第8話 諏訪攻略へ画策す

 遂にこの時が来た。


 晴信の代になって初めての国外出征である。


 (甲信国境での緊張が高まっている。民を守るためにも、先手を打たねば)


 私がじっと見つめる先は隣国、信濃国の諏訪地方。

清らかな水をたたえる諏訪湖がある地域だ。


 「殿、ご武運を」


 出陣間近の私に力強く声をかけてきたのは、正室の三条夫人。

その隣には幼い長男の太郎がちょこんと体を寄せている。


 「ああ、そなたも暑さで倒れないようにな」


 「私は暑さに慣れております、なにせ京の育ちですから」


 そう、三条夫人は京(現在の京都)の貴族、三条氏の娘であり

私の許へ嫁いできたのだ。

 三条夫人は甲斐国に来た当初、あまりの田舎ぶりに言葉を失うほどだったが、

唯一の共通点はどちらも盆地で夏は暑く冬は寒いということだったのである。


 「太郎、私がいない間は昌辰を頼るといい。昌辰は文武両道で

様々なことを知っているから勉強になるぞ」


 そういって私は重臣、上原昌辰の方を見る。


 すると、留守居役の昌辰は笑みを浮かべながら頷いた。


 (いつもは硬くてしかめっ面ばかりしている頑固爺だが

子ども相手には弱いものだな)


 私は生まれて初めて上原昌辰の笑顔を見た気がする。

子どもの力は絶大だ。


 「父上、絶対に勝利してきてください」


 と私に声をかけてくる太郎の可愛さといったら・・・!

思わず私も表情が和らぐ。


 「ああ、約束だ」


 こうして、私は三条夫人や太郎、そして上原昌辰らに見送られて

甲斐国躑躅ヶ崎館(現在の甲府市)を発った。


 目指すは諏訪頼重が治め、諏訪大社がその威厳を守護する地、諏訪。


 諏訪氏は信濃国の一部である諏訪地方を治める豪族で

その当主は代々神職である大祝おおほうりを務める名族だ。

 諏訪氏を敵に回すのだから、諏訪大社の祭神「諏訪大明神」を

敵に回すようだが、晴信は諏訪大明神の臣下であるとアピールするために

様々な手だてを催した。


 まず、行ったのが諏訪家の当主、諏訪頼重が大明神のためになっていないと

アピールすることである。


 「諏訪頼重はろくに政もできず、家中の分裂を引き起こしている。

このようなことを大明神様が了承しているはずがない」


 ここで上がった家中の分裂は諏訪氏とその分家である

高遠氏の対立のことである。

 だが、実際に高遠頼継をウラで煽っているのは晴信なのだが。


 そしてもう一つが諏訪家臣団の調略だ。


 古くから武田家と仲が良く諏訪大社の神職の一つ、神長(かんのおさ)

を代々継承する守矢氏の当主、頼真を味方につけることに成功した。


 さらに前途の通り諏訪氏と対立する高遠頼継も味方につけ、

諏訪頼重は多くの人々に見放されている、という印象を作ったのである。


 また、武田家自体古くから諏訪大社に布施をする檀那を務めており

これも継続することで諏訪大明神が味方にあるというのを印象付けた。


 だが、これでもかと念を押すのが晴信の性格。

遂には本陣の旗に「南無諏訪南宮法性上下大明神」と書かれたものを採用。


 「私は諏訪大明神を信仰している」ということを

旗印でもアピールしてしまったのだ。


 さぁ、ここまでやったのだから、後は決着を付けるのみ。

と言いたいところだが、既に決着はついているのだ。


 守矢氏など多くの家臣が離反した諏訪家に勝ち目はない。

さらに諏訪の民も多くは晴信の進軍を歓迎している。


 (これこそが私の戦いだな・・・)


 と戦う前から自画自賛する晴信なのであった。

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戦巧者 武田伸玄 @ntin

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