第3話 蒼いフォトグラフの実態

 先程の女性店員が、再び銀のポットを持ってやってきた。おかわりの打診である。黒い液体が、それぞれのカップに注がれた。

 用を済ませると、彼女は一礼して去った。


「賀来ちゃん、松田聖子の歌で「蒼いフォトグラフ」っていうの、ご存知か?」

 ブラックコーヒーを飲みながら、丸眼鏡の作家が四角眼鏡の同級生に尋ねた。

「聞いたことあるから知っているよ」

「歌詞をこのタブレットで検索するから、改めてじっくり読んでごらんなさいな」


 こいつまた、松田聖子で例えか。まあ、付合ってみるか。賀来氏は覚悟を決めた模様。

 米河氏にタブレットを手渡されたので、熱心に彼の提示したサイトの文字を追う。


「米ちゃん、これ、若い恋人同士の歌だろ。違うか?」

「確かにそのとおり。松田聖子に限らず、あの頃のアイドルの歌、皆そんなものや。だけどな、君の話を聞いていて、わしなぁ、この歌の歌詞を思い出すのよ」

「ぼくとまどか、父と娘の関係を、この歌に「代入」して解釈できるってことか?」

「そのとおり。今どきの写真はセピア色に色あせたりしないし、きれいに補正できもしよう。だがまあ、そんなことが問題ではない。次に好きになる人には「ピュアに愛せない」っていう文句があるが、父娘の関係というのは、対等な男女の関係以上にピュアな愛の要素が入るからこそ、わしの解釈は成立しうるものであると、申し添えておこう」


 タブレットをしばらくじっと眺めていた紳士は、改めて黒い液体と水を交互にすすり、タブレットを相手に返した後、鞄から1枚の写真を取出して、語り始めた。


「これ、まどかが2歳の頃の写真だ。横が妻ね。2006年に北海道に行ったとき。あの頃まだぎりぎり、ブルートレインもあったでしょ。これは北斗星の食堂車。ウエイトレスに撮ってもらったよ。O大鉄研に小学生でスカウトされた誰かみたいに、帰りはトワイライトエクスプレスなんて真似はしなかった。うちはさすがに飛行機にしたぞ」

 同級生の家族写真を、対手の作家がじっくりと分析しつつ見入る。

「いちいち引合いに出されるのも正直かなわんが、まあ、ええわい。この写真だが、背景の内装からして確かに北斗星や。食堂車に行って何やら食べたことなんか、娘さんは覚えていないかもね。でもまあ、この頃はかわいい盛りだったろう」


「うん。ところでこの写真、一度も破ってないし、テープで貼ってもないだろ?」

「君は物理的かつ皮相的な論点でかみつくのか?」

 この表現、確かにこいつらしい攻め口上だな。賀来氏はそう感じた。

「そうじゃない。確かに物理的には破られてもないし、テープで「補正」もしていない。だけど、この頃の思い出、ぼくはこの数年来、何度か破って、その度にテープで貼って補正するような真似をして来たのではないかって、今ふと、そんなことを思ったのよ」


 さあ、こいつ、どんな反撃をしてくるだろうか?


「それが、あなたの親としての成長の証じゃないか。それとパラレルな関係において、奥さんの母親としての、まどかさんの娘としての成長があるってことだ」

 なるほど。そういう手で来たか。

「まどかの友人たちの中には、よその国どころか、別の星から来た子もいるのよ。公務員時代に扱った事例だからな、国家公務員法上の守秘義務もあるものでね、そこはあまり大っぴらには言えない話だけどな。なんとか星から来た、まどかより1つ年下のララとかいう女の子でねぇ。他にも、ラテンアメリカのスペイン移民系の父親と日本人の花のハーフで、同級生のエレナって子もいる。まあ、Z君が短期里親制度でお世話になっていた増本さんってお宅のお父さんじゃないけど、ラテン系の感覚が好きになれないというのが、ぼくにもあってね。何だ、良く言えば明るい、悪く言えば、まあやめとくけど、そういう感覚は、どうも馴染めんのよ。そういうきらいは割引いてもらうとしても、わざわざ、そんな子らと付合ってもしょうがないだろうと、まどかが中学生の頃は思っていた。ぼくの思いと裏腹に、今もみんな、相も変わらず仲良くしているようでな。まあええけど」


 こういうことはおそらく、彼は批判的なことを述べるに違いない。

「彼女らの特性をわざわざ聞き出す気もないし、そのララさんだっけ、出自が他国人か他星人か知らんが、それにラテン系の白人と日本人のハーフの子ね、その子らも含めて、まどかさんの友人たちと付合いっているのは、やね、わしが小学生の頃こっそりベストテンを観ていたのと一緒。その仲間たちとしての感覚としては、ズバリ、こうや。賀来博史さんは、まどかさんにとって、よつ葉園の職員みたいな立ち位置の大人の一人であって、たまたま実の父親である。それだけのことや」


 彼の論理は、いつもこの手。情緒論が通じず、妙に客観性の高い言い方をしてくる。だが、その客観性というものの基準が、自分とはどうもずれている。それはおそらく、彼の幼少期からの経験の積み重ねが、そうさせているのだろう。


「ぼくは夜中のよつ葉園を見回る保育士と一緒かよ。なんだか、な・・・」

「そう。当時は「保育士」じゃなくて、「保母」だった。もっと言えば当時は「養護施設」であって、「児童養護施設」じゃなかったからな」

「ところで君も、法令の言葉をとらえて皮相的なかみつきをしていないか?」

 先程の返礼とばかり、賀来氏はブーメランを対手の米河氏に返した。

「ま、まあね。それはともあれ、子どもは成長していくにつれ、そうして秘密をもって生きていく術を学んでいくのよ。親の知らない世界の秘密をね。君らが行政文書を開示請求されて出す、あの黒塗りのいわゆる「のり弁」文書があるだろ。まどかさんも君も、実は今、その「のり弁」を父娘で互いに出し合っているようなもの。それでもなお君とまどかさんの関係が深まるとするなら、それは、君が単に父親としてではなく、賀来博史という一人の人間として賀来まどかさんという若い女性から尊敬されるときだ。君の課題は、単なる生物学的父親から、社会的な第三の親になれるかということや」


 彼らは、それぞれのカップにあるコーヒーの残りを飲み干した。


「生物学上の父親から社会的な意味での親になるべきだと、言いたいのか?」

「そのとおり。家父長制か家制度か何か知らんが、君が父親として娘を支配するような対応は、必ずどこかで破綻する。それがいつどのような形かまでは予言できんけどね」

「金属バットとかゲバ棒とか鉄パイプとか鉄アレイは、さすがにないと思うけどな」

「税金はともかく、わしの特製セリフまで奪うな(苦笑)!」

「なんだ、結局、そのネタに走るつもりだったのかよ?」

「いやあ、実は、な(わっはっは)。まあ冗談はそこまでで、だな、いずれにせよ、相手を何がしかの力でもって極力思い通りにしようとしたら、必ず破綻するからな、しつこいけど。岡山県北で戦前にあったでしょ、あの事件。あの青年が岡山一中に来て学んでおったら、わしゃあ、確実に世のため人のためになる人材になったと思うで」


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