だから令嬢は脱出した

山吹弓美

だから令嬢は脱出した

「母親が異なるとはいえ自身の妹に対して悪しざまに罵ったり、所持品を奪うなど酷いものだそうだな。お前の態度は」


 わたくしと第一王子殿下の婚約発表パーティであったはずの場で、殿下はそうおっしゃいました。その隣にはわたくしではなく、後添えとして父の妻となった夫人の娘であるゾディアが寄り添っております。

 まだ開会の乾杯に至ってはおりませんので父と、現在の父の妻はまだ顔を見せておりません。殿下のお父上、つまり国王陛下もまだこちらにはいらしておりません。どうやら、タイミングを見計らっての殿下のご発言のようですね。

 わたくしの母が身罷って半年の後、喪が明けて間もなく現在の夫人とゾディアは我が公爵家に入りました。わたくしより一つだけ年下のゾディアは、母の生前から外に囲っていた現夫人の娘であり間違いなく自分の娘でもある、と父は断言したのです。

 ……まあ、実際のところはわたくしには分かりかねますが。


「お前との婚約をここに解消し、代わりにお前の妹であるゾディアを新たなる婚約者とする。既に我が父、そしてゾディアの両親である公爵家当主夫妻からの許しも得ている故、この場で発表させてもらった」


「ごめんなさいね、お姉様」


「俺は優しいからな。お前が自主的にこの国を出ていけば、兵を持て追うことはやめてやろう。そうでなければこの場で捕縛し、貴族の娘としてあるまじき行為に及んだ罪を裁くことになる」


 それはともかく、殿下はとんでもないことを多くの客人の前でおっしゃいました。声を張っておられますから、この場におられるほとんどの方に聞こえたのではないかしら。

 ああ、つまり面倒事をまとめて処理するためにわたくしは多くの方々の前で、異母妹を虐める姉だと罵られたわけですか。邪魔者を排除するためにろくでもない姉だと言われて、何やら罪を被せられて、国の外に放り出される、と。


「……ふう」


 まったく、もう少し穏便に物事を運ぶということを覚えていただかないと。いくら第一王子とは言え愛妾の子として不利な状況の中、我が公爵家の後ろ盾をもって王位継承権争いに勝利したいのであれば、このような恥ずかしい所業に及ぶべきではありませんでした。

 もっとも、たった今わたくしには何の関係もないことになってしまいましたけれどね。ひとまず、返事だけはいたしましょう。


「婚約の解消については、承知いたしました。殿下のお慈悲に深く感謝し、わたくしはこの国を出ていくことにいたします」


「う、うむ、よかろう………………あ、待て」


 あら。

 一度は頷いてくださったのに、殿下はまだ何か不服でいらっしゃるのでしょうか?

 それからゾディア。愛しい方に寄り添うことができて嬉しいのは分かりますけれど、せめてもう少し朗らかな笑顔になさい。今のあなたはどう見ても、悪巧みが成功して喜んでいる子供ですわよ。


「国を出るにしても、この場でゾディアに謝罪するべきであろう。妹に対し、ろくでもない悪意を向けた詫びを」


「詫びることなどございませんよ?」


 先ほどから殿下は、わけのわからないことをおっしゃっておられます。要するに、ゾディアがわたくしから殿下を奪うために並べ立てた嘘偽りなのでしょうね。

 そっくりそのまま、事実に修正した上でお返し申し上げましょう。


「母親が異なるとはいえ自身の姉に対して悪しざまに罵ったり、所持品を奪うなど酷い態度をとる妹に対して何を詫びねばならないのですか?」


「なっ」


 あらあら。ひどく狼狽しておられるようですけれどまさか殿下、本気でゾディアの言葉を信じておられた……のでしょうね。ええ。

 それとゾディア? いくら殿下からお顔が見えないからと言って、露骨に歪めてはいけませんよ。ほら、参列してくださっている方々にはあなたの、とても禍々しい表情が丸見えですもの。

 さて、邪魔者であるわたくしは退場させていただきましょう。わたくし、殿下の仰せに従って急いで国を出なくてはいけませんものね。


「それでは、失礼いたします。殿下、妹とその母君と仲良くなされませ」


「な、なに?」


 あらいやだ、うっかりはしたないことを口走ってしまいましたわ。まあ、それで殿下がうろたえておいでですし、ほんの僅か時間は稼げたかも知れませんが。




「お嬢様」


 会場は、王城の中にあるレセプションホールでした。何しろ、第一王子殿下の婚約発表パーティですからね。

 その表玄関ではなく、使用人が利用する通用門まで出たところで、わたくしの専属侍女が小さなカバンを持って待ってくれていました。

 そのすぐ向こうには、地味な馬車がいつでも出られるように準備してあります。御者席に座っているのは、これもわたくし付きであった執事の青年。


「宝飾品は全て持ち出しました。それ以外のものは、馬車に積み込んであります」


 侍女はカバンを持ち上げて、そう言ってくれました。ゾディアがわたくしのもとから持ち出した全てを、どうやら回収できたようです。……ああ、殿下は入りませんよ?

