第6話 血色の瞳の魔女

 ふと目を開けると辺りは明るくなっている。どうやら眠ってしまったようだ。祐治は軽く伸びをして、木から飛び降りた。以前なら怖気づいてしまうような高さだが、今の体なら問題なかった。意図的に着地の衝撃を逃がす必要もなく、簡単に降り立つことができた。

 これから先にどうなるのかはさっぱり祐治にはわからなかったが、少なくともこの森で野垂れ死ぬのは嫌であった。何としても森を抜けなくてはならない。もちろん方角などは全くわからないが、このまま立ち止まっているよりは闇雲に歩くくらいの方が遥かに希望があるように思えた。


 祐治が歩き始めてしばらくすると、木々の奥に人の影が見えたような気がした。もしかしたら二足歩行の獣かもしれない。単に木か何かが揺れたのかもしれない。だが、祐治にはその胸の高揚を抑えることができなかった。もし人間だったら、森の外への道を知っているかもしれないのだ。

 祐治は木々の中を全速で駆ける。悠々とそびえ立つ何本もの木が行く手を阻み、自由に走られないがそれでも全力で。

 その影に近づき、祐治は確信した。間違いなく人だった。身長的に大人の男性だろうか。背中には長い棒状のものを担ぎ、ランチでも入れそうなバスケットを持っている。


「おーい、そこの人―!」


 声を上げてその男性に呼びかける。男はすぐさまバスケットを投げ捨て。背中の棒を手に取りながら振り向いた。端を右脇に抱えるように持ち、もう一端は祐治に向けている。そして棒の中ほどを支えるように下から左手を当てていて――祐治は反射的に横に飛び退いた。そのまま不格好に転がって、木の後ろに隠れる。

 祐治は恐る恐る覗き込み男の様子を窺う。自分の判断は間違っていなかったようだ。男の持っているそれはレトロさを感じさせる長銃だった。

 男と目が合う。男はそれで撃ってくるわけでもなく、銃を下ろして近づいてくる。人の良さそうな男だった。30歳くらいだろうか。


「あーすまんすまん。つい反射的に……」


 そこまで言って男は言葉を途切れさせた。

 だが、どうやら敵意は無いようで、話も通じそうである。祐治は立ち上がり、木の後ろから体を晒す。


「いやいや、こっちもいきなり驚かすような真似してすみません。で、実は俺……」


 バーン、と破裂するような音が響いた。そして祐治は胸を貫くような衝撃を感じ、体が後ろにふっ飛び背中から落ちる。

 男が構えている銃から登る煙を見て何が起きたのかはすぐに理解できた。撃たれたのだ 。


「ぐぅ……!!ああぁあ!!!」

「……赤い瞳。魔女か、男ってことはその下僕か……運がいい。これであいつを……」


 祐治は激痛に悶えながら、胸を抑えて男を見上げる。逃げ出せるような状態ではない。

 男の表情は一変していた。人間に向けるような目ではない。害獣を狩る狩猟者のように冷たい目をしていた。


「くそっ……どうして……」

「血が出ていない……穢らわしい化物め。生意気に人の姿なんてしやがって……」


 男は飛ばされた祐治に近づきながら次の弾を込め、銃を向けてくる。距離は5メートルもない。混乱した頭で祐治は死を覚悟して目を閉じた。せめて自分が殺される瞬間は見たくなかった。やるなら何もわからない内にひと思いに殺して欲しい。


「死ね」


 冷たい呟きと同時に火薬が爆ぜる音が響いた。そして甲高い金属音。だが、衝撃は来なかった。代わりが感じたのは地面に何かが落ちるような揺れ。祐治が目を開けると、目の前には壁ができていた。白くて透き通る水晶のような壁。


「……残念だが殺させてやるわけにはいかんのじゃ」


 頭上から幼い子供の声がした。見上げると壁の上にリルリーシャが立っていた。ボロボロのローブに剣を持っている。そして目の前のこれが壁ではないことに気付く。眼の前のこれは大量の剣だった。片手では扱えないような幅広の大剣が数え切れない程地面に突き刺さり、壁を作っている。これもあの剣とかナイフと同じなのだろうか。


