人生〜Nice to meet you My life〜

 佐藤祐介はおとなしい子供だった。

 周りからは、「優しい子ね」なんて言われて可愛がられたものだ。


 けれども祐介本人は、特別自分がおとなしいとも、優しいとも思ってはいなかった。

 祐介から言わせれば物事に執着しないだけなのだ。なにか拘りがある訳でも、譲れないものを持っている訳でもなく、ただ「手に入らないならしょうがない」 「みんなが喜ぶならそうするよ」と自分より周りを大切にする子供だった。


 だから彼は親の機嫌をとることも欠かさない。

「祐ちゃんは、しっかり勉強してレベルの高い学校へ行くのよ」

 それが母の口癖だった。


 祐介は一度受験に失敗している。

失敗していると言っても小学校受験だ。

 私立の小学校。そこに入れば、小学校から大学まで基本エスカレーター方式で進むことができた。

 しかし、彼はその試験に落ちた。

極度のあがり症だとか、試験本番で失敗した訳ではない。単純に実力不足だった。


 結果、祐介は周りと同じ公立の小学校へ進学した。それからと言うもの母は毎日「勉強しなさい」が口癖になった。

 母は、今度こそ祐介を私立へ入れようと中学校受験をさせようと考えたのだ。


 祐介は一生懸命勉強した。一度失敗しているから、ここで挽回しなければ。その一心でひたすら机に向かった。

 周りの同級生は校庭に出て遊んでいるが、彼は教室にこもり作者の主張を考えた。

 周りが放課後公園で遊ぶ中、彼は自室で一人計算問題に取り組んだ。


 もちろん親が通わせていた塾でもひたすら勉強した。


 無邪気に遊ぶ同学年の彼らを羨ましく思ったことはない。祐介には執着がないからだ。それよりも、母の求める結果を出さなければ。今度失敗すればもはや、母は自分を愛してくれない。祐介の頭にはそれだけしかなかった。


 そして遂に受験本番を迎える。


 もうやり残したことはない。ただ目の前の問題に取り組むだけ。難しいことは何もない、これまで通り解けばいいだけのこと。


 祐介は国語・算数・社会・理科 計4科目全ての解答欄を埋めた。

 後は結果を待つだけだ。


 祐介の手元には12186の番号が綴られた紙がある。受験番号だ。

 彼は何度も手元の数字とインターネットで発表された数字を上から順に眺める。


「12181…12182…12184……イチ、ニィ…」


「12186 あ、あった…あった!」


 12186紛れもなく、祐介の持つ受験番号と同じ数字。隣で見ていた母も胸を撫で下ろし安堵する。その目にはうっすら涙が浮かんでいる様だった。


「よかったわ、祐介。これであなたの将来も安心よ」


 祐介は嬉しかった。

 中学に受かったことではない。

 母が求める結果を残せたことが何より嬉しかった。これで母に捨てられない。


 ……そう思ったのも束の間。


「祐介! この成績はなに⁉︎」

 母の激昂は凄まじかった。

「あなた、最近遊びにかまけて勉強ほっぽり出してるんじゃないの?」


 母の言う遊びとは部活のことだった。

 祐介は中学に進学してからソフトテニス部に入部した。

 入部理由は経験者が少なかったからだ。これまで勉強漬けだった祐介にとって野球やサッカーなど経験者の多い部活など着いて行けるわけがなく、そもそも運動部に入る気などなかった。

 しかし、担任の先生の一言で祐介は入部を決意する。


「お前、テニス顔だな。どうだ、俺が顧問をしてるテニス部に仮入部してみないか?」


 それがきっかけだった。(テニス顔ってなんだ?)とは思った。


 担任の先生からすれば、なんでもよかったのだ。自らが務める部に一人でも多く部員が入ればそれで。現に、他の生徒にも同じように声をかけていたのだから。


 しかし、祐介は初めて母親以外の人から自分を必要とされている気がした。


 彼はその言葉だけで入部を決意した。


 それからというもの、祐介はテニスに夢中になり授業が終われば1番乗りでテニスコートへ向かい部活に励んだ。


 3年生の先輩が引退し、遂に祐介達一年生の初試合がやってくる。


 ……その矢先の出来事だった。


 一学期中間テスト。

 それが祐介を待ち構えていた。中学校に入って初めてのテスト。これまでの小学校の様なテストとはひと味もふた味も違う。それに祐介の中学は進学校だ、一夜漬けしたくらいで歯が立つ内容ではなかった。