 そういえば、わたくしのもとからあの子が持っていったアクセサリーを今日はまるでつけておりませんでしたわね。本日ゾディアがつけていたのは、殿下がお与えになったものでしょう。どこから金が出たのやら。


「いつでも出られます。どうぞ、お嬢様」


 わたくしたちが乗り込んだらすぐに出られるよう、執事は馬車から降りません。ええ、すぐにでもわたくしはこの国を離れなければいけませんものね。


「ありがとう。殿下より、自ら国を出れば追っては来ないというお言葉をいただきました。まあ、お守りいただけるとは思えませんが」


「少なくとも、胸を張って国を出られるわけでございますね。もっとも、出国に何の問題もないよう手配はしておりますが」


 殿下のお言葉を大雑把に伝えると、侍女は朗らかに笑ってわたくしに手を差し出してくれました。彼女の手を借りて馬車に乗り込み、そうして侍女も乗ってきます。


「では、急ぎましょう。お願いね」


『はっ!』


 わたくしのお願いに、二人は快い返事をくれました。そうしてすぐに馬車は動き出し……わたくしたちは、数日をかけて隣の国に脱出いたしました。

 侍女の言ったとおり、違法な出国ではございませんわよ? これでも公爵家の娘、周辺国には少々つてがあります。こちらの国には亡き母の身内がおりますのでね、そちらへのご機嫌伺いということになっております。




「お父様が離婚なさった、のですか」


 お母様の縁戚である公爵家に無事到着し、お世話になることになってからほんの半月後。

 その情報は、あっという間に隣国のこの地までやってまいりました。……いえ、こちらでの権力者の一角ですし、そういった情報が送られてきても驚きませんか。


「後妻の不貞が明らかになった、とのことです。ゾディア様に関しても公爵家の血を引く者か怪しくなりましたので、詳細に調査するということになるそうです」


 ものすごく不機嫌そうなお顔で報告をくれた執事は、概要を読み上げたあと報告書をテーブルの上に置いてくれました。まあ、ちょっとした分量がある報告書ね……もしかして、あの女の不貞相手の情報なども入っているのかしら。

 それにしても、これまでバレなかったのにいきなりですわね。わたくしがいなくなって、お父様も思うところがあったのかもしれません。主に、公爵家の行く末について。

 ……あ、そういえば。


「明らかになった不貞のお相手、ってどなたかしら」


「はい。詳細はそちらにありますが使用人や出入りの商人など、ですね」


「まあ、複数いらっしゃるのね。……ああ、殿下についても報告されているわね」


 報告書の中には、やはりあの女が公爵夫人になってから睦み合ったお父様以外の殿方について記されていました。その中には、第一王子殿下のお名前も。ええ、ゾディアと結ばれたあの、第一王子殿下です。……まだ婚姻してはおりませんでしたか。

 殿下は、婚約者であったわたくしに会うためと称して公爵邸を訪れてはゾディアとの逢瀬を楽しんでおりました。そこまでは構わないのですが、その後。

 どうやってあの子の目をかいくぐったものか、殿下はゾディアの母親ともこう、楽しんでおられました。男と女、として。


「わたくしは知らぬ存ぜぬ、で通せばいいのでしょうね。いくら何でも、あのような場所で家の恥を口にすることはできなかったもの」


 いくらはしたない妹であっても、自分の母親とも男女の仲になっている殿方を夫に持つのはどうだろう、と思ったのです。

 けれど……あれだけ多くの方々の前で、現在の公爵夫人が事もあろうに第一王子殿下とわりない仲になっているなどという事実を公にはできませんでした。

 殿下に関しては、既に愛情も何もございませんので知ったことではありません。ですがお父様、現公爵家当主が妻を王子に寝取られたなんてことが知れ渡れば公爵家は……まあ、無事では済まないでしょうね。

