その後のこと

 おうみノみかどそくだいさんねんは、とうさんせいこうていかんこうがんねんたる。

 このとしはるしょうがつとうこうていは、しらきノこにきし百済くだらじゅうみんほしいままっているとしていかり、その使しゃちょうあんとどめてとらえた。

 さんがつになると、高麗こまではしょうらによるとうたいするきょへいあいぎ、しらきノくにがこれをえんじょしているとわれた。なつろくがつには、高麗こましんじんなるものが、こにきしそとまごしょうするあんしょうというわかものかついで新羅しらきくだり、

ほろべるくにおこし、えたるぐことは、てんこうにして、ただたいこくのみなせるわざなるべし。くにさきこにきしみちうしないてほろぼされたるも、いまやツこらはくにとうとかたきみとしてたてまつりつ。ねがわくははんぺいし、ながちゅうくさむ」

 と、しらきノこにきしすくいをうた。しらきノこにきしはこれをくに西せいこんというところいた。

 あきしちがつしらきノこにきしは、とうちんしょうつかえるとなった百済くだらしんらが新羅しらきりょうおかそうとしているとうたがい、ゆうしんとく使つかいをつかわしてきょうもとめたが調ちょうであった。のちゆうしんからはくんというものが、しらきノこにきしところ使つかいとしておくられてたが、しらきノこにきしはこれがかくであるとしてとどめてかえさず、きょへいして百済くだらち、いっしちじゅうじょうあまりをった。

 はちがつしらきノこにきしあんしょうててまノこにきしとし、おうとういでそのたみあつなぐさめよとめいじ、ながりんごくとなりこときょうだいおなじくしようとちかった。

 おおしまノみみには、このようにかいがいじょうせいだんならぬことが、なおぞくぞくつたえられてていた。そのいっぽうで、こうていしょうするあにれば、せきかんせいさせることなど、かまたりのこしたぎょうけいぞくめいじるほかは、せいてきところもののようになり、ひとのことにこころうばわれているようであった。

 うるうがつかまたりんでからいちねん、ついにそのまいそうえると、みかどしんいのちきにられるもののようであった。

 よくねんはるしょうがつふつみかどかまたりのこしたりょうほうてんていによって、おおともノみだいじょうだいじんがノおみあかだいじんなかとみノむらじかねだいじんがノおみはたやすせノおみひときノおみぎょたいした。また百済くだらぞくらにかんさずけることもしたが、これらはすべおおともノみちゅうしんとするこうけいたいせいかくりつはかるものであった。

 あきになると、みかどぶんすぐれないことがあり、くすりもとめたが、てんかまたり治さなおなかったことをおもし、いかってかえすと、おりものぶつぞうひゃくまいつくれとみことのりした。ふゆじゅうがつようだいぶつ殿でんひゃくほとけあんする開眼かいげんしきおこなわれた。またみかど使つかいをつかわして、がねはちぞう沈水香じんこうせんだんこうほかいろいろざいほうを、ほうこうそなえさせた。

 じゅうしちにち、いよいよみかどようだいおもいことがかれ、おおし使つかいのものによっておおつノみやされた。使つかいにてられてたのは、がノおみやすであった。おおしのノささらノいえた。

「あれはしかたもてるよな」

 とおおしきさきねんした。ふところからむらさきいろちいさいふくろのぞかせてこたえる。そのなかには、

てんのうぎょ

 とよんきざまれたきんいんはいっている。それはかつてははつくらせたものであり、あにさがそうともせず、おおしひんなかからしておいたもので、あにまえでうっかりこぼしてせでもせぬように、たせているものであった。それはいずれのものにもなるはずなのであって、とうぜんのことおおともではなくぶんけんがあるとしんじている。

 おおしはそれをたしかめると、やすともなっておおかった。

 やすは、みかどかまたりによっててられたかんじんなかでも、おおしまノこころせているものひとであった。

こころしてたまえ」

 みかど使つかいとしておおしまノだいれるときに、やすひそかにかえって、そうちゅうこくをした。しん殿でんはいると、ひとばらいがされて、じょひとのこさず、みかどとこからとおざけられた。それでふたあいだなにはなわれているのか、だれくことはなかった。

 やすそうぞうでは、このびょうしょうかいだんは、みかどおおしまノに、おおともノみころさずにおいてくれ、とたのむためのものであろうとかんがえられた。かくめいぼうじつりょくのどれをってみても、おおともノみおおしまノかなわないのはあきらかだ。そこでみかどとしては、もはやおのれいのちながらえないとかくしたときに、こうていくらいおおしにをゆずわりに、おおともをそのこうたいとしてもらう、というきょうあんかんがえたらしいのである。