 結果は惨敗。


 学年全体の下から数えた方が祐介の名前はすぐ見つかった。


 それを知った母は激怒したのだ。


「よくもまぁ、こんな点数取れるはね。恥ずかしくないの⁈」


 母はそう言った。


 祐介はその言葉を聞いて、あぁ自分は恥ずかしい人間なんだと思うようになった。


 それからすぐ祐介はテニス部を辞めた。

 あんなに熱心に取り組んでいたのに、先輩から1番可愛がられていたというのに。

 初試合に出ることも叶わなかった。


「母さんの期待に応えないと。母さんの期待に応えないと」。

 いつしか口癖になっていた。


「お母さんはね、あなたのこと怒ってるわけでも、嫌いなわけでもないの。ただね、あなたには普通に進学して、安定した仕事に就いてもらいたいのよ」

 母は決まってそう言う。


 祐介もそれを聞いて「うん、分かっているよ。僕が悪いんだ」

 このやり取りが就職するまで続いた。


 祐介は部活を辞めて以降、取り憑かれた様に勉強をした。

 その甲斐あって成績も順調に上がり、母の求める結果を残していった。


 そして、何事もなく大学にも進学でき、数ある学部から教育学部へ進んだ。


 理由は至って単純。祐介には勉強しかなかった。そして、母の言う「安定した職に就いてほしい」との願いを叶えるのにも打って付けだった。


 裕介は大学卒業後教師になった。

 都立高校の教師だ。高校のレベルは中の下といったところ。


 祐介は数学を教えていた。

 その学校で彼は『真面目』で通っていた。


 ある日のこと、祐介は少し苛立っていた。

 今朝、同僚女性の先生が祐介について立ち話しているのを聞いてしまったためだ。


「祐介さんって、なんか真面目を絵に書いた様な人ですよねー。話してて、面白くないっていうか」

 応える先生も「分かる、分かる」と同調していた。


 真面目を絵に書いた様な人?

 話していて面白くない?


 なんで、俺はお前らなんかに勝手に評価されないといけないんだ?


 祐介の中で沸々と怒りがこみ上げていたそんな折だった。


 目の前ですれ違う男子生徒の耳の辺りが光っていた。ピアスだ。

 祐介の勤める高校ではピアスや香水、整髪料といった類の物は禁止だった。


「おい、そこの!」

 祐介は通り過ぎようとした男子生徒を止めた。


「あぁ?んだよ」

 柄の悪い生徒だった。

 凄んだ祐介も一瞬怯んでしまう。

 まぁ、祐介の勤務する高校には一定数こういった生徒がいた。普段はあまり気に留めないが、その日は違った。


「その、ピアス。校則違反だぞ」

 祐介はそう言った。するとどうだろう、柄の悪い生徒は祐介の予想だにしない事を言う。


「あぁ?真面目なユウちゃん先生がなに言ってんの?お前は黙って得意の数学だけ教えてればいーんだよ。勉強しか出来ないんだからさ」

 そう言ったのだ。

 完全に舐められていた。

 年下の自分よりも一回りも違う少年に。


「……」

 図星過ぎて何も応えられなかった。


 いや、気付いた時には手が出ていた。


 バチン


 右手で思いっきり引っ叩いた。意表を突かれたのか柄の悪い生徒は目を丸くしていた。


 その間に祐介は彼に体当たりした。

 自分でも驚くくらい相手は吹っ飛んだ。


 カシャ カシャ え、ヤバくない?やばいよね。


 周りを通っていた生徒達は一部始終を目撃していた。あるものはスマートフォンのカメラで撮影を、またあるものは録画していた。


「と、撮るな」

 祐介は撮影を制止するも、あの吹き飛んだ生徒が泣き出した。

 さっきまでの威勢の良さはどこに行ったんだと思う程に。その泣き声が野次馬に拍車を掛ける。


 祐介はその日のうちに校長に呼ばれた。

 彼はことの顛末を包み隠さず話した。


 そして家に帰る頃には、あの動画や写真はネット上に拡散されていた。


 夜のニュースには『都立高校の教師、暴力を振るう』と銘打って、どこのニュース番組もこぞって取り上げた。


 その動画には祐介とあの生徒の顔にモザイク処理が施されていたが、見る人が見れば誰だか分かる風だった。


 そして、タレントなのかコメンテーターなのか分からない出演者はこぞって、「暴力はいけませんねー」と話す。

「どんなに怒っても大人の対応を心得ないと」と言う者もいた。


 司会を務めるキャスターは、「うーん、男性教員は頭も良く、職場でのコミュニケーションも取れてたんでしょ⁈ 彼に一体何があったんでしょう。我々まだまだこの問題追っていきますよ!」そう締めくくった。


 祐介は騒動から1週間もしないうちに、勤めていた高校を辞めた。自主退職を出したのだ。遅かれ早かれ教育委員会からの懲戒免職を喰らうだろう。

 それにそこまで重い罰じゃなかったとしてもこれだけ大ごとになったのだ、もう教師として人前に立つことなどできない。


 祐介はそのまま実家に戻ることにした。

 最寄りの駅を歩いていると、いつかの同級生を見かけた。同級生は子供を連れているではないか。

 彼は確か小学校の頃の同級生だ。

 名前は思い出せない。彼に限った事じゃない、祐介は、学校での多くを勉強に費やしていたためクラスメイトの顔と名前が一致しなかった。ジッと彼の方を見つめていると、彼は祐介の視線に気づいた様子だった。