「どう、して……」

「今は黙っておれ。心配するでない。その程度でお主は死んだりなんてせんのじゃ。痛みもすぐに……」


 リルリーシャが言い切る前にまた銃声が響いた。同時にリルリーシャが剣を振り、金属が弾かれるような音。


「……引くじゃろう。さてお主、どうする?」


 リルリーシャは平然と振り返った。彼女にとってこれくらいのこと大したことではないのだろう。銃で撃たれたというのに動揺した様子は一切見えなかった。一方で男はそうもいかないようだ。

 裕治が剣の隙間から覗くと、男が銃を構えながらも、後ずさりしながらリルリーシャを見上げている。銃弾を弾くという人間離れした光景を見せられて愕然としているようだ。

 返答のない男に対し、リルリーシャが優しげに言葉を続ける。


「私はのう、血色の瞳の魔女だなんて言われておるが大したことはできぬ。少し刃物の扱いが上手くて……」


 そう言ってリルリーシャは剣を男に向けた。それを合図のように地面に突き刺さっていた剣が3本、重力が逆になったかのように地面から浮く。そしてリルリーシャの腰の高さ程まで上がるとくるりと倒れるように回転し、刃先を男に向けた。


「せいぜいそこらを赤く染めるのが得意なくらいかのう。それこそお主たちが言うこの瞳のようにな」


 そう言ってリルリーシャは小さく笑う。この場には不似合いな悲しげで、自嘲的な笑みだった。

 そしてその彼女の口調も温和だが、行っていることは事実上の威嚇であった。リルリーシャが本当に宙に浮いた剣すらも自由に扱えるのなら、それらの剣が何を意味しているのかは明白だ。


「だが、今はそういう気分でもない。だからお主に選択肢をやろう。私と戦うか、このまま立ち去るか。そうじゃな、私は寛大だから次の弾を込めるまでは待ってやるぞ」


 それを聞いて男は我に返ったようだった。体がビクリと小さく跳ね、銃を握り直す。そして更に距離を取るように少しずつ後退りしていく。だがすぐに判断を下す余裕があるようには見えない。きっとそれは脅威から少しでも逃れようとする生存本能による行動なのだろう。


「ところでお主、早撃ちは得意なのか? いや、お主の弾丸と私の剣、どちらが早いのか気になってな。銃は使ったことないが、弾を込めた瞬間に撃てるというものでもあるまい。短銃ならまだしも、その銃は大きくて扱いにくそうじゃのう」


 狙いを付け直す間に剣が男の体を穿つ。そう言いたいような素振りだった。男の視線が銃に向いた。


「それから……私はお主の銃弾を弾いたが、お主は私の剣を防げるのか?」


 大げさに抑揚を付けながらリルリーシャが言葉を続けた。彼女の幼い声色と、それに不釣り合いな口調も相まって子供が劇の台詞を読むかのようだった。


「まあ、見てもないのに判断するのも難しいじゃろう。1発放ってやるから、それを見て決めるがよい」


 リルリーシャは軽く剣を振り上げ、指揮を取るかのように男へ向けた。その瞬間、宙に浮いていた剣の1本が男の足元に突き刺さる。降り積もった雪に氷柱が突き刺さるかのように滑らかに、深く。

 側から見ていた祐治にはなんとか目で追うことはできたが、反応して避けられるような速さではない。現に狙いが少しでも狂っていれば足を貫かれていたというのに、男は一歩も動けていなかった。


「そろそろ決断できるのではないかのう? ここで引くか、それとも私の首にかかった賞金を狙うのか」


 そのリルリーシャの表情は余裕に満ちている。まるで全てを理解した上で子供にものを教える教師のよう。一つ一つ丁寧に問題のヒントを与え、今まさに結論へと導こうとしている。


「……っくそぉ!!」


 男が背を向けて駆け出す。堰が切れたように勢いよく、迷いなく走っていき、すぐに見えなくなった。

 リルリーシャは剣の上からそれを確認して小さくため息を吐いた。そしてその瞬間、壁が輝き、砕けた。滝のふもとの水飛沫のような、キラキラとした雫が辺りを包み、そして全て消えていく。残ったのは魔女一人だけ。

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