【006話】負け側の論理


「巡り合わせってのは因果なもんでね。くなったかと思えば、突然ふと現れたりもする。もしそれをと呼ぶのなら、俺はどうにかそいつを掴まなきゃならない」


 叩きつけたはずの女子の姿が目の前から忽然こつぜんと消え、貴族の男が目を丸くした。何が起こったかわからず困惑する一行の半円状の対極側で、イチルはカツンと足音を鳴らした。


「逃げて、逃げて、逃げて逃げてまた逃げて、それでも逃げて突き放す。それが俺の人生だった。死物狂いで駆け抜けて、全てのものを置き去りにする。それしか俺を満たしてくれるものはなかったし、それが俺の全てだと思ってた。あっちでも、異世界こっちでも、俺はいつも、常に誰よりも先を走っていたかった。……しかし、本当にそうだろうか。ダンジョンがなくなってから、初めて俺は考えたよ。本当はただ、先頭を走ってる気になっていただけなんじゃないかって」


 唐突に現れた獣人の男に目を奪われ、全員の視線が一点に集中した。

 あまりジロジロ見てくれるなと恥ずかしそうにしたイチルは、女子をそっと地面に寝かせ、準備運動がてら首を鳴らした。


「そうこうしてるうちに、また今回もあっさり終わっちまった。なんだろうね、うまく言えねぇけど、きっと何か間違ってたんだろうな。やっぱり逃げっぱなしの人生ってのは、どこかで必ずボロが出るもんさ」


 イチルの独り言を唖然あぜんとして聞いていた全員が、我に返り、アイツは誰だと叫んだ。しかしイチルは岩肌に腰掛けたまま、気怠そうに話し続けた。


「逃げってのは、結局負け側の論理なんだよ。言い換えりゃ、立ち向かうことなく、煙に巻いて誤魔化すってことだ。俺はずっと何かから逃げてきただけだったんだなぁと、ある時ふと気付かされたよ。多分人ってものは、その先にある何かを掴む為、必死に走っているんじゃないかとね。そう考えると、……情けねぇよな。俺はまだ一度も、そのを掴んじゃいない」


 ペタスが再び剣に炎を灯し、イチルへ向けて放った。

 しかし既にイチルと女子はおらず、貴族らの背後に何事もなく座っていた。


「そこで俺はまた考えた。俺って奴は、どこまでも逃げるしか脳のない人間だ。それはきっと、永遠に変えられないってやつだ。ならどうすればいい。俺がここを抜け出すには、何をすればいい。しかし答えてくれる奴はいなかったよ。ただそんな時にさ……、俺の前に彼女が現れた。そりゃあ、最初は面白半分だったよ。アンデッドで、健気けなげで、まるで見世物小屋の珍獣だ。しかしよく見てみれば、そいつの真ん中には、俺が持っていない絶対的なナニカがあった」


 イチルは青白く光るオーラを身にまとわせながらニィと笑った。


「なにをいつまでもわけのわからないことを。誰だ貴様?!」


「俺が誰かって? なら教えてやるよ。俺は、言い換えりゃ、ただの腰抜けだ。……でもだからこそ、俺のは、絶対にじゃなきゃダメなのさ。逃げて、逃げて、逃げ続けた俺を相殺できるほどの、《逃げない心》を持った奴でなけりゃ、俺のウィークポイントは埋められねぇ」

 

 音速よりも速く貴族の男の目の前に移動したイチルは、隣にいた部下の手元から書面を拝借し、パラパラとページを捲ってみせた。いつの間にと身構えた男たちは、目の色を変えて叫んだ。


