最終話 埼玉県にも素晴らしい水があった

 その夜、自宅に帰った僕は考える。

 キーワードは硬度。そして荒川と多摩川だ。

 結局荒川は硬度が高く、多摩川は硬度が低いという一言に尽きる。所沢の水道水の硬度が高いのは九割を荒川に頼っているからだ。

「でも所沢の地下水の硬度は低いんだよな……」

 林語さんは言っていた。所沢の地下水は素晴らしいと。

「それって、まさか!?」

 何かが閃く。直観に導かれるまま僕は机の上に地図を広げた。所沢と荒川そして多摩川の位置関係を確認するために。

「思った通りだ。そういうことだったのか……」

 自然と笑いが込み上げて来た。僕達は物事のしか見ていなかったのだ。

「だったらやることは決まっている」

 僕は週末、林語さんのために自転車を走らせたんだ。


「おはよう!」

 月曜日の朝、教室の林語さんに挨拶をすると彼女の机の上に三本のペットボトルを置いた。

「この水って?」

「林語さんの願いを叶えられるかもしれない水だよ」

 鼻息を荒くしながら僕は説明する。

 まずは一本目。右側のペットボトルを手に取りラベルを彼女に向けた。

 ――新座の元気「森透水」。

 所沢市の隣りの新座市の深さ二五〇メートルの井戸から取水された地下水だ。

「注目して欲しいのは硬度なんだ」

「58だ! ボルヴィックとほぼ同じ……」

 林語さんはこの水の存在を知らなかったようだ。その証拠にラベルをまじまじと眺めている。

「そして真ん中のは朝霞の雫。これも地下水だ」

「へえ、こっちの硬度は55ね。ちょっと低いのが気になるけど……」

 そう言いながらもラベルを眺める彼女は嬉しそう。その笑顔に週末の苦労が報われるような気がした。

「でもなんで? 新座も朝霞も所沢より荒川に近いのに、硬度がこんなに低いの?」

「それはね、武蔵野台地の地下には多摩川の伏流水が流れているからなんだ。地上では立川断層の影響で南に進路を変えちゃったけど、地下水の流れは真っ直ぐ所沢に向かっている」

 そうなのだ。林語さんは山口貯水池の水に固執していたけど、そんな地表の水に惑わされる必要はなかったのだ。

 多摩川の伏流水は自然の摂理に従って流れている。その恩恵は、埼玉や東京という人が作った垣根に邪魔されることはない。

「ありがとう武佐君。本当にありがとう。私、埼玉や東京ばかりに気を取られてた」

「林語さんが喜んでくれたら僕も嬉しいよ」

「それで最後のペットボトルは何? ラベルが貼ってないけど」

 これはもう必要ない。最初の二本で駄目だった時の保険だったから。

「もういいんだ。林語さんがさっきのを気に入ってくれたら用無しなんだ」

「そんなこと言わないで教えてよ」

 顔が近いよ林語さん。そんな魅力的な笑顔で迫られたら断れないじゃないか。

 そして今度は僕がもじもじする番となったのだ。

「これはね……僕の家の水道水……なんだ。ほら、林語さん山口貯水池の水が飲みたいって言ってたから……」


 その日以来、僕はペットボトルに水道水を詰めて学校に通っている。

 だって彼女が毎日飲みたいって言うものだから……。



 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

山口貯水池の水は何処へゆく つとむュー @tsutomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