Season 4. 地獄のクソ地下アイドル編
Side: H & R キクPはボロボロでズタズタでガバガバ
一瞬、コンクリートの地面に座っていた全員の会話が止まった。
予想をしてなかった。
こんな話を持ち掛けてくるのが、こんな男だとは思ってもいなかったからだ。
冬。真夜中。
雲一つない晴れ上がった真っ暗な寒空の下、つらぬくように生える雑居ビルの内側。その隙間にある、行き場のない人間たちが集まる小さな聖域。
私たちがただ毎日、目的もなく適当に集まってるだけの、何もないコンクリートの広場のすみ。
そんな私たちのホームで、いきなり声をかけてきたわけのわからない男。
そいつの顔面を私たちはただ、完全にバカでも見るかのような表情で見ていた。
「……は?」
となりにいた
と同時に、バカにしたような言葉が飛び出していた。
「何? なんで地下アイドル?」
100均の、なんだかよくわからないクソみたいな酒。むちゃくちゃにアルコール度数が高くてっとり早く酔っぱらえる。
そんな地獄のような缶を飲みながら、ゲロを吐き出す代わりに莉桜の口から出たのはクソみたいな笑いだった。
「帰れよ」
「やりたいこと、ないんだろ?」
「は?」
突然の、挑戦的な返し。
酔っぱらった莉桜が、半ギレな声で答えていた。
目の前に立つ、真っ黒なチェスターコートを着た背の低い男。
確信犯みたいな笑いで私たちを見ていた。
若い男だった。コートに突っ込んだままの手。無造作に首に巻いたマフラー。そしてマフラーと同じくらいけば立ったゆるいウェーブの髪。でも一番目に焼き付いたのは、その顔だった。端正な、どちらかというと明らかに女顔をした顔。実際の年齢を推測するのが困難にさせる程、幼く見えた。多分、そんなに年は変わらない気がする。
「なあ。俺、キクチっていうんだよ」
「知らねえし」
無視すればいいのに、莉桜が無駄に反応していた。
酔っているからだ。
まわりで固まっていた私たちは、そろって無視を決め込んでいた。私は別に酔ってない。こんな線の細い男にも、地下アイドルにも興味はない。さっさと消えてくれるのを待ってるだけだ。
そんな全員の反応を無視するかのように、キクチと名乗った若い男が膝をかがめて座り込んできた。
いやな高さだった。
視線が、私たちと同じ高さになってしまった。
「俺、地下アイドルのPやってる。今度売り出すメンバーが欲しいんだよ。こんなところでこんなクソさむいのに帰らずにいんだからさ。やることないんだろ?」
「お前けんか売ってる?」
「売ってる」
男が、マスク越しでもわかるくらいに笑った。
パーカーのフードをかぶった莉桜が、手に持ったアルコール缶をただ指でつまむようにぶら下げていた。
ゆっくりと缶を口につけながら、乾いた笑いで男を見据えた。
「なあ。俺は、お前らみたいなの集めてやってみたいんだよ。こんな、どんなクソだって受け入れるような場所にも溶け込めない、そんなクソみたいなお前らを集めてやってみたいんだよ」
私と
そもそも「所」ですらなかった。集まるための場所すらなく、最初の打ち合わせはカラオケの一室で始まるというくらいのクソさだった。
キクチの集めたのは5人。
その中に、私と莉桜も入っていた。
私は、全く乗り気じゃなかった。地下アイドルなんてろくなもんじゃない。友達が一回やって痛い目を見てやめたのを私は知ってる。ただ同じ施設出身の、施設を出た後もルームシェアをしている莉桜が乗り気になってしまったから、どうしようもなくなって一緒にいるだけだ。
正直、本当のことをいうと莉桜がだまされてるんじゃないかと思って不安だった。だって莉緒はバカだから。
でも私は。
ゆっくりと、その世界に足をからめとられていた。
キクチという男は、思ったとおりに若かった。まだ私たちと同じで、やっと二十歳になったばっかり。そのくせ、その顔に見合わない身を焦がすような野心を持っていた。本当はまだ働くこともできない年にもかかわらず、高校を中退して上京し夜の世界に飛び込んで戦い抜いたキクPは、少しだけまとまった資金を握りしめたこのプロジェクトに文字通り命をかけていた。
私は、本当に、地下アイドルなんてのには興味がなかった。
だが、莉桜は。この小さい時から一緒に生きてきた家族にも近い友だちは、そうじゃなかった。
キクPの熱意と、少なからず増えゆくファンに。少しずつ凍ったような何かが変えられていっていた。
キクPは、思ったよりもまともな人間だった。何よりも、誠実で真面目だった。たった一人、その体一つでこの数年を生きぬいてきたキクPは、その幼くみえる見た目に反して、私たちよりもよっぽど狡猾に生き抜く大人だった。
幼稚で意味不明な、ただマウントをとってくるだけの同年代と男とはあきらかに違う男だった。
私は、正直怖くなっていた。
キクPという人間。そして、キクPによって変わっていく莉桜。身を粉にして活動する二人に、ただ一人傍観するかのように眺めていた私には、その変化していく何かが怖くなっていた。
莉桜と衝突することが増えた。
理由は、わかっていた。
渦中にいる人間には、外の声は届かない。私はそのことを知っていた。何も見えなくなっている莉桜には、私の声は届かない。たとえどれだけ一緒に過ごしてきた仲でも、一度熱をもってしまった感情には、理性は何一つ力をもたないことを私は知っている。
私は、静かにルームシェアを解消した。
私は、地下アイドルをいつの間にか辞めていた。
私とハルがけんかするのはいつものことだった。
でも今回は違った。最後のけんかの後、ハルが部屋をでていったのは半年も前になる。こんなに大きなけんかになるなんて、思ってもいなかった。でも私は引けなかった。引くわけにはいかなかった。
病院から電話が来たとき、私は何も考えられなくなっていた。
私はもう、電車を降りた瞬間からずっと走っていた。
西武新宿を出て歌舞伎町へ。
この先にある、大久保病院に行かないといけない。
走りながら手の甲で無理やり涙をぬぐった。
私はバカだ。なんでもかんでも自分で得たような気持ちになっていた。でも違った。そうじゃなかった。
キクPは、本当にいいやつだ。普通の地下アイドルならきっともう、とっくにこんなの辞めてる。
地下アイドルなんて、クソキモイ連中に抱きつかれるのが仕事だと思ってた。承認欲求のかたまりみたいな、そのくせ「ここしか居場所がない」連中同士で足を引っ張りあう。いい曲を作ってもらうのも、ライブの枠にねじ込んでもらうのも、そのためなら枕だってやるのも当然の世界だと思ってた。
でも違った。クソみたいなファンからの絡みも、売り込みのための営業も、キクPがいつも防波堤になってくれていた。
そうじゃなかった。私が知らなかっただけだ。
一人で耐えられるわけがなかった。私がただ甘えていただけだった。
私たちが体をはらないで済むように、陰でキクPが体を張ってくれていた。私たちが限界を迎える前に、とっくにキクPの純潔は限界だった。私たちがファンサでズタズタになる前に、キクPのうしろはもう完全にズタズタだった。私たちの倫理観がガバガバになる前に、キクPはもう再起不能なくらいにガバガバになっていた。
大久保病院の肛門科から緊急入院の連絡が届いたとき、私はどうしようもなく泣いた。
のどが熱い。
凍えるような空気が、私ののどを切り裂くように張り付かせる。
人ごみが、邪魔でしょうがなかった。
病院へ走りながら、私はたった一人の親友ハルへ涙をかき分けながら通話をかけていた。
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