中央橋太郎と宇宙(そら)から来た使者

幼稚園に通いはじめていろんな名前の友達と知り合い新鮮な感動を覚え、それに引き換えなんだかいつもいつも呼ばれてきた自分の名前に飽きて、自分の名前を気に入らなかった時期がありました。


ちょうど覚えたての平仮名を使いたくて仕方がない時期でもありましたし、幼稚園に行くための道具が与えられ、自分の持ち物が増えてきた時期でもありました。でも、かばんや落書き帳、クレヨンに書くのは、いまいち気に入らない自分の名前でした。


ある日ひらめきました。そうだ。自分の名前を変えよう。どんな名前にしよう。そして、思いついて、そのときちょうど親が買ってくれたハンケチに書いた自分の名前は『ちゆうおうばしたろう(中央橋太郎)』でした。どのようにして思いついたのか詳細は覚えていませんがどうやら当時の僕としては、それが精一杯の格好いい名前だったようです。今でも親から、

「覚えとるね?あんたは小さかころ、自分の名前って言うてから『中央橋太郎』ってハンケチに書いたとよ。」 と言われます。覚えとるねって、もちろん覚えてます。定期的にその話を持ち出されたらこっちだって恥ずかしくて忘れたいのに忘れられません。ましてや現物が証拠としていまだに残っているので言い逃れようもありません。


中央橋太郎はやがて小学校の低学年にまで成長しました。中央橋太郎はある日夕飯を食べた後、家の窓からなんとなく外を眺めていました。中央橋太郎は見ました。はっきりと見ました。幻ではないと思いました。見間違いでもないと思いました。間違いなく見ました。二つの青白く光る目をした黒い小さな影が横からスーッと家の前の道に現れました。影は中央橋太郎の視線に気付いたようで、正面を向いて立ち止まってこちらを光る目で三~四秒見た後、反対側へとすばやく消えていきました。


ちょうどそのころ、友達の家で大手子供向け月刊誌の特集を見たことがありました。宇宙人は頻繁にUFOで地球を偵察していて、ときには地球に降り立ったり、なんなら地球人をさらって手術をしてしまう。その特集の中で、アメリカかどこかで墜落したUFOに乗っていた宇宙人が軍隊に捕まっている写真を見たことがありました。宇宙人はウルトラマンのような目をしていて小柄で、両腕は筋骨隆々の大きな軍人にがっちり固められていました。


僕が見たのは暗闇でだったため光る目と輪郭しか分かりませんでしたが、大きさや雰囲気はその捕まった宇宙人そっくりに見えました。


見てしまった。そして見てしまったのを見られてしまった。そう思いました。間違いなく宇宙人は僕と目が合ったので僕に気付いている。こっそり地球に降り立ったのに違いない。僕に見られたから仲間を呼びに行ったに違いない。僕はきっと夜寝てるあいだに襲われて光線かなにかでひっそりと跡形もなく殺される。そうに違いない。


僕はもう終わりかもしれない。とりあえずどうしよう。母親に相談しよう。父親より母親のほうが強そうだし。でも、母親に相談したら、母親も一緒に殺されるのではないのか。いくら親でも宇宙人の光線にはかなわないだろう。宇宙人はどこでどうやって僕のことを見張っているか分からないからこっそり相談してもきっとばれる。誰にも相談できない。絶望的になりました。


もはや相手が宇宙人ではどうしようもないし、こうなったら僕だけ宇宙人に殺されるしかない。中央橋太郎はそう決心しました。 もう寝る時間になりました。一人だけ宇宙人に襲われることを決心した中央橋太郎はいつもよりずっと素直でいい子になっていました。言われる前に部屋のお片づけをしました。お風呂でいつもよりゴシゴシ体を洗ってきれいになりました。石鹸で顔を洗うのは苦手だったのに勇気を出して一人で顔を洗いました。お姉ちゃんがやっていたように石鹸が顔についたまま目を開けてみました。初めてできました。意外に簡単なんだと気が付きました。


中央橋太郎はいつまでも家族と一緒に居たかったのですが、待ちきれないで宇宙人が襲ってきたら大変なので寝ることにしました。中央橋太郎は両親に最後のおやすみの挨拶をして居間から部屋に行き、布団に入りました。


中央橋太郎は布団に入ったものの、目はぱっちり開いたまま、眠れませんでした。宇宙人はどこからくるのかきょろきょろしていました。殺されるにしても宇宙人をこの目でもう一度見てやるぞ、絶対眠らないぞと思いました。


中央橋太郎は朝御飯を食べながら、なぜ僕は助かったのか考えていました。そうか、僕はずっと見たことを黙っていたから陰から見張っていた宇宙人が見逃してくれたんだ。宇宙人もむやみやたらに行方不明者を出して騒がれたくないんだ。ただし、もし誰かに言ったらその人と一緒に殺されるんだ。そう思いました。


中央橋太郎は学校に行きました。中央橋太郎は宇宙人を見たといったら話題の中心になれるはずなのに、友達にも先生にも絶対に宇宙人の話はしませんでした。中央橋太郎は秘密を守ったのでその日の晩も襲われませんでした。


中央橋太郎はふと宇宙人に見られているような気がしてガバッと振り向いたり、ちゃんと内緒にはしているけど今夜こそ襲われるかもと急に怯えたり、怪我をしたり自分の身に何か起きたらこれは宇宙人のせいかもと勘ぐったり、外でおしっこがしたくなったとき、立ち小便をしたら監視の宇宙人がテレパシーで人を呼ぶかもしれないから駄目だとか思ってあわててトイレを探したりしながら、でも、誰にも相談せずに日々の生活を過ごしていきました。


中央橋太郎は宇宙人に監視されながらもやがては中学校に入学しました。宇宙人は僕以外の人には全く存在を知られることなく、僕を監視し続けているようでした。


中央橋太郎はすでに九歳のクリスマスにサンタクロースは親だったということを知って多少は大人になっていたのですが、少し大人になってもまだまだ宇宙人光線には勝てないので絶対に宇宙人を見たことは口に出しませんでした。何度も宇宙人に付きまとわれているのがつらくて母親に相談しようと思いましたが、黙っていることで母親の命を一生懸命守りました。


中央橋太郎が、あのとき見た影は猫じゃないだろうかいう発想に至ったのはそれからしばらくしてからでした。そう思ったきっかけは何だったか、僕はよく覚えていません。覚えていないほどくだらないきっかけだったことと、顔から火が出るほどほど恥ずかしかったけれども、恥ずかしさの火を吹く方向がなくて不思議な感覚だったことは覚えています。


ただそのとき中央橋太郎は、やっと、親兄弟先生友達を人質に取られた、監視下の命懸けの生活から五年がかりで平和な生活に戻れて、宇宙人のことを誰にでも話していいようになったのにもかかわらず、証拠もないことだし、これからもやっぱりこのことは誰にも言うまいと思いました。

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