「なんなのだ貴様は?!」

「あの子との約束、まさか忘れちゃいないよな?」

「や、約束だと?!」

「このダンジョン最後のギミックは。お前らの誰か一人が、髪の毛一本にでも触れることができたなら、お前らの勝ち。もし触れられなければ――」

「な、何を馬鹿な……」

「彼女の勝ち。残念だけど、ここを渡すことはできない。約束だからな」


 再び指を鳴らし、イチルは穴の上へと移動した。誰一人反応できない様を見下ろし嘲笑ちょうしょうしたイチルは、「早く捕まえてみなよ」と挑発した。


「ぺ、ペタス氏、もう一度アイツを攻撃するんです!」

「いや、攻撃ったって、あんなのどうやって……」

「どんな方法でも構いません。殺してもいい、早くやってしまいなさい!」


 簡単に言ってくれるなと剣を振り上げたペタスは、火属性の魔法を連続でイチルへ撃ち込んだ。しかしどれも虚しく空を切り、まるで見当違いの場所で破裂した。


「何をしているペタス氏。どれだけの金を払っているのか忘れたんですか!」

「ちょっと待ってくれ、なんだよアイツ、意味わかんねぇって」


 蚊が止まりそうなほど遅すぎる攻撃に、イチルは竪穴のへりに腰掛け欠伸あくびをした。

 ダンジョンで長らく命のやり取りをしてきた段違いのモンスターたちに比べれば、一冒険者の攻撃など、イチルにとっては取るに足らないものだった。


「ちなみにアンタ、冒険者のランクは?」

「だ、黙れ、わざわざ敵に教える奴があるか!」

「今後の参考に知りたかったが、確かに一理あるね。聞いた俺が悪かったよ」


 縁から飛び降りたイチルは、腰の道具入れから小さな魔道具を取り出し、指先に装着した。本来は逃亡用の道具でしかないが、素人冒険者を脅かす程度ならこれで十分とニヤけた。


「その昔、手から蜘蛛の糸を出して街を飛び回るヒーローがいてね。いつか俺もやってみたいと思っていたんだが、ま~さか我が一族が同じような物を持ってたなんて驚きだよね」


 指先大ゆびさきだいの魔道具から細い蜘蛛の糸のようなワイヤーを発射させたイチルは、男たちの間を通し、先の壁に当てて付着させた。そして手元のボタンを押せば、回収されるワイヤーの勢いに身を任せ、超スピードで男たちの合間をすり抜けた。


 身動き一つできず、目にも留まらぬ速さで合間を抜けていったイチルの姿に唖然とした男たちは、その圧倒的なスピードと風圧に慄き、尻もちをついた。

 あんな動きをする奴にどう触れろと考える以前に、もしあのスピードの物体が直撃したらと想像せずにいられず、慌てふためいた。


「次は部下の君のノドに当てるよ。次はそっちの君。で、最後は太っちょの急所♪」


 貴族の男が「何をバカな」と息巻くが、圧倒的実力差を肌で感じ取ったペタスは、敗北を悟り後ずさりした。試しにイチルが指先を動かしただけで、あるじである貴族を残したまま、穴の壁をよじ登り逃亡を謀った。


「用心棒が主人を置いていくなよ。お前にとってコイツは……神様だろ!」


 一足で接近したイチルは、貴族の首根っこを掴むなり、逃亡するペタスへ向けて投げつけた。


「ムニョル様ー!」と慌てる部下たちをよそに、ペタスに直撃したムニョルは首をグネっと捻ったまま、ペタス諸共壁にめり込んだ。


「あらら、ちょっとやりすぎたかしら。ま、あれくらいで死なないだろ?」


 気絶しひっくり返った二人を残し、部下たちは尻尾を巻いて逃げていった。

 コイツらを忘れるなと二人を馬車へ放り投げたイチルは、逃げ帰っていく一行にひらひらと手を振った。


「本来ならば、正義は相手方にあるのかもしれない。が、どちらにしても女性には優しく接しなきゃならんぜ。Pretty girlを足蹴にした罪は重い。……まぁ、散々放置した俺も俺だけどさ」


 イチルは何の気なしにポケットに手を入れた。

 偶然指先に触れた吸いかけのタバコに火を点け、ふぅと息を吐いた――



    ◆◆◆◆◆



「――ん、ううん、こ、ここは」


 木材を積み上げた枠に毛布が敷かれただけのベッドの上で、アンデッド女子が目を覚ました。イチルは客人用として使っていたカップに安いクミル茶を入れ、枕元に置いた。


「君のうちだな。まぁ、……今や壊されて吹きさらしの荒野だが」


 慌てて身を起こした女子は、身体の痛みですぐに両肩を抱えてうずくまった。しかし痛みよりも黙っていられなかった女子は、すぐイチルに組み付いた。


「アイツら、お金を取りにきた貴族たちは?!」

「たまたま通りがかった俺に免じて帰った。次はもうないと言っていたぞ(嘘)」

「う、嘘。アイツらがそんなこと言うわけない!!?」

「本当も嘘も、こうして実際に誰もいないんだ。どっちだっていいだろ」

「よくありません。でないと、アイツらにココを取られちゃう!」

「だから大丈夫と言ったろ。……ところでキミ、腹減ってない?」


 女子はそんなことどうでもいいと拒否したが、この数日ほどんど何も口にしていない彼女の腹の虫は黙ってくれなかった。丸一週間、不眠不休で作業し続けた女子の身体は、空腹を思い出したかのように力なく突っ伏し、へなへなと力なく折れ曲がった。


