語り部

真堂 美木 (しんどう みき)

第1話 

 3月に入ったというのに公園内の空気はまだ凛とした冷たさを纏っていた。そのためなのか他に人影は見えず、行く当てもなくここに足を踏み入れた僕は何だかほっとした。普段なら此処は陰気な感じがしてあまり来たくはないのだけれど。


 今日は珍しく母も仕事が休みでいつもよりもゆったりとした気分で一緒に朝食をとっていた。穏やかな一日のはじまりのはずだった。それなのに和やかな会話がいつの間にか僕の進路についての話題となり、僕は母の言葉に耐え切れず家を飛び出してしまった。その時、背後で僕の心の叫びのように乱暴に閉められた玄関ドアがドンッと大きく響いた。


 「もうすぐ高校2年生なのにどうするの。大翔は何をしたいの。大学受験をするならもう準備をしないと、、、」

朝から進路についてまくしたてられた言葉が頭の中でリプレイする。

言われなくても分かっている。

でも、何がしたいのかがわからないんだ。

考えても考えても答えが見つからずに迷路をさまよっているようだ。

 友人達は早々に希望の進路を決めて、「そんなに思いつめなくてもいいんじゃないの」「とりあえずみたいな感じで決めちゃえば」などと軽く言ってくれるがそんなわけにはいかない。

 悶々としながら園内を歩いているといつのまにかあまり見覚えの無い場所に入り込んでしまったようだ。なんていうか、整備されていない森のような感じがする。ここは江古田の森公園といって確かに名前に森が付いているし木々も多くて広い。でも、公園なのでさすがに整備はされているはずなのだけどいつも以上に陰気で薄暗い気がする。


 早く抜け出したくて歩みを進めているとふいにしわがれた声がした。

「危ないよ。迷い込んでしまうよ」

声がした方向を見ると大きな木の張り出した根のところに人が座りこんでいる。

 何故こんなところにこんなお婆さんがいるのだろう。

その小柄で皺くちゃなお婆さんの顔色は白く、今にも倒れこんでしまいそうな気がした。軽く会釈をして通り過ぎようかとも思ったが、何だか心配で放っておく気になれない。

 「お婆さんこそ大丈夫ですか」と声をかけてみると、ニコッと笑って手招きをされた。あまり気は進まないけどお婆さんの傍に行き勧められるがままに隣に座りこむとお婆さんがゆっくりとした口調で話し出した。

 「今朝の空気は冷たいし、日差しもまだ弱い。ここら辺りだけ、、、」と、何か言いかけて止めた後にまた口を開いた。

「まあ、こんな時は焦って動かずに一休みするのがいいんだよ」

そのあとはどうでもいいような世間話をしていたが急に真面目な顔つきとなった。

 「東京大空襲のことは知っているかい」

 「ええ、学校で習ったような。東京の大部分が犠牲になったって聞いた気がします。大勢の人が亡くなったって」

 「そう、1945年3月10日未明の空襲はたった数時間で10万人以上の命を奪った。無数のB29から投下された焼夷弾はその油でそこいら中のものを焼き尽くしたのさ。でもね、所々その脅威から逃れた地域もあったんだよ。」

 「お婆さんはその時には、」

 「ああ、丁度この辺りに居てね難を逃れたんだ。でも、素直には喜べなかった。むしろ自分はあの時に死んでいたほうが良かったとさえ思えた。」と、言うと大きく息を吐き更に話を続けた。僕はただ黙って聞くしかなかった。

 「あの時16才だった私は恋をしていてた。今と違ってあの時代はそんなことは人に知られるのはまずいことで、ましてや戦時下だからへたしたら非国民と責められる。だから、こっそりと会うしかなかった。相手は三歳上の幼馴染だったんだけど肺を患っていて、隔離のためにここにあった療養所に入れられていた。その夜も家族が寝静まったあとに、家を抜け出して施設の裏山で会っていたんだよ。彼は病気を私にうつしてしまうことを恐れて早く帰れと言ったんだけど私は離れたくなくてね。何だかそのまま会えなくなってしまう気がしたから。そうしているうちに空襲警報が鳴り出して爆弾が降ってくる恐ろしい音が響きわたり、瞬く間に夜空が赤い炎で染まっていったんだ。そう私の家の辺りも。家族のもとへ帰ろうとしたんだけど彼は行かせてくれなかった。いや、私自身が恐怖で力が入らなかったんだ。彼に抱きかかえられながらしゃがみこんでいるのが精いっぱいだった」

