第10話 古代の建造物と残ってしまうものの是非

 隣のソファーに座った星原が参考書をめくりながら僕に問題を出す。


「それで、古代エジプトを三期に分けると古王国、中王国、新王国に分けられるのだけれど、有名なピラミッドが盛んに建設されたのは?」

「古王国時代だろ」


 部屋の中には備品棚が並べられ、テーブルと古びたタイルカーペットを西日が照らしていた。あれから数日が経過し、いつものように図書室の隣の空き部屋で星原との勉強会に参加しているところである。問題を出し合っていたところで僕は急に疑問に思って、彼女に尋ねる。


「なあ。星原」

「何?」

「いや、勉強中に雑談を振ってあれなんだけど。……エジプトにはピラミッドがあるし、日本にも前方後円墳があるよな。マヤやアステカにも大きな建造物を建てていた時期があるけれど、そういうのって何で急に造られなくなるんだろう」


 星原は一度参考書を閉じると、すました顔で「ふむ」と小さく鼻を鳴らす。


「端的に言うと、非実用的だと気がついてしまうからじゃないかしら」

「え? でも、何らかの意味があるから造っていたんじゃないのか」


 何千人もの人間の力を使って建てたものに「意味がない」ということもないと思うのだが。

 彼女は僕の言葉を否定するでもなく、話を続けた。


「勿論、最初のうちは意味があったのだと思うわ。大きいピラミッド、大きい古墳を建てることが『自分たちにはこれくらいの力がある』と周りに示すことができる。つまり自分たちの権力と正統性のアピールね。でもそうなると次の世代も『もっと大きなものを』『さらに豪華なものを』とエスカレートしていくわけ」

「うん」

「でも、だんだん気が付くのよ。権力というのは『大きい建物を建てること』そのものじゃなく『建造物を建てることができるだけの労働力を動員できる力』のことだと。そうなると権威を主張するよりも、道路や治水だとか国を豊かにするためにその権力を使った方が合理的だと判ってしまうの」

「しかし、それならそれで今度は大規模な道路や治水の跡なんかが痕跡として残ることになるだろう。でもそういうものって印象が薄いというかあまり残っている印象がないんだが」

「そういうものは『実用的』だもの。実用的だから使用され続け消耗され続ける。つまり治水工事や街道は使われ続けて整備されたがゆえに、現代ではダムや高速道路に置き換わり残らなくなってしまったということよ」


 そうか。実用的なものは使用され続けるがゆえに、形を変えて変化し続ける形で存在するから印象に残らないのだ。しかし最初期に建てられた実用性のない巨大な建築物は、大きすぎて壊すのも大変であるし、かといって利用するものもいないから消耗されることもなく残ってしまったのだ。


「つまり後々の時代まで残ったのは、別にそれ自体が目的じゃあなく権威を示そうと非実用的なまでに大きいものを作った結果そうなった、ということなのか。『非実用的なものの方が結果的に後の時代まで変わらず残り続ける』んだな」

「非実用的でも小さなものはすぐに壊されて廃棄されるだろうから、一概には言えないけどね」


 そういえば記録媒体は「現代」よりも「古代のもの」の方が保存性は高いという逸話を聞いたことがある。古代の石板は何千年も前のものが残っているし中世の巻物や羊皮紙も数百年前のものが保存されているのだが、逆に現代の人類が作ったDVDディスクやメモリスティックなどの電子磁気を使用した記録媒体は寿命が短く、わずか数十年で利用できなくなるという皮肉めいた話だ。


 だが、これは必ずしも古代の石板の方が現代の記録媒体よりも優れているということにはならない。一度しか字を刻めない石板よりも、書き直しができる紙や電子媒体の方が圧倒的に利便性が高いのは考えるまでもないではないか。むしろ、石板は修正や上書きができないという決定的な不便さがありその不便さゆえに残ってしまったということだろう。


 高度なものほど移り変わりが激しく可変性に優れているゆえに残らないのだ。裏を返せば「不変的で使い勝手が悪いもの」「役に立たないもの」がかえって後々まで残ってしまう。


 僕は何となく、この間の片倉先生の「変われないということは、生きる上で効率的じゃない」という話を思い出して何とも言えない気持ちになった。


 そう言えば、あの丘の上にあったトマソンもそうなのだろうか。周りにあった建造物が無くなって本来の役割を失い、時間に取り残された存在。


 あれが超芸術と評されるのは、もう果たすべき役割がない無意味な存在なのにそこにあり続ける孤独感とある種の物悲しさを見る者に与えるからなのかもしれない。


「なあ、星原。この間、丘の上の文化施設の跡のところで『トマソン』とかいう建物の話をしてくれたよな」

「……ええ。そんなことあったわね」

「あの丘の上にあった階段や門も、本来は何かの目的があったはずだが今や無用となってしまって、使われもしないが取り壊されもせずただ残っていたわけだ」

「そうかもしれないけど。それがどうかしたの?」

「いや、何かが引っ掛かっていて……」


 あの「トマソン」があった場所は文化施設があった場所から少し離れていて、位置的にも下にあったのだ。つまりあれは多分文化施設の残骸ではないのではないか。


 じゃあ、何の残骸だ?


 その時、僕の脳裏にアーチ橋のある河原に行くときのやり取りが甦る。


「……そうか。もしかすると、あれは建物の階段と門として作られたわけじゃなかったのかもしれない。土砂崩れのために結果としてその部分だけが残ってしまったんだ」

「ええと。……それが重要なことなの?」

「ひょっとしたら、片倉先生のタイムカプセルを見つけ出すことができるかもしれないんだ」


 彼女は僕の言葉を聞いてびっくりしたように目を見開く。


「あなた。……まだタイムカプセルを見つけるのを諦めていなかったのね」

「なんだか放っておけないじゃないか。それにこれだけ苦労したのに何も見つからないというのもすっきりしないだろ」


 今さらタイムカプセルを見つけたところで、片倉先生の抱えている苦しみをどうにかできるわけじゃない。そんなことはわかっている。


 でも先生は、弱い人間が往々にして踏みにじられるこの世界にどうにもなじむことができなかった彼女は、せめて過去の楽しい思い出という「ささやかな幸せ」にすがりたいと思ってこの学校に来たのだ。それならば、その思い出が確かに存在したという証くらいは取り戻してやりたい。


 彼女もそんな僕の気持ちを汲み取ったのか、僕の顔をしばし覗き込んでから小さく頷いた。


「……そうね。片倉先生の気持ちを救うとまではいかなくとも、過去にけじめをつけることはできるかもしれないわね。それで、これからどうするの?」

「まず、数年前の学校と周囲の建物について記録したものがないか調べないといけない。そのために職員室に行ってくるよ」


 立ち上がって部屋を後にしようとする僕に星原はからかうように声をかける。


「もしかして、月ノ下くんって女の人の涙に弱かったりする? 私も泣いてみようかしら」

「星原は笑顔の方が可愛いよ」


 彼女は待ってましたとばかりに「あら、それはどうも」とにっこりと笑顔を作って見せる。そんなキャッチボールのようなやり取りを交わしてから、僕は廊下に足を踏み出した。

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