 しかしおおしまノにしてみれば、そんなていあんけるひつよういであろう。そもそもやまとノくにくんしゅてんのうくらいいていて、おおしまノにはそのくらいけんがあるのだ。いまそうしないのは、ただおとうととしてあにそんちょうするからにすぎない。みかどいのちきてしまえば、おおともノみはただじゃになるだけである。

「いざよしかむ」

 おおしまノしん殿でんからると、やすにそうげて、だいぶつ殿でんえ、こしいて、宿しゅくしょ退たいしゅつした。

 じゅうにちおおしまノおおあとにして、やまとノくによしかった。あかかねはたやすといったおうじゅうしんおくりにち、やましろノくにまでともをしてかえった。

とらつばさけてはなてり」

 とだれかがつぶやいた。

 じゅういちがつちゅうじゅんに、つしまノくにからちくしノくにとおして、とう使しゃかくそうらが、ふねじゅうよんせきっておきいたり、百済くだらえきさいりょと、よろいゆみぬの綿わたなどとのこうかんもとめているというしらせがあった。

 おうちょうていには、そのたいおうのために、じゅうぶんゆうい。

 じゅうさんにちおおともノみだいぶつ殿でんはいり、そのなかあんされたおりものぶつぞうまえつ。だいじんあかだいじんかねぎょたいはたやすひと大人うしはべる。

六人むゆたりこころおなじくして、みかどみことのりうけたまわるべし。もしたがうことあらば、かならみほとけばちこうむらむ」

 とおおともこうってちかう。つぎあかこうり、

やツこ五人いつたりしたがいて、みかどみことのりうけたまわる。もしたがうことあらば、てんのうつべし。あまツかみくにツかみまたつみせむ。さんじゅうさんてん、このことをあきらめろしめせ。子孫うみノこまさにゆるべし、うじまたかならほろびむ」

 とちかい、ほかものもこれにつづく。じゅうにちに、またみかどまえおなじようにちかう。

 じゅうがつみっみかどおうみノおおつノみやほうぎょした。

 それからおおしまノは、おおともかんあたえた。ひとつはとう使つかいのまえあらそいはせられないこと、もうひとつはじゅうぶんしゅうとうじゅんをするためである。

 おうがたかくそうなんにやりごすために、はんとしちかかんだいようをかけねばならなかった。たいおうはそのよくねんなつがつまつに、そうらがものちくったことでかんりょうした。

 ろくがつになるとおおしは、おうものらがやましなみささぎつくにんらにほこたせて、われころそうとしているとしてち、へいおこしておおともった。

 おおしまノとしては、りつりょうこっしたあにほうこうせいはんたいするわけではなかった。しかしあしはやさにはひとによってがあるものだ。へんかくにははやいてこられるものと、そうはいかないものとにかれてしまう。そしてあしおそひとびとかなければたいぎょうじょうじゅしない。あにあまりにもせんけんめいうぬれ、さきばしりをしすぎたのである。だからおおともにえにすることで、ことなおしをせねばならなくなったのだ。

 おおともかたするものすくなく、ひとつきほどでたたかいはまった。百済くだらぞくらはなおさらきゃくとしてのたちまもり、あらそいにまれぬようにしていた。おおともノみあきしちがつじゅうさんにちめられてさつしたことになっている。

 おおしおかもとノみやみなみあらたにみやつくらせ、これをあすかノきよはらノみやしょうした。ここでてんのうとしてせいしきそくするしきおこない、こうごうとしたのは、またよくねんはるがつじゅうしちにちのことである。

 てんのうはこのおうけんが、おうたいせいけいしょうするものではないとあきらかにするために、あらたにてんめいけておうちょうひらいたものとし、このしんおうちょうを、

日本にっぽん

 とごうした。

 てんのうせいじゅうねんにしてほうぎょしたが、おくりなてんてんのうとしたのは、これよりすうじゅうねんほどのちのことである。こうごうっててんのうくらいいだが、これがとうてんのうで、せいじゅういちねんにしてまごるノくらいゆずった。これがもんてんのうで、これによっててんのうごうてきしゅうされるせいとしてかくりつされたもののようである。

 てんてんのうちょくめいによるしょへんさんは、じゅうねんほどのさいげつかんせいし、たいからのれきはじめてさくていされ、れきだいおうじゃえらんでてんのうごうついそんされた。

 なおかまたりは、まだねんしょうゆえあらそいをけられ、のちみやづかえをしてしゅっし、ふじわらはんえいいしずえきずいた。かまたりでんである『だいしきかんでん』がまれたのは、まごなか麿まろときわれ、これによってだいぜんからこうへのきたにんげんとしてのじつぞうは、くうきょさんれいなかに、ながかくされることとなったのであった。

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