2.彼女は幸せか?

 一分後、白ワンピースの女性はクルマの後部座席に座っていた。彼女の予言めいた謎言葉に、オカルト好きのケースケがいたく感動した結果だ。彼は持てるナンパスキルを総動員し、スムーズに女性をクルマに誘導してしまった。それはまるで牧羊犬が羊を柵に追い込む光景に似ている、夏樹はそう思った。


「コイツが夏樹で、俺がケースケ。キミは?」

 海へ向けてクルマを走らせる最中、牧羊犬のケースケが盛んに話しかける。

「ミズキ」

 女性が涼しい声で名乗った。相変わらず顔はよく見えない。バックミラーに映る髪型は、おそらくショートボブ。声のイメージから、たぶん美人。

「ミズキさんか。海へは何しに?」

「海へ行って、死にます」

 それを聞いたケースケが無言で両手を額に当てる。夏樹が横目で見やると、彼は口の動きで言っていた。

(やっぱ地雷だわー)


「死ぬって、ただごとじゃないね」

 夏樹が会話を引き取る。

「もう決めたので」

「彼氏とケンカした?」

「まぁ……そんなところ」

「図星か。ははぁん。ケンカしてクルマから降ろされたな」

「私から降りるって言いました!」

「主導権持ってるなら死ななくていいじゃない? 振られたのは彼氏の方でしょ」

「もう決めましたから」

 彼女はなかなか強情だ。


「大丈夫だって。死ぬ死ぬって言うヤツほど死なないから」

 ケースケが会話に復帰してきた。

「詳しそうだな、ケースケ」

「まあな。俺の経験から言ってそうだ」

「ほぉ。詳細聞こうじゃないの」

「いずれな」

 そんな二人のやり取りをミズキは黙って聞いていた。


 やがて海に到着すると、夏樹は砂浜沿いにクルマを止めた。

 夜明けまでまだ間がある。


「俺、コーヒー買ってくるよ。を三人で飲もうぜ」

 そう言い残すとケースケは、勢いよくドアを開けて車外へ出た。

「ブラックで頼むわ」

 夏樹が彼の背に向かって言付けたとき、すでにケースケは駆けだしていた。国道へ二百メートルほど戻ったところに自販機があるのだ。


「波打ち際まで行ってみない?」

 夏樹はミズキを外に誘い出す。

 冒頭の出来事はそうして起こった。


 ◇


 コーヒーを飲み終えた三人が砂浜沿いに止めたクルマに戻ると、水平線から昇りはじめた朝日が一面を照らし始めていた。周囲が明るくなるとともに、ミズキの言動も明るい方へ傾き始めた。もう二度と彼女の口から死を聞くことはなくなった。やはり悩み事は暗い夜ではなく、太陽の下で考えるべきなのだ。


「こんなにカラフルだったのね」

 夜の間は見えなかったクルマの派手なデザインに、ミズキが驚く。彼女は夏樹のクルマに貼られたステッカーを指で触れてゆく。オイルメーカー、クルマメーカー、チューンパーツメーカー、大学自動車部のオリジナルまで色とりどりのステッカーが、ボディのいたるところに貼ってある。