 「それでご家族はどうだったんですか」

 「夜が明けてから自宅があった場所に向かったんだけど、いたるところが焼け野原になっていて所々まだ火が燻り嫌な臭いが立ち込めていた。なんせあらゆるものが燃やされたのだから。そう、大勢のそこに暮らしていた人たちも、、、、私の家族も」

 「何日もかけて救護所とかいろんなところを探したけど見つけ出せなかった。母親は病弱で妹はまだ七歳だったんだ。年の離れてた妹はいつも私にくっついてきて可愛かったんだよ。それなのに死なせてしまった。私だけが生き残ってしまった」

 「そんな、お婆さんのせいでは無いでしょう」

 「いや、私があの時に一緒に居たら何とか死ななくてすんだんじゃあないかと。いや、どうせやられてしまうにしても私と一緒だったなら。どれほど心細い思いをさせてしまったかと。もしかしたら私を探して避難が遅れたのかもしれないとか、あの日からずっと頭の中をそんな思いが逡巡していたんだよ。」

 「でもね、いつの日からかこの体験を伝えていくことが自分の役目なのかもと思いだしてね。語り部となることが生き残った私の役目なんじゃあないかと。だけどやっぱり話す勇気が無くてずるずると何もできずにこんな歳になってしまった。」

 投げかける言葉が見つからずにいた僕に、お婆さんがゆっくりと息を吐き空を見上げて言った。

 「話を聞いてくれてありがとう。ようやくこれで思い残すこと無く逝くことができるよ」

 「ほら、もう行きなさい。今ならこの森を抜けられるよ。光を目指して行きなさい」

お婆さんの視線の先には太陽の光が道案内をするように差し込んでいた。


 家に帰りしばらくすると離れて暮らす父親が僕を迎えに来た。両親が離婚をしたのは僕が小学校に上がる前のことで現在の二人は友人のような関係に見て取れる。僕は父とは時々会っていたが父の実家に行くことはなかった。だから今朝亡くなった父の祖母、つまり僕の曾ばあちゃんと言われてもどのような人なのか記憶がない。

 「大翔は一緒に暮らしていた頃、曾ばあちゃんにとても可愛がってもらってたのよ。私にも優しくしてくれてたわ。でも、さすがに孫と離婚した元嫁の私は通夜からは無理だわ。明日の告別式は会葬させてもらうつもりだけど。大翔はしっかりとお別れをしてきなさいね」

 母の声を背に聞きながら父が待つ車の後部座席へと乗り込むと、「じゃあ、行ってくるよ」と言った父に「よろしくね。気を付けてね」と母が手を振った。その様子はまるで普通の夫婦のようだ。

 「ねえ、なんで父さんたちは離婚したの」

 「大翔は直球だな」と、バックミラー越しに僕の顔を見た父が言った。

 「ごめん」

 「いや、謝らなくていいよ。父さんは大翔のそういうとこ嫌いじゃないよ」

 「ただ、そのことについては大人の事情とでも言っておこうかな。大翔には申し訳ないことをしたと思っているけど」


いつの間に眠っていたのだろうか。もうすぐ着くという父の言葉に目覚めるとすっかり日は暮れていて、たまに街灯があるくらいの田舎道は暗闇に包まれている。幼いころに暮らしたといわれても自分的には初めての訪問のように感じて少し緊張してきた。

 ほどなく父の実家に到着すると祖母がかけ寄ってきて、これでもかというほど僕を抱きしめた。

「大きくなったね。あんなに小さかったのに。さあさあ、曾ばあちゃんに会ってあげてちょうだい」と、言って祖母が曾ばあちゃんの顔の白布を外した。

 曾ばあちゃんの小さな顔は微笑んでいるようで安らかな死に顔というのだろうか。見つめていると幼いころの記憶が蘇ってきた。曾ばあちゃんの膝の上で抱かれていたことや縁側での曾ばあちゃんとのスイカの種の飛ばしあい、親に怒られるとすぐに曾ばあちゃんのもとへ逃げたことなど次から次へと浮かんでくる。確かに僕はこの家で暮らしていたんだ。


 帰りの車の中で僕は父に告げた。

 「まだはっきりとしたことは決まっていないんだ。でも、人が人らしく生きて人らしく死ぬことができるために何かをしたい。そんな何かを探そうと思う。だからとりあえず勉強はするよ。そして、大学にも行くつもり。」

 「うん、いい顔つきだ」と、バックミラー越しに僕の顔を覗き見て父が言った。


 今朝の曾ばあちゃんとのやり取りは僕の心の中に大切にしまっておくことにする。

「ありがとう、曾ばあちゃん」と、心の中でつぶやくと曾ばあちゃんが微笑んだ気がした。


 

 


 

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語り部 真堂 美木 (しんどう みき) @mamiobba7

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