第7話 瓜二つ

 そこには、見知っている顔があった。

 透明な水槽の中で、栄養を供給されている彼女は、いろいろな成長段階があるようで、様々な姿の彼女がそこには存在していた。

中には、皮を剥いで、展開図にしたものまで。異様な光景に吐き気がする。


 博物館の剥製みたいに。彼女は陳列されていた。

 僕の青春時代を思い出させる彼女。

 昨日の夜、悩みを伝えあった彼女。


 何度も手を伸ばそうとして、消えていく儚い存在を目にして、僕の心はザワツイていた。

 その場で立ち尽くし、真実を知ってしまったのだと、数分立って自覚をする。


「君は植物を育てたことはあるか?人間も適切な栄養を与えなければ、死んでしまうんだ。 」

 そう、老人。白衣を着た科学者は、追い詰められた実験場の袋小路で、口火を切り、意気揚々と語りだした。


 老人は、手慣れた手つきで、近くにいる彼女を呼び寄せる。

彼女をそっと、抱き寄せると、僕に見せつけるように、彼女の服の隙間から、体を弄る。


「人間に必要な栄養は何か。君は知っているかね?人間も植物と同じく、適切な環境で、必要な刺激を与えなければ、肉体と精神は弱り、衰弱してしまう。植物に与える土、与える水、与える光を調整するように、すべて、自分の思い通りになるように環境を整備する。そうして、できた彼女に私は刺激を与えて、観察をする。」

 彼女が目の前で、反応をしてみせる。

 その反応を、老人はまじまじと、見つめ満足そうに口元を歪ませる。


「君も、仕事をするときに目的のアウトプットに向けて、段取りを考えるだろう?

人間もシステムと同じ、入力の過程と出力の関係で成り立っている。ああすれば、喜び。こうすれば、悲しむ。ここを触れば、あそこが反応する。」

 たとえば、そうだな。老人は、ぼそぼそと続きを語りながら、彼女の腕を強引に握り、白衣のポケットから、刃物を取り出す。


「いや。。やめて」

 刃物を見た彼女はガタガタと体を震わせ、逃げようとするが、その腕力に逃れることができない。


「やめろ」

 僕の叫びをよそに、目の前で彼女の皮膚に傷がつけられる。

 僕は一歩も前に足を踏み出すことができなかった。


 戦闘の訓練をしたことがないから、ビビって前に出れなかったと言いたいわけではない。

 先日の自殺現場の浴槽。

 最愛の彼女の自殺現場。


 真っ赤な浴槽と、彼女の冷たい頬の記憶が僕の動きを封じた。


 目の前の老人が怖かった。

 こんなにも躊躇なく、人を傷つけられる人間が。


「やめて」

 その時、僕の横を走って通り過ぎる。制服を着た彼女が老人に飛びかかった。


 老人は、すばしっこい動きに翻弄されながらも、最後には、彼女の脇腹に刃物を付き刺し、廊下に横たわらせてみせた。


「こんなことになっても、君は一歩も踏み出せないんだね」

 老人は、ニヤニヤ笑った。

 苦しんでいる彼女を見下しながらも、老人は足で彼女の体をゆっくり、踏みつけた。


 辛そうな彼女のうめき声が、部屋に反響して響き渡る。


「一歩も前に、踏み出せないのが、君の本質だ。こんな状態になっても、君は彼女を彼女としか見れていないんだ。彼女の名前。君は呼んだことがあるのかい?

