ひかるゆびさき

溢水

第1話

山中くんが部屋から出てこなくなったのは、一週間前から。らしい。風の噂できく。山中くん。教室の後ろ、だれも寄り付かない学級文庫の棚の本を、左端から順に全て読もうとしていたひと。わたしは、それに気が付いていたよ。山中くんのこと、わたしは太陽のしたで、よく思い出す。



 *



 いつだってねむることが出来ない。山中くんは学級文庫を最後の棚の右半分まで綺麗に読みつくしてしまっていた。つまんない授業中、隠しもせずにどうどうと経済学の本まで読んでいたこと。このまま、あんなにつまんない自己啓発本まで読んだのに、辞めてしまうのだろうか。


 「山中くん」



 耽溺する、よこがお。別に、どうということもない。日々のなかに存在する山中くんと、わたし。山中くんのラインすら知らない。わたしは、山中くんに届く術をしらない。



 *



 現代文の瑞々しい朗読。学級文庫の本が。現代国語の教科書の横に置かれている。山中くんが本当だったら、つぎに手に取るはずだった本。日に焼けた背表紙。九月の日差しは、なんだかちょうど良くて、わたしはいつの間にか眠りに落ちてしまう。日の光りのなかで、机に伏せって眠る。高校生。時間は過ぎ去ってゆくばかり。なにもしなかったら、なにも手元に残らないまま。わたしたちは、この時間を無限だと思っている。でも、いつかこの時間も、若さも。尽きてしまう。最後に残るのは自分自身だけで、たぶん、それは。とても恐ろしいこと。山中くん、それを知っていたのかな。どうしようもなく焦れて、奇行ともいえるような『学級文庫の本全部読む』を敢行してしまったのかな。やわらかい日の光りのなか、山中くんの腕のなか。輝きと、あとなにか。それを、かんじる。



 *



 山中くんは、どうやら。あまり良くない噂を耳にする。焦れる。山中くんは、そこに居て、学級文庫の本をひとりで読破して、ひとりで喜ぶ。心のなかで、ガッツポーズをきめるのかもしれない。わたしは、それを。窓に寄り掛かりながらみつめる。そういう、未来っていうほどでもない未来。あるでしょ。山中くん。山中くんに届く、わたしのゆびさき。



 *



 天使みたいに、飛びたい。飛べば、山中くんの背中に。この指が届くかも。山中くんに届く術を、わたしはしらない。山中くんに届く術を知りたいのに、それは叶わない。別に、普通の男の子だったけど。山中くん。これは、たぶん恋じゃないけど。山中くんは、特別なんかじゃない。ただの男の子。でも、だから。焦れていたんでしょ。焦っていたんでしょ。そういうの、学級文庫に向かうときの眼差し。恋愛とは違う意味で、好きだったよ。すきだった。山中くん。届けない山中くん。もう届かない山中くん。ずっと、届かなかった山中くん。山中くんは、永遠にわたしよりも若いまま。わたしは山中くんを追い越してゆく。山中くんは、人生でいちばん光る時期のまんなかに、ずっと。ずっと。立っているままだ。

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