【004話】ドス=エルドラドの換金所
◆◆◆◆◆
「アンデッド、アンデッドヒューマンと。……あった、これか」
翌朝早くからゼピアの書物庫の戸を叩いたイチルは、女子が口にした言葉の真意を調べていた。
老眼で近くが見えにくくなった目を擦りながら、人種と種族が書き連ねられたカビ臭くて分厚い本を
「種族名、アンデッドヒューマン。過去数千年の歴史の中で、アンデッド属から枝分かれし、ヒューマンと混血することで発生した
道理で聞いたことがないはずだと納得したイチルは、さらに本を読み進めた。
すると興味深い記述を発見した。
本来アンデッド系モンスターは、血液接触を主とした攻撃を受けると一定の割合で呪いやアンデッド化などのダメージが発生するが、アンデッドヒューマンはそれら特異な条件に該当しないという。生態は普通のヒューマンとさほど違いはないとされているものの、詳細な情報は乏しく、ミカレルの手記にもそれ以上の情報はなかったという。
「なんだ、その面白な種族は。ますます興味をそそられるじゃないか」
ダンジョンに住んでいた頃、仕事以外に興味を持てるものがなく、仕事に直結する情報としてダンジョン内外に生息するモンスターの生態や性質を研究していたイチルだったが、どうやら彼女の存在は、そのどれにも当てはまらなかった。
職を失い、暇を持て余した400歳の初老にとって、突然突きつけられたこの偶然以上の興味条件は他にあるだろうか。否、ないと、男は口を真横に結んだ。
分厚い本を閉じたイチルは、ついでにもう一つ調べてみようと、その足で十数年ぶりに、ドス=エルドラドの換金所の扉をくぐった。
中は移転、移設を希望する冒険者や、買い取ったアイテムを換金するために訪れた商人などがごった返しており、街の静けさとは真逆すぎる状況に、イチルは真横に結んでいた口をへの字に変えた。
しかしタイミングよく、立ち尽くすイチルの肩を、何者かがポンと叩いた。
「おう、イチルじゃないか。お前も
イチルが振り向くと、そこにはダンジョン内部従事者向けの金融担当職員であるマティスが、丸眼鏡を布で拭いながら立っていた。
「マティスか。どうしたんだよ、こんなところで?」
「ダンジョンがなくなっちまったんだ。ダンジョン内部専属の担当職員はもうお払い箱ってことさ。今はこうして地上勤務の一担当として配置転換されて、仕事仕事の毎日さ。ま、簡単に職を失わないのが主人のいる金貸し稼業の強みってことでOK?」
「なるほどね。ところで今、時間ある?」
「なんだ、移転届けを出しにきたんじゃないのか。しかしね、こう見えて俺も結構忙しいんだけどな」
わざとらしく客の行列を見せつけ、ハハンと目を細めた。できればそこをとイチルが言うと、わざとらしく両手を開いたマティスは、「イチルはお得意様だからな」と悪態をつきながら奥の個室へと招いた。
表の喧騒が嘘かのように外部の音が遮断された個室に入るなり、イチルは慣れた様子でふかふかな一人がけの椅子に腰掛けた。「少し待っていてくれ」と部屋を出たマティスを待つ間に、イチルはいつかベノムに説明していた野暮用の一つである赤黒く光る魔石を取り出した。
急ぎ足で戻ってきたマティスと共に、マティスの上司と思しき男が一緒に部屋に入ってきた。ペコペコと頭を下げたいけ好かない男は、「自己紹介を」と名前を口にした。しかし興味のないことにトンと頭が働かないイチルは、無表情のまま「はぁ」と受け流した。
「いやはやイチル様、この度はお忙しいところ、足をお運びいただきまして、本当にありがとうございます」
「え、ああ、まぁ暇ですけど」
「ええと本日は新規の融資のご相談でしょうか。それとも換金手続きの件でしょうか。イチル様は当方にとって
前のめりの上司に面倒臭さを感じたイチルは、「マティスと二人にしてくれる?」と据わった目で話しかけた。上司の男は目を泳がせながらマティスに合図し、《くれぐれもしっかりやれよ》とプレッシャーをかけてから、またヘコヘコと頭を下げ、渋々部屋を出ていった。
「そっちも色々大変みたいだな」
「ま、お役所仕事のゴタゴタなんてどこでもある話さ。で、要件ってのは?」
