死への船出(下)

 ペクチェクィシル・ポクシンは、こくはんのうにぶいことにらされている。

 このくにシンタンによってきゅうしゅうされ、みやこコンキシうばわれたために、ぜんじょうけいしきてきこうふくしたとはいえ、ぜんりょくげてたたかやぶれたわけではない。ゆみほこひょうろうもまだしょうもうしてはいない。ぜんはんこうてんじればしょうさんつ。ただしそのためには、コンキシというものがければ、ひとびとこころつなげない。

 ポクシンイムチョンさんさくもったさくねんあきはちがつはじめはじょうとらわれたコンキシすくすつもりであったが、シンへいめられてじゅんおくれ、そのうちがつみっソ・テンパンコンキシらをってしまった。そこでクィ使つかいにててこくおくり、プンチャンそうかんえんぐんうたのであった。ひとびとには、

タンシンちかい、われらをみなころし、しかのちくにシンあたえなむとしつ」

 といううわさながして、あくまであらがうようにけた。

 がつじゅんには、がるものじょうせんにゅうさせて、りょかえしたりもしたが、ぎゃくかくさんちゅうきずいたきょてんや、はんこうびかけにおうじたしろめられて、せんいられもした。

 ポクシンにとってこころづよいのは、リョがそのコンキシだいじんイル・カのもと、いっだんけつしてたたか姿せいしめしていることであった。リョにしてはもはやペクチェけんせいたいできないじょう、いかなるこうげきにもてっていしてあらそひつようがあるのだ。

 タンはやくもそのふゆじゅういちがつえいたいしょうぐんソ・テンパンをはじめ、ゆうえいたいしょうぐんケイビツ・ハリクぎょうえいしょうぐんリウ・パクイェンチウジェン・ミェンチンらをけ、リョしんこうするさくせんくわだてた。しかしさむさのきびしいリョふゆは、なんぽうしゅっしんものおおタンへいにはえがたく、めあぐねたままとししていた。

 としはるがつポクシン

王子セシムむかえてコンキシとしていただかむとするには、かならじょうるべし」

 とごうれいし、おうした西せいほくへいひきいて、ちんしょうリウ・ジングェンこうした。たたかいはつきをまたいでつづいた。しかしタイパンしゅうリウ・ジンクィいたり、さくねんコムナルとくとしてにんしたちょくきゅうしたフヮン・ブンタクぜいと、シンへいしてジングェンじょせいした。そのためにポクシンらはかこいをいてげねばならなかった。

 このさんがつこうていけんけいろくねんあらためて、りょうさくがんねんごうした。

 タンはこのなつじんようととのなおし、ジム・ガシャン浿パイカンどうこうぐんたいそうかんケイビツ・ハリクレウトゥンどうこうぐんたいそうかんソ・テンパンビェンジァンどうこうぐんたいそうかんセウ・ジーゲプどうこうぐんたいそうかんとし、回紇ウイグルじんようへいふくたいぐんもっリョこうげきするさくせんはっした。そのちかられようは、こうていみずかぐんひきいて征こうとほっし、こうごうげんしたことによってめられたとわれるほどであった。

 シンタンえんじょするためにリョせんりょくけねばならず、ポクシンにはせいりょくかえいとまあたえられた。くわえてなつろくがつシンコンキシんだことは、さらにポクシンたいかせた。シンでは太子コンセシムポッミンコンキシくらいいだが、まさかけつぶつであったちちおやほどののうりょくはあるまいとおもわれる。シンにはコンキシはいったばかりでリョさんせんせねばならないことにまんがあり、またタンぐんぜいばくだいしょくりょうなどをきょうきゅうさせられることもそうされる。

 ポクシンれた。いまこそプンチャンむかえてはんげきはたじるしとしたいのに、こくからしらせはまだない。いったいいままでれきだいペクチェコンキシが、コンキシたいしてしてきたことはなにであったのか。てんへのちょうこうちゅうかいしてやり、しょもつしょくにんあっせんしてやり、もったいなくもぶっきょうをもつたわるようにはからってやったではないか。プンチャンがらあずけたことも、コンキシしんたかめるのにやくったはずである。これらはすべじょうときのためになるとたいしたからではなかったのか。

 あきしちがつになって、

コンキシいくさちせむとしてみまかりぬ。かれ太子コンセシムあとぎてコンキシとなれり」

 とのきゅうほうつたえられた。太子コンセシムプンチャンしたしいといている。ポクシンいちのぞみをつないだ。


 なかノおおえノのちノおかもとノてんのうあととなるべきことは、もはやどうだいこうぞくにはじゅんあらそいうるものく、だれにもろんはさめぬところであった。はちがつ一日ついたちに、なかノおおてんのうひつぎほうじて、あさくらノみやからかわくだってなガつノかりみやいたった。

 なかノおおかまたりは、百済くだらすくへいおおぶねせてかせるというけいかくを、ここにてた。それはむなかたノきみとくぜんけんによるものであった。とくぜんは、

われ僻地ひなものなれば、かようにおおきなるふねれず、あつかいにもくるしむべらなり」

 うんぬんあたまげていたが、そのしゅふねおおきければたたかいにつよいというものではないということである。とくぜんはだくろぐろとして、しおかぜきざまれたらしく、しわふかかおからことに、なかノおおかまたりは、しんじょうがくもんぎないことのかんじたのであろう。

ゆるす」

 となかノおおって、でんとうてきぶねによるえんせいぐんへんせいきょした。

 おおしまノは、せめてものていこうせいこうしたことに、わずかながらりゅういんげた。

 このはちがつづみノむらじかわベノおみももぜんしょうぐんへノひけたノおみものノベノむらじくまもりノきみおおいわこうしょうぐんとし、せんあまりとごうするすいぐんを、百済くだらおくることがようやくめられた。

 がつなかノおおみずかやまとノきみしょうし、しょうだいしきこうぶりと、おおノおみじょせいきさきとしてあたえ、いノむらじあじまきはだノみやつこえいとしてけ、そのくにおくす。こうぶりあたえるときに、

「ああなんじよ」

 となかノおおはそのあいを、しょうというあざなではなく、まったしたいみなけ、

てんのうのこせしみことのりたてまつりて、なんじ百済くだらノくにつかわし、こにきしくらいらさむ」

 とつづけた。

 しょうはいよいよぬべきところかうときった。

 百済くだらへのだいいちじんおくしたあとふゆじゅうがつなのなかノおおひとびとひきいて、ひつぎをあのふねせ、ひがしげるこういた。なかノおおかまたりにとっては、ついにおもうままのおうちょうきずくためのふなである。このに、


きみの おしきからに ててて かくやいむも きみ


 というあのうたを、なかノおおてんのうしのんでうたったといううわさながされ、えんまんせいけんそうぞくとそのせいとうせいせんでんされた。

 ふねじゅうさんにちなにみなとかえり、ひつぎじゅういちがつみっ飛鳥あすかかわもがりされた。

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