第9話 片倉先生の秘密と草木の話

 夕暮れ時の河原はキラキラと輝いていたが、それを無邪気に美しいと感じられるほどに人生は単純ではないということなのだろうか。


 少なくとも今目の前にいる片倉先生の心中には、僕には推し量ることさえできない重苦しさが渦巻いているような気がした。


「……先生」


 僕が意を決して声をかけると、彼女は「おや」とぼんやりとした表情で振り返る。


「君は、……月ノ下くんだっけ? どういう訳かよく会うね」

「実は片倉先生に訊きたいことがあるんです。このミニチュア、盆景のことについて」


 僕は携帯電話で撮影した例の盆景の写真を見せた。

「……どこでこれを?」

「陶芸部の後輩が倉庫で見つけたんですけど、何なのかがわからなくて。ただ調べているうちにあの文化施設の近くの白鳥像と学校周辺の駅近くの大鳥神社に何かあるんじゃあないかと思ったんです」

「それで、あの神社でバッタリ会ったんだ」


 彼女は僕の携帯電話の画像を見下ろしながら呟く。


「これ、私が作ったんだ。私は天文部だったんだけど観測ができないときは意外と時間があったからね。遊び心で作りはじめたんだよ。そうしたら『折角だから周りの風景を再現しよう』とか『いつも遊んでいる場所を星に見立てよう』なんて他の部員たちも乗ってきてね」

「そうだったんですか」

「卒業してから天文部は部員がいなくて廃部になったって聞いていたから、てっきり捨てられていたと思っていた。……まさか十年経ってもまだ残っていたなんて。あ、もしかして君たち神社で写真を見つけなかった?」

「これですね」


 僕はポケットから先日明彦が探し出した写真を取り出して見せた。片倉先生は儚げに微笑んで見せた。


「ああ、これ。懐かしいな。そうか。無くなったと思ったら君たちが持って行ったのか」

「勝手に持っていってすみませんでした。……あのう、もし良かったら教えてもらってもいいですか? これっていったい何なんです」

「そんな大げさなものじゃないよ。この盆景はね、タイムカプセルの隠し場所を示したものなんだ」

「タイムカプセル?」



 

 片倉先生の話によると、こうだった。

 十年前、天道館高校を卒業するときに片倉先生は仲の良かった二人の同級生の部員たちと何か記念になるものを残したいと考えた。そこでタイムカプセルを作って埋めることにしたのだ。


 そして「十年後みんなが大人になったころにもう一度この学校に集まって開けよう。その時にはこの盆景の地図を元に部活の思い出の場所を巡りながら、タイムカプセルを開ける鍵を回収しよう」という計画だった。




「当時、部活の顧問をしていたのが、ほら、君も知っているあの四谷先生でね。先生にも協力してもらってタイムカプセルを埋めさせてもらったんだ。この河原も学校帰りにここで友達と座って買い食いとかしていた思い出の場所なんだよ」


 彼女は遠い日々に想いを馳せるような、切ない眼差しで河原を見つめていた。


「そういうことだったのか」といつの間にか後ろにいた明彦が頷く。


 振り向けば、星原と狭間さんもすぐそばに立っているではないか。


「みんな居たのか」

「……悪いわね。あなただけ話を聞いているのを見ていたら、何だか気になってしまって」


 少し恥ずかしそうに頭を掻きながら星原が答えた。興味津々と言った様子で狭間さんが片倉先生に問いかける。


「あの、タイムカプセルを開ける鍵というのは?」

「うん。タイムカプセルと言っても凝ったものは作れないからね。市販の『ナンバー』と『鍵』でロックできる卓上金庫を買ってきて、濡れても良いようにビニールシートで厳重に梱包した。ほら、あの神社に隠した写真の『日付』を開けるための『ナンバー』に設定したんだ」


 言いながら片倉先生は立ち上がって橋の方に近づいた。


 僕らもどこに行くのかとそのまま後をついていくと彼女は橋が岸に接しているあたりの裏側に設置された鋼材を覗き込んでいる。普通に歩き回っていてはまず目に入らないだろう場所だ。そこには小さな真空パックの袋が張り付けられていたようだ。

片倉先生は「ほら」と袋を僕らに見せるように手でつまみ上げて見せる。その中に鍵が一本入っていた。


「これが金庫の鍵」


 狭間さんがふむふむと頷く。


「つまり、神社のところにあったのはタイムカプセルを開けるための『ナンバー』、ここにあるのが『鍵』。あれ? ……肝心のタイムカプセルはどこに埋めたんですか?」

「あの丘の上に学校の文化施設の建物跡があったでしょう。当時はあそこに天文部の部室があったの。それであの近くにあった枯れ井戸の中に隠したんだ」


 枯れ井戸の中だって?