「これ競技用?」

「いや公道を走れるロードゴーイングレーサー……なんて言うとカッコいいけど、結局は趣味のクルマ。スリルとを楽しむための」

「そして新記録をみすみす取り逃すための」

 ケースケが混ぜっ返す。

「ふうん。私には分からないや」

 彼女は自動車部のステッカーの縁を指でなぞった。

「趣味なんて、そんなもんだろ? 他人に理解される必要なんてない。自分が納得すればそれでOK」

 それが夏樹の持論だ。大学生活の今を楽しまずして、人生いつ楽しめと言うのか。


 ◇


 海辺から最も近いJRの駅。近いとはいえ十数キロ内陸へ入ったところだ。小ぢんまりした木造の駅舎である。

「ここでいいの? もっと大きい駅まで送れるけど」

 夏樹がリアシートのミズキに念を押した。

「結構です、ここで」

 ミズキはクルマを降りると、ぺこりと頭を下げて木造駅舎へ向かって行った。



「だあ、めんどくせェーーっての!」

 ミズキを駅で降ろし走り出すやいなや、ナビシートのケースケが叫んで身悶えした。

「ケースケ興味ありそうだったじゃん」

は確かに俺の心に刺さった。けどダメだ。ああいう地雷系は」

「俺には地雷を装っているような気がするんだけどなぁ」

「さすが夏樹クンは女を見る目がない。ミズキって名前も本名かどうかわからんのに」

 ケースケが鼻でせせら笑う。

「まあ迷える女性一名を、生命の危機から無事保護できたから良しとしよう」

「貴重な記録を代償にしてな」

「また走ればいいさ。卒業まであと二年もある」

「だな。俺たちなら余裕余裕」

 ケースケは体を反らせて大きく伸びをした。夜通しのドライブでさすがに疲れたとみえる。彼はさらに体をひねって、床の上から何かを拾い上げた。


「ほお。ミズキって本名だわ。渡辺 瑞希みずき。なんとウチの大学、文学部」

「なぜ知ってる?」

「これリアシートに落ちてた」

 ケースケは指でつまんだ学生IDカードをヒラヒラと振った。


 ◇


 夏樹は赤ワインのボトルを目の高さに掲げ、ラベルを読む。若いワインだ。ボトルの内側に反射して映るシーリングライトが茜色に染まった。


 茜色を見るたび彼は、あの海辺の朝焼けを思い出す。

 そしてまた「不幸」を予言して去ったホラーテイストあふれるミズキという女性のことを。


 夏樹は知っていた。あの日出会った彼女はもうことを。

 駅で別れたそれからを、彼女の身に起こったすべての顛末てんまつを彼は熟知していた。


 ◇


 今、瑞希は隣のキッチンにいる。鍋料理を煮込んでいた。ぐつぐつと煮立つ音とともに、彼女の鼻歌が聞こえてくる。


 夏樹が彼女と結婚して五年。その間に確立したルールによって、今日は瑞希が料理当番だ。


 あの後、夏樹が文学部までIDカードを届けたことが交際のきっかけだった。付き合い始めてからというもの、瑞希はすっかり明るくなった。暗かった当時の彼女はもういない。ケースケが評した地雷属性も悪化する前に消え去った。人は変わることができるのだ。どんな小さなものでも、適切なチャンスさえあれば。


「瑞希覚えてる? 初めて会った日のこと」

 夏樹はワインを注ぐ。トマト鍋に合わせて、ライトボディの赤をチョイスした。あの日の曙光しょっこうに似た茜色が、二人のグラスに満たされてゆく。

「忘れてよ、あれは私の黒歴史」

 瑞希はうまそうな湯気がわき立つ鍋を、ダイニングテーブルへ運んできた。以前より少しふっくらしたうりざね顔。青磁のような、いやむしろ、むきたてゆで卵のような肌は健在だ。


「じゃあ、あれは?」

「あれ?」

「クルマにIDカード落としたの、あれワザとだよね」

「どうかなァ、忘れた」

 彼女はフフッと含み笑った。

「ワザとだ。絶対」

「あの頃の私はね、自分が変われるキッカケを探してた。自棄ヤケ気味に何でもいいからって。今思うと怖いほど自信がなかったんだなぁ。周囲の人が皆、自分より幸せそうに見えてさ。羨ましくてさ」

 瑞希は組んだ両手の上にあごを乗せて、夢見るように語る。言葉には出さないが、夏樹はそんな彼女のささやかな仕草しぐさいとおしい。


「で? 今の瑞希サンはどうなの?」

「それ聞く?」

「あえて聞く」

「すンごく幸せよォ」

 彼女はトマト鍋をスープ皿に取り分ける手を止めずに話し続ける。

「それより聞いてよ。昨日、隣の奥さんとデパートでばったり会ってびっくりしちゃってさ、総菜売り場のね……」


 夏樹は眼を細めつつ、瑞希の話に相づちを打つ。聞いているていで、要所を抑えつつ聞き流している。彼女のこの手の話は、長くなることを知っているからだ。


 夏樹は聞き流しながら思う「俺も幸せだ」と。しかし自発的には言い出せない。ささやかなプライドが邪魔をするから。なんだか照れくさいし。だから逆に訊いて欲しいのに。もし訊いてくれたら、俺はすかさず「幸せだ」と答えるのに。なのに瑞希は一向に尋ねてこない。その点に於いて俺は、ちょっと「」だ。


――私に関わると不幸になる。

 あの日の予言はこういう意味だったのかな。夏樹は心の中で苦笑した。


 おしまい

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茜色した思い出へ ~夏樹とミズキの場合~ 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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