とまん延防止重点対策のおかげで、岡山県は飲食店での飲酒が全面的に禁止されていた。この店は当年とって80歳前後の老夫婦が切盛している店。彼らの年齢に近い息子さんと娘さんがいるが、既に独立されていて、今は老夫婦だけの家。店は1階にあり、2階から4階へと階段を上っていけば、老夫婦の自宅がある。


「お久しぶりです」

 丸眼鏡の紳士が、親ほどの、と言っても両親がともに20代前半のときに生れたこともあって、親より幾分年長の女性店主に挨拶する。

「では、本日も、信念をもって・・・」

 かくして彼が、まずは大瓶のビールを注文する。

「あ、ぼくも、ラガーの大瓶を。こいつみたいな「信念」はないですけど(苦笑)」

 黒縁眼鏡の紳士も、自らの注文を述べた。

「はいはい、信念でも何でもええけど、ちょっと待ってナー」

 店主が、瓶ビールを2本とグラス2つを持ってきて、それから順次、ビール瓶の栓を抜いた。中年紳士たちはそれぞれ、ビールを自らグラスに注いで、軽く乾杯。

「しかし、久しぶりじゃなあ。あんた、ちょっとやせてきたのと違う?」

「ええまあ、その、無茶食いはやめましたし、飲み放題も控えていますから。そうそう、昨日久々に仕立ての店に行きましてね、スーツの採寸をしましたら、3年前に比べて、確実にやせておりましたよ」

「で、あんた、またダブル二つ掛けのスーツかな?」

「ええ。黒地で。さすがに、太ったときのこと考えて、緩めにしてもらいましたよ」

「まあ、そのほうがええ(苦笑)。それにあんた、ダブルじゃから、それで着られんようになったら「フウガワリイ」でぇ~(爆笑)」


 常連客と店主の会話に、常連客の幼馴染が割って入る。

「そう言われてみれば、米ちゃん、確かにこのところ痩せてきたように思うな。いいトシしてプリキュアやめろと言っても無理だろうけど、何ですか、こいつ、考えていないようであれこれ考えているなとは、傍で見て、思わんこともないですね」

「そこでプリキュア、出すか?」

「あれだけネットで叫んでおいて、今さら出すなもなかろうに(苦笑)」


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