「まずは飯だ。食わないことには何も始まらん。そいつを飲んで体を温めたら、さっさと行くぞ」


 クミル茶を飲ませ、半ば強引にゼピアの街へと繰り出したイチルは、閉店間際の肉屋に飛び込み、適当に料理を注文した。不審者を見るように半身で構えた女子は、異変を感じたらすぐに叫んでやると警戒心を隠しもしなかった。

 運ばれてきた料理がテーブルに並び、イチルは大きなブロック肉にナイフを刺し、口に運び、美味いと言った。物欲しげな表情で肉の行方を目で追っていた女子は、ダメよダメよと首を振り、また素っ気なく視線をそらした。


「早く食えよ。いらないなら全部食っちまうぞ」

「知らない人にご馳走になっちゃダメって言われてるもん。きっと悪い人だからって」

「言い得て妙だな。赤の他人がガキをさらって飯を食わそうとしてるんだ、疑って損することはない。が、とにかく今はそんなことどうでもいい。冷めるぞ、食え」


 ゴクンと喉を鳴らすものの、頑として食べようとしない女子の様子に不審さを覚えた店の主人が、遠目にイチルと女子を眺めていた。仕方なく主人を呼びつけたイチルは、僅かな金を握らせてから、店を閉めて二人にしてくれないかと頼んだ。


「厄介事は勘弁してくださいよ。ただでさえ街の治安が悪いのに」

「食ったらすぐに出る。悪いようにはしないから」


 主人がしぶしぶバックヤードに姿を消したのを見届け、イチルは再びナイフを肉に刺した。警戒心を解かない女子は、未だテーブルの下で手を組んだまま、動こうとしなかった。


親父おやじはいつから戻らないんだ?」

「……」

「質問にくらい答えろよ。取って食いやしないんだから」

「……知りません」


「んなはずあるか。ならなぜキミはあそこに居座ってる。確かに奴らのやり方は汚かった。しかし裏を返せば、それは正当なでもある。キミの父親は奴らから金を借り、金を返さぬまま行方を暗ました。もしキミが居座り続けたいのならば、父親に代わり金を返し、それなりの態度を示すのが義務だ。無理ならすぐにでも土地を明け渡し出ていく。それがルールであり、世の秩序ってものだ」


 シュンと肩を落とした女子もわかっているようだった。

 しかし子供のルールを大人の常識に落とし込むのは難しい。

 駄目だとわかっていても抵抗するということは、もはやそれ以外にすがる手段がないという現実を、暗に示しているのだから――


「返済期限は?」

「……来月末、です」

「やっと答えてくれたな。にしても妙だね、なぜキミはわざわざ今日、あれほどの大立ち回りをしなきゃならなかったんだ。期限は来月なんだろ?」

「返すアテがないなら、今日までに払え。さもなくばランドを更地にするぞって。だけど、もしあの人たちを打ち負かすことができたなら、もう一年待ってやるって。それで……」


 心底不幸そうに沈む女子のアゴ先にナイフで触れたイチルは、「いちいち下を向くな。飯が不味くなる」と睨んだ。ムッとして、ナイフをイチルから奪った女子は、カチャンと音を立ててテーブルに置いた。


「どちらにしろリミットは来月だ。で、返すアテは?」

「……ありません」


「だとしたら、奴らの言うことも一理ある。そんな輩の相手をしても意味がない。ただでさえダンジョンが無くなって大変なときだ。誰しもなりふり構ってる余裕はないのさ」


「だけどお父さんが戻ってきたら!」


「戻ってきたら……? 金を返すアテがあるとでも? 大方、ADで使うモンスターの捕獲にでも行ったまま戻らないんだろ。よくある話だ(※マティス曰く)」


 黙ってしまった女子の口元に肉を刺したナイフを突きつけ、だったらと付け加える。イチルはいよいよ核心に迫った。


「キミ、……いや、は、父親の代わりに金を返す気があるのか? どんなことをしてでも、……命を投げ出してでも、だ」


 口ごもる女子に対し、イチルはバンと態度を豹変させ、「ケッ」とツバを吐きかけた。そして突きつけていたナイフを取り下げ、自分の口へと運んだ。


「即答する度胸もないか腰抜けめ。ブタを相手に死ぬ気で立ち向かったお前の気概、どうやら俺の見間違いだったようだ。……ガッカリだな」


 心底失望したようにナイフを投げ捨て、イチルはくるりと振り返り「じゃあな」と手を振った。もうお前に用はないと言わんばかりに。


 しかしイチルは知っていた。

 その少女が、こんなことで大人しく引き下がるようなではないと――



『 待ちなさいよ! 』



 ガシャンと椅子を倒し、女子がイチルを呼び止めた。

 背を向けたまま悟られぬように笑みを噛み殺したイチルは、腹の底まで馬鹿にしたような態度を振りまき、「お前にゃ無理だね」と言い捨てた。


「そんなこと、やってみなきゃわからないよ。私だって、私にだって、きっと……」


「ムーリムリムリ。下ばっか向いてボソボソ喋ってるような輩にはだね。そもそも今の今までどれだけ時間があった? お前その間、なーにもしなかっただろ。、雑魚中の雑魚だもんな!」


