愛のために

佐々町の国道沿いにラーメン屋があり、そこの大きな看板には『地獄らーめん』と書いてあります。それはその店の名物の激辛ラーメンです。このラーメンを食べよう、食べなくては。少なくともそのときにはそう思っていました。


店の壁には『地獄の五丁目以上のラーメンを食べられた方』というコーナーがあり、この激辛ラーメンのスープまでを飲み尽くした猛者の直筆で名前と食べた感想などのちょっとしたコメントが書いてある店オリジナルのB5サイズのカードがびっしりと並んでいました。この猛者たちの仲間入りを果たし、カードに、『ご婚約おめでとうございます。体を張って祝福いたします。』と書いてコピーを取らせてもらい、婚約した職場の先輩にお祝いの席で渡せばきっと喜んでもらえるはずだ、店に入ったのはそういう目的でした。


地獄の五丁目以上で名前が載るからといって五丁目を食べても弱虫みたいなので、思い切ってその四倍の地獄の二十丁目を注文しました。店の人は一瞬ニヤリと不敵な笑みを浮かべてラーメンを作り出しました。麺を茹でつつ、スープを丼に注ぐまでは通常のラーメンと全く一緒なのですが、ここで謎のずんどう鍋から真っ赤な辛みの素のようなものをさじですくい、スープに入れていきます。一杯入れただけでも普通のちゃんぽんのスープのようだった色が一転して赤くなり、それを一丁目、二丁目と数えるように追加していき、二十丁目になるときには燃えるような赤いスープに変わり果てていました。


「お待たせしました。地獄の二十丁目ラーメンです。」


ラーメンが僕の前に置かれました。まだ手をつけていないラーメンの様子を一枚写真に取りました。すでにあらかじめ店の前で自分と看板をも自分で撮影しておきました。これであとは食べ尽くした丼を撮影してこれらの写真をカードのコピーと一緒に渡せば、激辛ラーメンを本当に食べたということをさらに印象付けることが出来ます。


いよいよ自分の限界に挑戦する一本勝負が始まりました。まずはスープを蓮華ですくって口に運ぶと、辛い!口の中が一気に熱くなり、体中の毛穴が開くような感触を覚えました。麺をすするとすでに熱くなっている口の中にさらに熱が運ばれたような感じがしてすぐ麺を噛み切って一休みしました。スープに浸かりきった具を食べても同じで、当たり前ではあるのですが何を食べても辛くてたまりませんでした。ラーメンの横に一杯の水は置かれていましたが、これからスープまで飲み尽くさないといけない長い道のりの最初の時点で水を飲んでしまうと、その安らぎに頼ってしまい水をがぶがぶ飲んでしまってリタイヤに至ってしまうと思い、我慢しなければと必死で耐えました。


スープを連続して飲むのもつらく、麺をすすりつづけるのもきついため、効果があるのかないのか分かりませんがこまめにスープと麺を交互に口に運んでいきました。 まだ三分の一も食べていないうちから、開いた毛穴から汗がふきだしていました。こんな感触は初めてでした。そして、頭からも汗がふきだし、髪の毛が汗で濡れているのに気づきました。顔からは涙と汗と鼻水がでてしかも唇がひりひり腫れている感じがしており、店内には鏡はありませんでしたが相当な形相だったと思われます。


必死で食べていてふと気が付くと、反対側のカウンターに客が入って注文をしていました。別に何ら驚くことではないのですが、よく見るとその人はいつも仕事で会うのおじさんでした。そのおじさんとは間違いなく目が合ったのですがこちらからは状況的に声が掛けづらく、意識も朦朧としている中で会釈すらしませんでした。むこうもむこうで、カメラを横において一人で鼻水を流しながら激辛ラーメンに挑戦している僕に声を掛けにくかったらしく、気づかないふりをしているようでした。結局そのおじさんは普通に出てきた普通のラーメンを普通に平らげて、普通にお金を払って、なにかしら理解に苦しむような表情でやや首をかしげながら僕のほうをチラチラと何回か見て店を出て行きました。


やっとのことで残り四分の一ぐらいまでこぎつけました、もう限界でした。思わずそろそろいいだろうと思いコップの水に口をつけました。再びスープを飲むと今まで以上につらく感じました。やっぱり罠だっだと思いました。その後蓮華で少しずつスープを飲んでいたのですが加速度的にどんどんつらくなり、あともう少しだというのにリタイヤしたいような気分になりはじめました。かすかな意識を原動力に頑張らねばと奮い立たせるように首を左右にブルンブルンと振り、もうあとは一気に行くしかないと思い、両手で丼を持ち、グイッと一気に口の中に入れました。一気に口の中がこれまでで最高に熱くなりブッと吹き出しそうになったのですが強引に手で口を塞いで耐えました。反動でスープが鼻に逆流し鼻から赤い汁が漏れました。鼻の穴の粘膜部分に二十丁目の香辛料一式が付着して鼻の穴に激痛が走りました。切り傷や打撲と違った初めて体験する痛みに必死に耐えながら、やっとの事で飲み込みました。飲み込む瞬間は喉も燃えるようでした。しかし何はともあれついに達成しました。


前に突っ伏して力尽きて倒れるような感じで丼を置きました。


「おめでとうございます。」


顔を上げるとそこには勝利者に与えられるアイスクリームが置かれていました。店員さんがさらに『二十丁目達成』と書かれたカードとマジックを持ってきました。それと同時に丼を下げようとしたのでいやいやちょっと待ってくださいと言ってあわてて空になった丼の写真を撮りました。 カードに予定通りの文言を書き、お店の人に訳を話して一旦持ち出させてもらいコピーを取り、着工前と着工後の写真を写真帳にまとめたものと一緒にお祝いの会場に持っていきました。お祝いの席で見せるとみんな驚いて喜んでくれました。体は限りなく不調でしたが、喜んでくれる皆さんがいて苦労も報われた気分でした。しかし盛り上がっている中、当の先輩がボソッと、


「でも、二十丁目ってなんか半端かよね。三十丁目とかはできんかったと?」


と言いました。死にそうでした。

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