自我の発露

「では、私はこれにて失礼します」

「ご苦労」

 ツァラヌ男爵から文を預かった行商は、二日程の道筋を経て到着した。

 そして、所属する商業系ギルドの纏め役にその文を渡し、その文を渡された纏め役はフロレスク伯爵邸にて、預かった文をフロレスク伯爵に渡し退出していった。

 此処はフロレスク家当代当主ラドゥ・フロレスク伯爵が治める地、周辺に存在する地域に、魔法で浄化された水を提供する為の水路の始点が存在し、その始点を管理している者達が住まう水の都市スプレ・ク・ラウ。

 数多の魔法使いを要する魔法都市としての側面も併せ持つ、スードヴェス王国スードヴェス王領の要である。

 そんな重要な都市を治めているフロレスク伯爵の元に届けられた文。

 伯爵はそこに記された文面を読むと、子飼いの密偵を統率する長を呼び出すハンドサインを出した。

 そのサインを見届けた長は何処からともなく現れ、伯爵へと会釈をしつつ声を掛ける。

「何で御座いましょう」

「まずはこれを読め」

「拝借致します」

 文面を流し読みする長、そこに書かれているものを一枚の絵として憶えた後、読むのでは無く情報としてそれを理解する。

「如何様になさいますか?」

「能力は欲しい…が、表だって登用する事は出来ん。

 秘密裏にこの場に召喚せよ」

「御意に」

 短い遣り取りの後、来たとき同様に何処へとも知れずに姿を消した長。

 それを特段に意識する事無く、フロレスク伯爵は通常の政務を執り行う。


 実に穏やかな日々をマドカは送っていた。

 だが、これがいつまでも続くものでは無いと実感もしていた。

 村人達から近辺の風土風俗の聞き取りに、実際に足を運び植物のデッサンをしたり、採取を行い魔法の鞄へとしまい込んだり。

 知見を広げる為の行動を行う合間に、男爵の息子に稽古を付けたりと充実した日常を送っていた。

 その中で、マドカは自身に与えられたこの身体と、この身体がここに至るまでに行ってきた事柄―自分自身のものでは無い誰とも知らない記憶―にどの様に対処するべきかを考えていた。


 この与えられた身体は元は別の人格が宿っていたようだ。

 問題はその元の人格が過去に行ってきた様々な行為が、どう考えても異常としか言いようがないものばかりだった。

 そして、私自身それを異常と認識しながらも、その行為自体に対して忌避感をまったく憶える事が出来なかった、むしろ嬉々としてそれらの行為…実験を継続して行いたいと思っている。

 さて、ではどうしたものかと思い行動に移した。

 まずは実力者と渡りを着ける事。

 過去の誰かが行ってきた様々な実験の内、理解出来るもので且つ権力者サイドに立つ者が興味を持ちそうなものを、いくつかピックアップしてツァラヌ男爵へと話してみた。

 男爵はその話を聞くと、寄親であるフロレスク伯爵に伺いを立てると言ってくれた。

 後は、その伯爵がどの様な判断をし行動を取るか…だ。

 私が求める知識の探求の為には隠れ蓑となる権力を保持した存在が必要不可欠。

 なぜ、前の人格がこれに気付かずに行わなかったのか不思議に思えるものだが、実際にはそのパトロンと呼ぶべき存在である権力者に、介入されること自体を忌避したのだろう。

 だが、私はそうではない。

 この素晴らしい知識を、技術をさらに昇華させ発展させる為ならば、権力者に利用され利用する関係性を築くことを躊躇う必要を感じないからだ。

 私はこの結論に達したとき、この場所…世界に転生させられた目的というものが見えた気がした。

 そう、この数多ある知識や技術の中に、あの存在が求めるものがあったのだろうという推測だ。

 ふっ…だが、それと同時に自らの浅ましさも嘲笑ものだ。

 自らの持つ価値観。

 それに相反するような様々な実験を、他者の思惑というもので塗り替えてしまう自分自身の愚かさの滑稽さには笑うしか無い。

 だが、それでも、この衝動は止められない、止めるつもりもない。

 いつか素晴らしい倫理を振りかざされて私は断罪されるだろう。

 それがどうか生きている内ではなく、私が死んだ後、後世の歴史家の誰かであって欲しいものだ。

 そして、そうなるようこれから足掻こう。


 技術の進歩に必要な物、それは熱意か?正義感か?

 そういったポジティブな感情も必要だろう。

 だが、それだけでは足りない。

 必要なのは狂気だ。

 人が積み上げてきた倫理観。

 理由なく信じるべきものだとされる状態までに練り上げてきた価値観を、微塵も考慮に入れることなく行動を起こせる狂気。

 マドカは、只人では考えもつかない程の、言葉に出来ない程のナニカをその心の奥底に持っていた。

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