 君は、彼女を。。感情の捌け口でしか彼女たちを見れていない。君の自己満足のために彼女を使い捨てにした結果が、今の君の行動に表れているんじゃないのか?」

 怖じ気づいて、なにもできていない僕を奇怪に老人が笑う。


 大切なものが目の前で失われようとしているのに、何もできない僕が、彼女に対する気持ちを自証しているように見えた。


「でも、僕にとって彼女は特別だった。間違いなく、僕の色鮮やかな日々は彼女のおかげで過ごすことができた。」

 図書館の窓際で、佇んでいる彼女が脳裏に浮かぶ。

 僕は、必死に老人の言葉に牙を立てて歯向かう。



「そうか。それは製作者冥利に尽きるな」

 老人はそんな僕の気持ちは露知らず、あっさり、言葉を吐き捨てる。

 そして、自分のあごひげをいじりながら、並んでいる水槽に視線を向ける。



「世界は、君のように彼女を欲している人間が沢山いる。君のような圧倒的希求が、彼女たちの存在理由になる。もはや、この世界は彼女なくしては、回らない。君のように生きることに意味をなくした人間が、気力を失った人間が溢れた世界に必要なのだ。

 そして、いまや彼女は、彼女たちは、もはや特別な存在ではなく、コモディティ化した。」


 そう言われて、今まで巡ってきた自殺現場を思い出す。


 様々な場所で、亡くなっていた色んな彼女。

 みんな、苦しみを抱えて命を絶っていた?



「君が自殺を止めた、彼女も。そろそろこの世界から消えたかったのだろう。散々面倒を見てやったが、所詮は複製品。自分の替えが存在することに対して、存在理由を失い、ただ悩んでいた」


「君もそうじゃないのか?仕事をしていれば、君と同じことができる人間はごまんといる。君にも気持ちがわかるんじゃないのか?そんな君は、自ら救いを求めて、彼女に手を出したんじゃないのか?」


「君が、悩んでいる悩みを解決するために、さらに悩むものを生み出し、誰かを救う。でも、その連鎖はどうする?

 私が製作者として、命を絶たなければ。

 作った命に対して、示しがつかない。

 太古の神が行えないことは、私が代理の存在として、判断をしなくてはいけないのだよ。」


 老人はそう言い、踏みつけていた彼女に馬乗りになり、両手で握りしめた刃物を振りかざす。



「やめろ」

 今度は、僕の足が動いた。

 とっさに動いたその推進力は、自分が思った以上のスピードで老人に体当たりを行い、老人を突き飛ばした。


 老人は突き飛ばされ、水槽に頭を当てて、倒れ込んだのを見ると、僕は、すぐに腹部から血を流す彼女に近寄った。



「大丈夫?」

 僕は、とっさに出た言葉とともに、すぐに自分のポケットからハンカチを取り出し、止血を始める。


「ありがとう」

 彼女は、唇を青くして、僕に語りかける。


 その表情に焦りを感じながら、僕は急いで、普段から業務用に常備している止血用の液体を取り出し、制服をめくって、腹部に液体を垂らす。


 地面はどんどん、赤く染まり僕の額から冷や汗が流れる。


 どうして。


 どうして、どうして、出血が収まらない。普段なら傷口だって簡単に塞がるはずなのに。


「無駄だよ」

 彼女はかすれた声で僕にそう呼びかける。


「私達の体には特定の関連因子が血中に存在するって、聞いたことない?人口生命である私達は、あなた達とは、違う血液の仕組みになっているの。あなたが治る傷も私は治らない」


「そんな」

 僕は、目の前のことが信じられなくて、ハンカチで抑える手に力が入る。

 また血の臭いがする。


 飛び降りを止めた日のことが思い浮かぶ。

 せっかく、自殺を止めたのに。


 僕の連れ添った彼女の代わりに彼女を救えたと思い、これが功罪だと思っていたのに。


 どうして、僕は無力なんだ。


「お兄さん」

 止血する僕の手に彼女が自分の手を添える。


「お兄さんと知り合えてよかった。こんな私でも必要としてくれたことを知れた」

 僕は黙って、彼女の言葉に頷く。

 彼女の震える唇からは、強い意志を感じた。

 造られた存在でも、一生懸命に生きていることを。


 僕は最後の言葉を聞き逃すまいと、必死に耳を傾けた。

 そして、残る力を振り絞り彼女はこういった。




「最後に、名前を付けて欲しい」

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