エピローグ

エピローグ


 うららかな春の日。正午過ぎ。


「ソファ、ここでいいかな?」


「ん~。それはこっちの方がいいような気がする。風水的にも」


「え? 風水、詳しかったっけ?」


「ただの勘だけど?」


「勘で風水を語らないでよ」


 出会ってから七年が経つけれど、僕の彼女は相変わらずだ。


 高校を卒業して、僕は地元の私立大学の理学部に、梓帆しほは東北にある国立大学の外国語学部に入学した。遠距離恋愛になったけれど、ゴールデンウィークやお盆、年末年始の休みには会うようにしていた。彼女が戻ってくることもあったし、僕が東北に行くこともあった。


 無事に就職が決まり、二人とも職場が関東になった僕たちは、二人の職場の中間地点で、少し広めのマンションを借りた。


 今日からここで、二人で暮らすことになっている。


 家具は運び終わり、あとはしかるべき場所に設置するだけなのだが、それがなかなか重労働だと、作業を始めてから気づく。


「つっ……かれた~」


 梓帆は指を組み、手のひらを上に向けて、ぐぐぐぐっと伸びをする。


「ちょっと休憩しようか」


「する~」


 僕がソファに腰を下ろすと、梓帆も隣にぽすんと座ってくる。


 彼女のウェーブがかかった髪から、柑橘系の香りが漂ってきた。


「それにしても、結構広いね」


「ね。ホームパーティとかできるかも」


 梓帆は目を輝かせる。


「ホームパーティ? なんでいきなり?」


 きっと、なんとなく憧れて~というレベルの思い付きで言っているだけで、深い意味はないのだと思う。


「昨日の職場の部署の歓迎会で、先輩がホームパーティやるとか言ってて。いいな~って」


「やっぱり……」


 実現する可能性は低そうだ。


「ん? なんか言った?」


「何も。で、誰を呼ぶの?」


「う~ん。まーくんが知ってて私が呼べそうな人だと、佳月かづきくらいかな」


「懐かしいね。今年から大学院だっけ?」


 小野屋おのやさんは、生物系の学科で研究を頑張っているというようなことを、頻繁に梓帆から聞かされていた。


「そうだよ。佳月はすごいんだから」


 梓帆はまるで自分のことのように、誇らしげに言った。


「でも、三人じゃパーティ感がないよ」


「じゃあ、そっちも日野ひのくん呼んでよ」


「ああ。それもいいかもね」


 僕も脩平しゅうへいとはまだ連絡を取り合っている。


 脩平は、一年だけ浪人したものの、日本でも指折りの難関大学に合格を果たした。


 交際していた年上の彼女に見合うような男になりたいから、という動機がいささか不純であるように思うが、つくづく愛の力みたいなものはすごいな、とも思う。すごいのは脩平の方かもしれないけど。


 浪人とはいえ、国内トップレベルの大学への進学者は、紫桜しおう高校としては一年に一人いるかいないかくらい。高三のときの担任からは、後輩に勉強の方法を教えてやってほしいと小さな講演の依頼も来たという。


 四年生に進級した今も、厳しめのゼミで洗礼を受けつつ、必死に勉学に励んでいるらしい。


 すでに就職している交際相手とも順調で、たまに愚痴だかのろけだかわからない近況報告をしてくる。


「ていうか別に、高校の人に限定しなくてもいいんじゃない? 大学のときの友達とか連れて来てさ」


「大学の友達かぁ」


 僕は遠くに視線を向ける。


「もしかして、友達いないの?」


「大学は友達を作るところじゃなくて、勉強するところだし」


「まーくん……。なんか、ごめんね」


「余計みじめになるから謝らないでほしかったな。っていうか、ホームパーティするなら、その呼び方やめてよ。恥ずかしいから」


「善処します」


「意図的に呼んでやろうって顔してる」


「バレたか」


「僕もしほりんって呼んでやろうか」


「それ、恥ずかしいのはまーくんだけだと思うな」


 と、梓帆は嬉しそうに笑う。


「ぐ……」


 悔しいけどその通りだ。


「あ、そうだ。有華ゆうかちゃんは?」


「あいつは僕が呼んでも来ないだろうなぁ」


 有華は現在、大学三年生で、体育会系の部活でバスケットボールを続けている。


 高校では私立高校の進学クラスに合格しながらも、推薦で入学したような選手たちのいる部活でレギュラーの座を勝ち取り、インターハイに出場した。その上、プロチームからのスカウトも受けていた。運動はからっきしダメな僕と、本当に血がつながっているのだろうか。疑わしくなってくる。


 バスケットボールの指導者を目指すことに決めたようで、大学ではスポーツ科学を専攻している。


 ちなみに、中学三年生のときに付き合い始めた彼氏とは、僕が見た数字のとおり、高校一年生の夏ごろに破局した。その出来事がきっかけで、より部活に打ち込むようになったらしい。母がそう言っていた。