「あれ、祐介君?」男の方から声を掛けてきた。

 祐介は内心意外だなと驚いた。

 自分は目の前の彼のことをほとんど知らない。

 きっと彼も自分のことなど忘れていると思っていた。

 しかし、彼は「祐介君じゃん!」と近づいてきた。祐介も「お、おう」と返事を返したが、どう接していいか分からなかった。この人は、一連の事件を知っているのだろうか?もし、知っていたら面倒だと色々と考えを巡らせていると、「いや、久しぶりじゃん」と同級生は祐介の肩を馴れ馴れしく叩いてきた。

 祐介はさっきと同じく「お、おう」としか返せなかった。


 そんな祐介には御構い無しに同級生は元気してた?だとか調子どうよ?とどうでもいいことを聞いてくる。

 この接し方は、祐介があの世間で話題になっている暴力教師だと知らないなと思った。


「まぁ、ぼちぼちかな」と辺り障りのない返事でやり過ごそうとした。

 すると同級生の男は「いやー、祐介君、超頭良かったもんなー。中学は私立行っちゃうし、マジすげぇわ」と祐介を褒め出した。

 続けて「俺なんてさ、高校出て少ししたらガキ出来ちゃって。ほら、」そう言って横に立っている5歳位の男の子を紹介する。

「へ、へぇ」 祐介はそんな相槌しかできなかった。

 同級生は祐介の相槌など聞いているのか分からない風で「まぁ、これでも幸せなんだよ」と、聞いてもいないのにニッコリ笑って見せた。

 その同級生との会話も程々に祐介はその場を離れた。これ以上話していたら彼の幸せが妬ましく思えてしまうからだ。

 自分にはあんな人生送れなかった。

 彼は自分より恵まれているのだろうか?祐介はこれまでの人生を振り返る。早くに父と母は離婚し母が女手一つで育ててくれた。父が居なかったことを、とやかく言うつもりはない。

 母の顔を思い浮かべても楽しい思い出は浮かばない。いや、母に限らずこの二十数年余りの人生、楽しいと思えたことはあっただろうか?祐介は必死になって記憶を巡らせる。


 だが、それらに楽しいなんてものは無かった。

 ただ、母の顔色ばかり伺っている自分がいる。


 祐介の口から出たのは1つの疑問だった。


「一体、俺の人生は誰の物なんだ?」


 そして、こうも言った。

「そうだ、俺の人生を取り戻さないと」



 ガラガラと実家の玄関を開け居間に入ると母は無言でテレビでニュースを見ていた。

当然今話題を集める『高校教師、教え子に暴力振るう』である。


 祐介はただいまと挨拶をした。

 すると母は、リモコンに手を伸ばしテレビを消した。

「あなたにいくら投資したと思っているの?」母は、急に帰ってきた祐介に驚きもせず質問をした。


 祐介も祐介で、「投資?」と質問を質問で返した。


「そうよ、あなたの塾代、それに中学から私立に通わせて幾ら掛かったと思っているの!」

 母の目には溢れんばかりの涙が溜まっている。


「私立に通わせたかったのはアンタだろ?」

 祐介は母の凄みある声にも動じない。

「アンタはいつもいつもそうだ、自分のことばかり考えてる。私立だ?俺のため?将来の安定? ふざけるな。俺はアンタの道具じゃない。俺は俺の人生を生きる」

 そう言って祐介は用意していた果物ナイフで母を刺した。

______


 次の日には実家近くの住宅が映し出され、近所付き合いのあった人々が取材されていた。

「日頃から気性の荒い方でしたか?」だとか「おかしな点はありませんでしたか?」と質問する。

 しかし、こぞって返ってくるのは「おとなしい子でしたよ」だとか、「優しい子でした」というものだった。


 中学の同級生はこう証言している。

「なんか、途中から勉強できるようになったんだんですけどー、時々独り言でブツブツ言ってたんですよ。母さんの期待に応えないと、母さんの期待に応えないとって。怖かったですよ正直」

 それに高校、大学も友達がいなかったみたいですしねと付け加えて。



「えー、なんとも不可解な事件です。あの世間を、騒がせた暴力教師が今度は実の母親を刺し殺したとのことです」

 ニュースキャスターは原稿とフリップにまとめた見出しを読みながら事件を解説している。


「拘置所の様子はどうでした〇〇リポーター」

 画面は拘置所のリポーターへと変わる。


「はい、犯人の元男性教諭は取り調べで、母親を殺したのは自分であることで間違いないと供述しています」


『犯行の動機など分かりますか?』

 スタジオのキャスターは問いかける。


「はい、犯行の動機に関しては、自分の人生を取り戻すためだった。と、繰り返しているそうです」


 それから月日は流れ祐介の裁判が開かれた。

「被告人前へ。なにか最後に言葉はありますか?」

 中央に鎮座する裁判長が告げる。


 祐介は法廷の前に立ち一言。

「やっと僕の人生が始まります」

彼の表情は晴れ晴れとしていた。





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