 僕らがあの場所を訪れたとき、豪雨による土砂崩れのためにあの中は土で埋もれている有様だった。もしも井戸の底にあったのだとしたらとてもではないが人力で土を掘りだして探すのは困難なのではないか。


「あの、僕ら。この間、あの丘の上で井戸の中を見たんですけど」

「ああ。見たんだね。……私も既に井戸の中を確かめたよ。そう、タイムカプセルはもう失われてしまったわけ。私が卒業してしばらく後に豪雨で流れてきた土砂で深く埋もれてしまった」


 それを聞いた狭間さんが残念そうな顔になる。


「それじゃあ、折角当時の友達が集まってもタイムカプセルを開けられないんですね」

「別に残念がる必要はないんだよ。だって、集まる約束をした日はつい先日のことだった。……もう過ぎているんだ」


 僕らは彼女の言葉の意味が解らず沈黙する。


 もう過ぎてしまったから、残念に思う必要はない?


「…………誰も来なかったんだ」

「えっ」

「別に不思議なことじゃないよ。大人になるということは色々あるんだから。君たちにはまだわからないかもしれないね。今こうして過ごしている日々が、もう手が届かない遠い場所になってしまうなんて想像がつかないのかもしれない」


 片倉先生はぼんやりと夕焼けに染まる川の水面を眺めていた。


「私は大学を出た後で会社勤めをしていたんだけれど、要領が悪くて周りと上手くやれなくてね。……ふと過去を振り返った時に高校の時が一番楽しかったな、なんて思って。たまたま教員免許を大学の時に取得していたから『母校に教師として戻ってくればあの頃みたいに楽しい気持ちになるんじゃないか』と思ったんだ。ちょうどタイムカプセルを開ける約束の日も近い。あの頃の皆にもまた会えるんだって」 

「……片倉先生」

「私……ね、私。その時好きな人がいたけれど。気持ちを伝えられなくてラブレターをタイムカプセルの中に入れたんだ。それで開けた時にその人に渡すんだって。…………でもそもそも誰も来なかったし、開ける機会も失われてしまった」


 彼女の声は微かに震えているようだった。


「それはそうだよね。きっと私以外の皆は上手くやっているんだ。社会に適応できているんだ。毎日が充実して新しい友達ができて仕事も楽しかったら、昔の約束なんて忘れてしまう。皆にとっては高校はもう終わった場所なんだ。……私だけだ。私だけが変われなくって、過去にしがみついて戻ってきてしまったんだ」


 僕らはどうすればいいのか、こんなときどんな言葉をかければいいのかわからず戸惑うばかりだった。


「せめて、独りでも、思い出の場所を歩いて回れば、あの頃みたいな楽しい気持ちになれるかと思ったんだけれど、ね」


 片倉先生は目頭を押さえて、小さくしゃくり上げていた。


「ご、ごめんね。困るよね。こんな急に大人の人に泣かれてもさ」

「い、いや。そんな」


 やはり安易に片倉先生の事情に踏み込むべきではなかったのだろうか。かえって先生の気持ちを傷つけることになってしまったのだろうか。片倉先生はハンカチをしばらく顔に当てていたが気持ちが落ち着いてきたのか、やがていつものような事務的な無表情に戻る。


「もうすぐ日が暮れるね。私が学校まで送っていくから、今日はもうみんな帰りましょう」


 僕ら四人は気まずい思いを抱えながらもその言葉に頷くことしかできなかった。





「ねえ。……君たちは『草』と『木』はどちらが進化した生物だと思うかな」

 日も暮れかかり、薄暗くて人通りも少ないゆるい登り坂。学校まで戻る道の途中で、片倉先生はそんなことを言いだした。唐突な質問に僕は戸惑いながらも、考えてみる。


 寿命が数年程度と短く、大きさも数十センチ程度の「草」。

 何十年も生き続け、種類によっては数十メートルにもなる「木」。


「木の方が進化した生き物なんじゃないですか?」


 感覚的に僕はそう答えていた。


「確かに『木』そのものは古生物時代にシダのような『草』から進化して生まれたんだ。でもね、『現生している草』については『木』から進化したと言われている」

「じゃあ『草』の方が『木』よりも進化しているってことなんですか? 木よりも小さくて寿命も短いのに?」


 片倉先生は相変わらずの無表情で淡々とこう返した。


「寿命が短いからこそ、なんだ。……草はね。環境変化への対応力を強くする形で進化したんだよ」


 横で聞いていた星原が口を挟む。


「つまり世代交代のペースが速い、ということですか」

「うん。あえて寿命を短くすることで、次の世代までにかかる時間を短縮して生き残るようになったんだ。……変われないということは、生きる上で効率的じゃないんだ。『脱皮できない蛇は滅びる』という言葉もある。みんなも変わることを恐れるべきじゃない。木よりも草みたいに変わり続けた方が良いんだ」


 それは「私みたいな生き方をするべきじゃないんだよ」と言外に言っているように僕には感じられた。ふと思い出したのは片倉先生があの文化施設の近くに記念で植えたという桜の木のことだ。


 かつて青春を過ごした場所が瓦礫に変わり果ててしまった中で、一本だけ取り残されたように佇んでいたあの木。もしかしたら先生はあの木のことを「自分のようだ」と思っていたのだろうか。


 その後、僕らは学校まで戻ると自分のカバンを持ってそれぞれの帰途に就く。別れ際に明彦が「大人になるっていうのも楽しいことばかりじゃないのかもな」と一言呟き、それがどうにも僕の胸にしみた。

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