「富裕街から北に数キロ出たところに、ラビーランドって施設があるのを知ってるか?」
「ラビー? いや、知らないな」
「そこについて詳しく知りたくてね。できれば所有者や財務状況も」
「おいおい、無茶言うな。そいつは
マティスが言い終わらないうちに、先の魔石をテーブルに転がしたイチルは、「ならコイツの換金は別の機会に」と素っ気なく言った。
眉をひそめ、軽く震える指先で魔石を手に取ったマティスは、ルーペのような道具でまじまじと調べてから、「意地の悪い奴め」と冷や汗を拭いながら言った。
「何分必要だ。一時間か、それとも二時間?」
「
魔石を手に慌てて出ていったマティスは、ほんの一分もしないうちに息を切らして戻ってきた。手には見慣れない分厚いファイルが握られ、「約束しろ、こいつは絶対に他言無用だからな」と、あらかじめ口止めをした。
紙を
「正式名称はラビーランド。ほんの50年ほど前からゼピアの街外れで営業を開始したアトラクションダンジョンだな」
「ほう。ちなみにアトラクションダンジョンて?」
「なんだ、知らないのか。この世界には二種類のダンジョンが存在する。一つはお前らアライバルが活躍する、超自然的に発生したダンジョンだ。そしてもう一つ。こいつは俺たち人類が作り出した人造のダンジョン、それをアトラクションダンジョンと呼んでいる」
「へ~、そんなのがあるのか。知らなかった」
「へ~って、お前は本当に外の世界に興味がないな。ついでに教えてやるから、しっかりと聞いておけ。ひとえにアトラクションダンジョンと言っても、この世界は意外と奥が深い。まず聞くが、当然
「……知らん。教えてくれ」
「それでよくアライバルが務まってるな。……いいか、イチルやベノムが働いていたエターナルダンジョンは、いわゆる難易度ランク
「だろうな、でないと困る」
「そこで近年重要性を増しているのが、この人造のダンジョン、いわゆる
「なるほどね、人が管理するダンジョンか」
御名答と頷いたマティスは、ダンジョンのランクをつらつらと書き出し、その上から二番目、SSと書かれた部分を指で弾いた。
「もちろん奥が深いと言うには
「そ、そうだな(エターナル以外知らないけど……)」
「しかしここ数年、それを脅かす状況が生まれつつある。モンスターのテイム技術やスキルの応用法が確立され、ここ数十年でADの存在意義と振り幅は一気に広がった。さらに驚くべきことに、五年前、とあるADが突然
「ほ、ほう。そりゃ凄い(……のか?)」
「安全性を知った上でSSランクのダンジョンに挑戦できる。この価値を理解できない冒険者などひとりもいない。たったこれだけのことでも、ADが存在する意義は計り知れないと俺は思ってる。……だがしかし、当然そんな都合の良い話ばかりじゃない。残念なことに、現存するほとんどのADは、文字通りただのアトラクションに成り下がっている」
「ほう、というと?」
「ほとんどの登録されたADは、遊具場として継続しているか、人を集められず廃墟として潰れているかの二択の道を辿っている。で、話を最初に戻すが、イチルの知りたいと言った問題の施設は、
「ゴミ捨て場ねぇ。……で、所有者は?」
「カインズという男だな。しかし資料を見る限り、もう何年も連絡が取れていないらしい。逃げ出したか、行き倒れて死んでいるかどちらかだろうな」
「逃げ出した?」
「多額の借入記録が残っていた。ウチからは僅かだが、他からたんまりと借りていたらしい。相当面倒なところにも手を出していたようだ。権利者の詳細はわからないが、金額を見る限り、そろそろ回収されていてもおかしくないだろう」
なるほどねと頷いたイチルは、おおよその成り行きを理解した。
「最後にもう一つ。そのカインズって人物が
「アンデッド……、なんだって?」
「ならいい。ありがとう、世話になったな」
さっきの換金分は全部新規の預金で頼むよとマティスの肩を叩いたイチルは、人でごった返す換金所を後にした。
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