 それからの恋愛事情はよく知らないが、今はとにかく生き生きしている。


「え~。頑張ってよお兄ちゃん」


「梓帆が呼べば一発だと思うけど」


「そうかなぁ」


 有華は、とても梓帆になついている。


 去年のゴールデンウィークに、梓帆のことを家族にも紹介した。


 有華は梓帆のことをすぐに気に入り、ことあるごとに『梓帆ちゃんのこと、絶っっっっっ対に逃しちゃダメだからね。あんな素敵な人、他にいないよ』と、殺気を込めた瞳で僕を射抜いてくる。有華に言われずとも、そんなことは僕が一番わかっている。結局、似た者同士の兄妹ということだろうか。


「あー、そうだ。カーテンはどうする? 一応、お店で候補は探してきたんだけど……」


 僕はスマホを取り出して、ホームセンターで撮影したカーテンの画像を表示する。


 大抵の生活必需品は揃っていたが、カーテンについては、僕も梓帆もすっかり見落としていた。明日買いに行くことになっている。


「え~。ちゃんと遮光できればなんでもいいんじゃない。結局、全部布でしょ?」


 そう言いつつも、身体を寄せて画面をのぞき込んでくる。柑橘系の爽やかな香りが、より強く鼻腔をくすぐった。


 購入するカーテンも決まり、適当にインテリアのサイトを眺めること約二十分。


「よし。そろそろ続きやろうか」


「そだね」


 二人でソファから立ち上がる。腰を壊さないようにと前屈する僕の隣。梓帆は嬉しそうな表情で、部屋全体を見回すように、ゆっくりと一回転する。


 僕もつられて部屋を眺める。積み上がった段ボール。まっさらな壁。中身の入っていないクローゼット。


「どうかした?」


「今日から、ここが私たちの家になるんだね」


「賃貸だけどね」


 僕の給料がもう少し高ければ、ローンを組んで家を購入することもできたのだが……。


「もぉ~。情緒がないな~」


 梓帆は、わざとらしく頬を膨らませて抗議する。


「カーテンのことを布ってひとまとめにした人に言われたくないんだけど」


「それはそれ。これはこれ」


「はいはい。そうですか」


「ほら、無駄話してないで、片付けやるよ~」


 彼女はそう言うと新しい段ボールを開封し、中に入っていた漫画本を「うっわ、懐かしすぎる~」などと言いながらパラパラめくり始める。


「自由だなぁ」


 ようやく荷物の整理がひと区切りついて、どうにか生活できるだけの環境は整った。


 時刻は夕方の四時を回っている。


「ここら辺に何があるかも知りたいし、ちょっと散歩でもしない?」


「する!」


 僕が提案すると、梓帆はすぐに乗ってきた。


 僕たちは「コンビニがやたら多いね」とか「あのラーメン屋、美味しそう。絶対行こう! 週一で!」とか「この坂、段ボールに乗って滑ったら楽しそう」「梓帆が言うと本気でやりそうで怖いんだけど」とか、そういうとりとめのない話をしながら、これからの自分たちの生活圏内を歩く。


「この道、飲食店ばっかだね。見てたらお腹空いてきた~」


「じゃあ、そろそろ帰ろっか」


 夜ご飯は買ってあった冷凍食品の予定だ。ご飯さえ炊けば、あとは電子レンジで解凍してすぐに食べられる。荷ほどきが落ち着いたら、ちゃんと料理もする予定だ。


 来た道とは別の道を選び、家に向かう。家の近くには車の通りの多い道路があって、歩道橋が設置されていた。


 僕たちはそっと手をつなぎながら、歩道橋を渡る。


 西の方角に、夕焼けが見えた。


 梓帆と出会った日のことを思い出す。


 僕が彼女と初めて会ったのも、今日みたいな、淡い夕焼けが綺麗な日だった。


 それから、梓帆のことを好きになって。


 一度、失恋して、それでもまだ好きで。


 やっと届いたと思ったら、運命は残酷で。


 未熟な僕は、梓帆に悲しい思いをさせてしまったけれど。


 今はこうして隣を歩くことができている。


 例の不思議な現象はまだあって、やっぱり眠いときにふと他人の数字が見えたりするけれど、昔みたいに意識して見るようなことはもうなくなった。


 今、梓帆の頭上の数字を見ようとすれば、きっと素敵な未来が約束されているのだろう。


 でも、数字が見えないのならば、それは永遠ということになるのではないか。


 最近はそんなことも思っている。


 だから――。


「梓帆」


「ん? どうしたの?」


「これからもずっと、一緒にいてほしい。結婚しよう」


 君との終わりは見えなくていい。

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君との終わりは見えなくていい 蒼山皆水 @aoyama

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