「むぐぅ、勝手なことばかり言って。犬男のくせに!」


「アーッハッハ、犬男で悪かったな。それに、にだけは言われたかないね!」


 自分がアンデッドヒューマンであることを忘れていたのか、もともと紫がかっている肌の色が真っ赤に紅潮した。ずっと長い髪と黒のフードで顔と身体を隠していたものの、怒りを露わにしたことで、初めてその顔を正面から覗かせていた。


「犬だろうがアンデッドだろうが、んなこたぁどうでもいい。やるか、やらないか、二つに一つだ。もう一度聞く。お前は父親の代わりに金を返す気があるか?」


「あるよ、……あるに決まってるでしょ!」


 イチルはテーブルに手をついて前のめりになった女子の頬を指先で摘み、もう片方の手で鼻の穴に指を突っ込んだ。フゴフゴと慌てる顔があまりにもブサイクで、思わず吹き出したイチルは、笑いながらポンと女子の鼻面を押し、床に転がった姿を見下ろし言った。


「だったら返してみろ。テメェの腕一本で、死物狂いで返してみせろ。できなければテメェはお終いだ。……わかるな?」


 モンスターへ向ける語気の荒さで迫れば、相手も自然と息を飲む。

 しかしイチルは知っていた。イチルの目の前にいる少女は、立ち塞がる困難から絶対に逃げ出さないと――



「やるもん。犬男に言われなくたって、絶対に返してやるんだから!」



 口車に乗った女子が前のめりになったところで、イチルは静かに腰掛け、何事もなかったように料理に口をつけた。そして厨房の隙間から恐る恐る覗いていた主人を指で呼びつけ、「酒を瓶で」と注文した。


「今の言葉、絶対に忘れるなよ。お前には明日から死ぬ気で働いてもらう。悪いが俺はそこらのブタみたいに甘くはない。覚悟しておけよ、


 運ばれてきた酒をグラスに注ぎ、一人でチンと鳴らし飲み干した。

 それなのに、女子は未だ事態が飲み込めず、しばし頭の中で噛み砕いてから、当然の怒りを口にした。


「どうして私がアナタのために?! ウチはお父さんのものだし、アナタ全然関係ないでしょ。これ以上、勝手なこと言わないで!」


 女子は自分の状況よく理解しているようだった。しかしそれでなくては話が進まない。イチルは持参した資料をバラバラと嫌らしく床に落とし、傲慢な態度で足を組んでから、天を仰ぎ言い捨てた。


「今しがた、貴族のブタどもと話を付けてきた。テメェの借金、占めて11億と3240万ルクス。俺が全額。よって、今日から俺がランドのオーナーだ。親父おやじも、テメェも、金を返すまでは。わかったら奴隷は奴隷らしく、さっさと飯を食いやがれ。言っておくが、その飯の金もテメェの給料から引いておく。よーく味わって食うことだ」


 ええっと白目になった女子は、散らばった資料に目を通してから、地獄からまた地獄だと泣きべそをかきながら、仕方なく肉を頬張った。嫌らしく笑ったイチルは、最後に残していた質問をした。


「まだテメェの名前を聞いてなかったな。俺に雇われたゴミダンジョンのアンデッド娘、貴様の名前はなんだ?」


 フォークを口にしたまま鋭い眼光でイチルを睨んだ女子は、口の中に肉を余したまま、「ぐげが(フレア)」と返事をした。

 フレアねぇと頷いたイチルは、土地所有者の欄に彼女の名前を記入し、隣に自分の名前をサインした。


「これからどんな生活が始まるのか。今まで以上の楽しみが待っていればいいんだが、くくく」


 最後の一滴まで酒を空けてから、今日は禁酒だったと思い出すも、時既に遅し。

 めでたい夜に飲まない酒などなんの意味があるだろうかとイチルは吹き出した。


「悪いな店主、酒をもう一本頼む!」


 こうしてイチルとフレアの新たな生活が幕を開けた。

 その先にどれだけの苦難が待ち受けているとも知らずに――

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