 醜聞の元は、お父様が自身の妻を自分に繋ぎ止められなかったことなのですから。


「お嬢様のご判断、賢明だったと思います」


「ええ……というか、お父様にお伝えしたところで、わたくしを信じてくださるとはとても思えませんでしたから」


 結局わたくしが口をつぐんだ理由は、そこにもありました。

 お父様は気の多い現夫人にとかく夢中で、その娘であるゾディアにも何かと心を砕いておられました。けれど、国王陛下のお側に仕えるお忙しい身……屋敷でどのようなことが起きていたのか、知るすべはなかったようです。

 わたくしには今もそばにいてくれる侍女や執事がおりましたから、特に問題はありませんでした。ただ、家にいた頃のお父様にわたくしが事実をお話したとて、お父様はそれを信じることはなかったでしょう。

 せいぜい、わたくしがやきもちを焼いて嘘をついたと思われるくらいですわね。最初の頃、ゾディアがわたくしのドレスやアクセサリーをやたらと奪っていくことを伝えたときの反応がそれでしたから。


『あの子も姉ができて嬉しいんだよ。殿下とばかり仲良くしないで、ちゃんとかまってやりなさい』


 などとおっしゃってましたわね、ええ。あなたの方こそ、やっと家に入れられた夫人にかまってさしあげればよかったのに。


「殿下と睦まじくなさった翌日……少なくとも数日以内には、必ずお父様とも睦まじくしておられましたからね。万が一子を孕んでも、公爵家の子だと言い張れるように」


 はあ、と大きくため息をついてしまいました。はしたないけれど、これが今のわたくしの本音ですわ。まあ、その後子は出来なかったようなので、それはそれで良かったのですが。

 報告書を数枚めくると、不貞の影響が記されていました。夫人は病死……ということになったようですわね。表向き。

 お父様は公爵位こそ奪われませんでしたが領地を縮小され、国王陛下のお側にあった職をお役御免となりました。

 使用人は公爵家を叩き出され、出入りの商人は王都に入ることを禁じられ、第一王子殿下は……王位継承権も王族としての籍も失い、ゾディアと共に僻地に放り出されたとか。まあ、二人で生きていけばよろしいでしょう。

 公爵家に嫁いでなお、複数の殿方と褥を共にする女が、独り身であったころにそうでないはずがないというところから、様々に調べられた結果……ゾディアもまた、公爵家を追われたのです。


「ゾディアの父親は、お父様ではなかったようですね」


「お嬢様と一滴も血がつながっていなくて、私は喜んでおりますよ」


 にこにこ笑いながら侍女が、お茶を淹れてくれました。まあ、正直に言えばわたくしもですが。

 その辺りについての調査結果が、ここにありました。わたくしには詳しいことは分かりませんが、身体や魔力などを調べることで親子関係はある程度判明するのだそうです。

 ……お父様、ゾディアを引き取るときにそういう調査されなかったのですね。何と愚か。


「そうね。ああ、後でお父様にお手紙を出すからよろしくね」


「帰還要請の拒絶、でございますね?」


「もちろんよ」


 侍女がわざわざ内容を確認するまでもないけれど、自分の意思をはっきりさせるためにわたくしは頷いてみせました。

 ゾディアがお父様の娘でなかった以上、現在公爵家の跡を継げる者はわたくしのみ。……まあ、縁戚から養子を取ればその限りではありませんが、この状況で家を継いでくれる者はいないでしょうね。わたくしも含めて。


「幸い、こちらで養女にしていただける手続きは進んでいますし」


 お父様、その妻であった人、娘であったゾディア、そして元第一王子殿下。彼らの犯した罪の後始末を、わたくしがする気はございません。

 第一王子殿下とゾディア、その母親の仲を知ってから、わたくしが国外脱出に向けて策を練り手回しをしていたのはこのためですもの。いくら実家とはいえ、わたくしの咎ではない事情で沈む船に乗り続けるのは得策ではありませんから。


「ああ、お茶のおかわりをちょうだい。さすがに祝杯には、まだ時間が早いもの」


「はい、お嬢様」


「あなたたちも、構わないわよ。お祖父様から頂いたお茶菓子があるから、皆で分けましょう」


「ありがとうございます、お嬢様」


 わたくしと、侍女と、執事でのんびりとお茶を楽しむ時間。

 国境の向こう側で自分たちの愚かさ故にあたふたしておられる方々がいらっしゃるのを、楽しむことにいたします。

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