驢馬を引く人ぽくりぽくりと 🐎

上月くるを

驢馬を引く人ぽくりぽくりと 🐎



 ――残月さんのお顔が見えないとさびしいって、みなさん言ってらしたわよ。


 事務局の女性から連絡を受けたとき、玲子は思わず、ふっと笑ってしまった。

 石の上にも……というけれど、本当に3年経てば、状況って変わるんだね~。

 

      *

 

 都庁の近くのビルに事務所がある社団法人を定年退職した玲子が、おそらく相当に長いだろうと思われる(笑)余生の慰めに、とりあえず短歌でも始めてみようかと思い立ったのは、幼いころからの本好きで、ずっと活字の世界に憬れていたからである。


 活字といってもピンキリだろうが、いきなり小説の執筆はハードルが高そうだ。

 かといって、最短17文字の俳句は、季語や切れ字とかの規則が面倒くさそう。

 消去法で残ったのが短歌だったという、ナンダカナアの選択ではあったが……。


      *


 北陸の港町の高校から東京の大学へ進み、時代のおかげで社団法人に就職できた。

 一応は恋愛らしきものも経験したし、他人に知られたくない関係の一時期もあったけれど、玲子が希求してやまない「義のある男」には、ついに巡り会えなかった。💦


 都心から便利な京王線沿線に、独り暮らしには十分なマンションを購入してあり、そこそこの蓄えもあるので、当分はフリーランスの身分を存分に楽しんでみたい。で、まずその第一歩として、著名な歌人が率いる短歌結社の武蔵野支部に入会した。

 

      *

 

 文学といっても所詮は趣味なんだから、和気藹々としたものだろう。

 仕事以外の社会を知らなかった玲子の予想は、ものの見事に外れた。


 駅前のシティホテルのレンタル会議室に集まったのは総勢30数人の老若男女……と言いたいところだが、実際は、ほぼ全員が白髪 or 禿頭の老老・・男女で(笑)、肩ひじ張って「残月」の筆名を用意して臨んだ玲子は、事務局の女性の次に若かった。🏢


 厳粛な空気を慮った小声の説明によれば、ほぼ全員が歌歴ン十年の強者だという。

 道理で、気難しげな老顔を上座にずらりと並べた男性陣は、入り口に手をつかえての玲子の挨拶にも「む……」と素っ気なく返すのみだったわけかと、妙に納得する。


 かたや、下座に畏まっている老女連はといえば、さすがに新人に気を遣ってくれはしたが、そもそも男女の席からして時代錯誤も甚だしい。いまだに旧態依然がまかり通りそうな地方ならともかく、明るく先進的、自由な文化の香るこの武蔵野で……。


 トンデモナイ世界に紛れこんでしまったかなと焦ったが、まさか逃げ出すわけにもいかない。司会の事務局に次ぐ末席に座った玲子は、仕事時代よりも緊張していた。


      *


 自信満々な歌が朗々と披露され、密閉空間に熱気が充満するなか、容赦なく玲子の順番がやって来た。オッカナビックリで初めての自作を披露すると、案の定、事前に申し合わせでもしてあったかのような超辛口批評風に吹きさらされることになった。



「陳腐にして凡庸の極み!」(=゚ω゚)ノ

「社会詠など不遜である!」(´ω`*)

「口語体など100年早い!」( *´艸`)

「新人は王道に徹すべし!」(@_@。)


 武士に例えれば、上段下段袈裟懸けと、斬って斬って斬られまくり状態だった。👘


 かつて俳句関連の本を読んだとき、高名な作家の「味も素っ気もない自然詠を神の如く信奉し、何十年も進歩しない、進歩せずにいられる我慢強さに畏れ入る」という皮肉な発言に驚いた記憶があるが、歌の世界にも同様な体質が蔓延っているらしい。


 かつての職場では、小生意気な若造や小娘どもから「お局さま」と陰口されても、成熟した社会人の誇りにおいて眉ひとつ動かさなかったものだが、自転車を漕ぐ頬に降りかかるしずくを止めようもない帰り道となったのは、われながら情けなかった。

 

      *

 

 だが、最初から甘やかされるよりも、結果的にはよかったということだろうか。


 毎度「今回が最後」と思いながらも、忍従を重ねて出席しているうちに、ぽつぽつ筋がいいと褒められるようになり、歌誌の中堅欄にも採用され始めるなど、さあこれからというとき、予想もしなかった感染症の流行で緊急事態宣言が発令されたので、玲子が属する結社の武蔵野支部でも、リアル歌会からメール歌会に切り替えられた。


 といっても自身でメールが打てるメンバーはほんの一部だったので、子や孫に頼めない人は Fax か郵便にせざるを得ず、毎回、事務局のご苦労は相当なものになった。


 見かねた玲子は、新人の身も顧みず、最先端のオンライン歌会を提案してみたが、パソコンにもスマホにも馴染む気がまったくない高齢会員には大不評だったようで、「厄介なことを持ちこんでもらっては困る」とお叱りの電話まで受ける始末だった。


      🍃


 それから1年半余り。

 自粛の徹底やワクチンの普及により感染者数が減少し始めると、さっそくリアルの歌会が再開されたのだが、じつは、そのあいだに玲子を取り巻く環境は大きく様変わりし、何かと面倒な短歌界からネット小説界へと、立ち位置の移行が行われていた。


 かといって、ここまでつづけて来た短歌をすっぱりやめる気にもなれず、感染予防を口実にして、メールでの参加を継続していたのだったが……そうした一連の経緯を経た上での冒頭の「さびしい」発言には、なかなか感慨深いものがあったしだいで。


 だが、玲子はもはや「素直で従順な、新人の残月さん」から完全に脱皮していた。初回の冷遇に比すれば手の平返しの甘い誘いに、軽々に靡こうはずがあろうか。天の配剤のような冷却期間中に、玲子は創作者としての自分を育てていたのだから。💪

 

      *

 

 で、翌月の歌会に「潔くベリーショートの耳出せば驢馬を引く人ぽくりぽくりと」「舗装路に黄色い輪ゴム一つあり街のすき間の晩秋の虹」「秋暁の行きずりのカフェに独りゐてパティ・ペイジとボストン・テリア」「早逝の残せし薄い作品集にカリカリカリと齧られてゐる」「青年に切ないなんぞ言はせゐるこの経済は間違ってゐる」「疲れたと言へず若者生きてゐる大人の我は何をしをるや」など規定の10首の中程に、眉をしかめられること必至な2首を、ごくさりげなく(笑)紛れこませておいた。


      🎋

 

 ――さびしめば赤木ファイルを抱きしめて月に呼びかく星に呼びかく

   そのひとの細き指先A4の赤木ファイルをさすりさすりて 🌙🌠


      🎋


 おそらく、作品の出来不出来以前に、テーマ自体が忌避され、黙殺されるだろうと覚悟していたが、事後に事務局から送信されて来た結果報告は驚くべき内容だった。


 たったひとりではあるが、ベテラン男性が「天晴れ!」をくださったというのだ。

 大多数の視線を跳ね返しての勇気ある発言と推察するレイ子の胸に灯がともった。


 潤んだ目を窓外に移すと、高層階の空いっぱいに金盞花色の夕景が広がっている。

 徐々に暮れゆくグラデーションの海に、玲子は希望の船を漕ぎ出して行った。🚢

 

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驢馬を引く人ぽくりぽくりと 🐎 上月くるを @kurutan

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