死への船出(上)

にきに ふなりせむと つきてば しおかないぬ いま


 こんなうたが、じゅんされていた。

 てんのうみずかちくしノくにまでってへいおくそうとはいながら、そのざいだいしちねんはるしょうがつむいなにてから、ほぼさんげつかんよノくにいわみちをしてごした。

 そのきっかけは、しょうがつむいせんじょうで、おおしまノおおたノあいだに、おおくノまれたことであった。おおしには、ははおうぞくおとこまごほっしていたので、まれたひめであったことに、ちくたびれたちをさらにくじかれたのがえた。

 てんのうみどりとそのははおやのためにきゅうようひつようだとって、にきふねめるようにめいじた。いわばれるここのおんせんには、かつておかもとノてんのうりしに、そろってたことがある。てんのうはそのときしつらえさせたかりみやや、かおりがなおむかしのようにることにこころたれ、うたたかんあいじょうしたのであった。

 ここでときついやしたことには、まだきたうみわたるにはさいてきせつではないという、わけぬでもない。しかし百済くだらではふくしんらがいままさにたたかっていることをおもえば、あいってでもへいおくらねばならない。ほんきゅうえんするつもりならそうすべきであろう。おおしとくぜんからそれはのうだというかくげんている。けんろうまわりのふねでさえあれば、むなかた海部あまうでえらばないという。

 さんがつじゅんになって、やっとおんせんからがってちくしゅっこうするというに、てんのうひとつのうたうたった。それはこのごろりでそばいている、ぬかたノきみというひとつくらせたものだということであった。おおしはそのぬかたノきみというじょせいをいささかならずっているだけに、ははこうによるこのさっののんきさに、らされるかんじをつよくした。あのひとしんこころからべたものならば、こんなことばにはなるまいとおもわれるのである。

 おおしふたたまえに、そのふねきしからまじまじとかんさつした。駿するがノくにつくられてなにおくられてときせノくにおきかぜいのにくるりとまわったというはなしがほんとうなら、このふねはどこかがゆがんでいるはずなのだ。


にきに ふなりせむと つきてば しおかないぬ いま


 こんなうたろうしょうされて、ふねはようやくち、ともかくもちく那津なガつまでいたのは、さんがつじゅうにちのことである。

 なつがつになると、百済くだらふくしんからかさねて、しょうおくってしいとのさいそく使つかいがた。しかしてんのうは、ここからみなみかわさかのぼった、あさくらというところが、おおむかしじょおうくにがあって、かいがいにもよくられたものだとき、そこにみやくことにこころうばわれていた。なかノおおえノも、けんとう使かえらなければしゅっぺいないということを、まだゆうにしてじっこうおくらせた。

 あさくらノみやいそぎでしつらえられると、てんのうなガつノかりみやからそこへうつった。ときはいつしか湿々しとしととしてばいのよくせつはいっている。ここにあめとともにかみなりちて、おお殿とのとどろかせたことは、てんのうこころをひどくおどろかせたらしい。またやまとノくにからしたがって来たおみむらじどものなかには、れないふうたい調ちょうくずものもあり、びょうするひとさえていた。てんのうもまたみがちになった。

 がつちゅうじゅんけんとう使らがもうすぐかえるというさきれがあった。じゅうさんにちらはあさくらノみやいた。


 らがちょうあんゆうへいかれたのは、さくねんあきがつじゅうにちのことであった。じゅうにちちょうあんってひがしかい、ふゆじゅうがつじゅうろくにちらくよういたった。らはここで、百済くだらノくにこにきしであった太子こにせしむるうほかしゃじゃくこくといったぞくとらわれて、しょうせんでんするしょうぐんたいれつれられて西にしくのをた。らのがらじゅういちがつ一日ついたちこうていほうしんされ、こうていみことのりしてそのつみゆるしたが、すうじつしてびょうしたとかされた。

 らはじゅういちがつじゅうよっらくようって、ふねあずけてあるえっしゅうかった。えっしゅういたったのは、このとしはるしょうがつじゅうにちである。しょくりょうみず調ちょうたつをし、せつってときごし、ここをったのは、ようやくなつがつ一日ついたちになっていた。しばらくおきいでかぜちをし、西せいなんかぜってたいかいたのは、そのようあさのことである。

 らのたいたがい、うみはまたもふねただよわせた。ふねこううしなって、ったひとびとくるしませた。ここのほどのりょくすえ、やっときしけたのは、百済くだらみなみしまたむらノくにというところであった。

 たむらノくにせいりょくしょうで、もともと百済くだらようであった。それで百済くだらノくにほろぼされてこまっていたところ、たまたまやまとノくに使しゃまよいたので、これをたすけてふねすいし、王子せしむ阿波伎あわきけて、らをおくってたのである。あいによってはやまとノくにえようというのであろう。


 らがたむ王子せしむれてたことに、てんのうはいくらかぶんくした。そこで阿波伎あわきねぎらい、たむらノこにきしあんするとやくそくするのとあわせて、いよいよしょうてて百済くだらノこにきしくらいかせることとし、そのしきじゅんをさせる。りは、ろくがつはいっててんくなったころとされた。

 おおししょうると、おうぐというこうようしたかんじは、すこしもかった。しょうひとさえければ、はらをかばうようにうつむいている。

「いずこかめるや」

 とうと、

「もしやまいにあらねども、まからむさきまれり」

 とこたえた。しょうされるままに、ばかりのこにきしとなった。そのおさめるべきくにはもうい。ほろびたくに征き、どうなるかはもうれている。


 てんのうにとって、しょう百済くだらノこにきしとするしきは、さいれのとなった。しちがつじゅうよってんのうはとうとうかいした。なかノおおは、しょうおくじゅんどうに、てんのうがい飛鳥あすかかえすためのくばりをする。かまたりなかノおおこうこうむすてようと、てんのうあいするうたぬかたノきみつくらせる。


きみの おしきからに ててて かくやいむも きみ


 これをてきとうときに、なかノおおひろめようというのである。かつてははなかけんあくであったというおくを、これによってせれば、しんたいせいつくるのにゆうとなろう。

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