四度目の殺人(上)

 ありまノは、なにわノみかどとしてかつがれたちちのうとするころから、なかノおおえノさつおのれおよぶことをおそれて、つとめてせいにはかんしんようよそおっていた。ちゅうであったがノおおおみほろぼし、おんであったふるひと大兄ノおおえころし、せいじついしかわノまなせたあの従兄いとこである。しょうらいおうあらそあいとでもられては、どんな使つかってくるかからないのだ。

 鹿のようにしてしょこくあそあるき、るだけなかノおおかないようにする。しかしたまにはのちノおかもとノみやかえって、てんのうげんうかがわねばならない。あるとききノくにろノ温泉き、とうするをしてもどり、

「そのところるのみにても、やまいおのずからになおりぬるおもいもせり」

 とおおなことをっててんのうよろこばせた。それはてんのうそくだいさんねんあきがつのことであった。


 てんのうちノいらつめんでから、そのんださんってそだてている。なかでもたけるノみゆいいつだんであることから、ことわいがってそばちかくにいた。なかノおおえノをいずれあとりにしようとったのも、むしろこのまごおうつたえたいがためだともうわさされていた。たけるノみおしであって、じっさいになってもものわず、それがまたてんのうにはあわれにかんじられていた。てんのうむちわけというおしむかしばなしにあるように、いずもノおおかみまつりをささげてかいけつしようとはかったほどであった。

 てんのうたけるろノ温泉れてけばおしなおるのではないかとかんがえた。しかしそれはたけるびょうじゃくであるためにさきおくりにせねばならなかった。


 てんのうそくだいねんはるしょうがつじゅうさんにちひだりノおおおみせノとこだノおみかいした。なにわノみやにんじられたひだりみぎおおおみは、のちノおかもとノみやではもとよりかんしょくじったいなく、みぎノおおおみすうねんまえんでからくうになっている。かまたりちくしノくにからがノさノおみしょうかんして、おおおみめいけられるようにてんのうすいせんし、ふくがないようにはからった。てんのうだいこうぶりさずけて、ばかりのおおおみにしてやった。せいてきものであり、きょえいまんぞくしてうらみをわすれた。


 なつがつ、とうとうたけるノみやまいおさないのちられて、もうびることのとなった。がわじょうりゅういまきノたにのほとりのおかうえに、もがりみやこして、がいひつぎおさめる。梅雨つゆせままえの、よくれてあたたかなである。そらにはくもひとえないようだ。


いまなる むれうえに くもだにも しるしくたば なになげかむ


 てんのうはいずれおのれりょうつくられたときにはにたけるがっそうすることとして、このさいまいそうかりのものとした。そのひつぎめたおかうえくもでもてば、たけるたましいうごくものとしてることもるのに。


ししを つなかわわかくさの わかくありきと わなくに


 いのちななやっつをかぞえるまでは、まだこののものになりきっていない。たとえけんこうなようでも、ふとあのもどされることがある。しかしたけるはもうそれほどおさないとはおもわなかった。


飛鳥あすかがわ みなぎらいつつ みずの あいだくも おもおゆるかも


 この飛鳥あすかがわながれのようにもろもろかたつねく、そのみずながれのようにたけるのことがおもされる。

 てんのうがこのようなうたみずかつくって、しとどれるようにかんしょうてきになったことに、おおしまノがいかんじをけた。ははれいてつせいであることをめようとしているかのようであった。

 いっぽうあにたけるなんこころうごかさないようであった。なかノおおはあのうねやかおもいをげてませたノみ、またのおおともノみをのみ、こととしてもといてそだてているのである。

 なかノおおはむしろ、つちいろになったたけるはだて、かつてたおしたいる鹿かおかさねた。あのあかさとにおい。そのときはこのちからあふれていた。いまなににぎれずにくうくばかりなのは、ははちからうばわれたからなのだ。

 しかもははたけるんだあとで、おおたノノみをもおおしきさきとしてめとらせたのである。たけるわるまごおおしもとめているのはあきらかだ。もしどちらかにだんまれれば、あのおとうとがこのあにおおともしょうらいおびやかすことになるのだ。

 ちからかえひつようがある。もういちだれひところせばどうであろう。

ありまノ

 かまたりなかノおおこころそんたくして、そのささやく。ありまノにはつみがあろう、と。

うたがわしくばそのつみあきらかにせよ」

 なかノおおはそうめいじる。かまたりはしばしかいつためのかんうた。


 てんのうふゆじゅうがつなかばから、ろノ温泉ってとしけまでをごそうとめた。けんちくきのてんのうは、ざいあいだにものちノおかもとノみやれさせることとした。それもまたたけるくしたこころいたなぐさめるものである。かまたりすノつかさとして、がノおみあかというものすいせんした。てんのうあかすノつかさして、あわせてさくかんとくもせよとめいじた。そしてなかノおおおおしこうじょおもだったおみむらじどもをもひきいて、きノくにった。

 このたびにもてんのううたむ。


やまえて うみわたるとも 惹心おもしろき いまうちは わすらゆましじ


 たび西にしなにふねり、きし沿いをみなみきノくにかう。そのふねうえでも、たけるめたいまこころかれてわすれられない。


海峡みなとの うしおくだり うなくだり うしろもくれに きてかかむ


 たけるれてってやるつもりだった温泉へ、いてることがうしぐらおもわれる。


うつくしき わかを きてかかむ


 あのおさいっしょくことはもうかなわない。いてかねばならないとはなんということであろうか。


 なかノおおてんのうしたがってきノくにったことをって、ありひさしぶりでたびさきからやまとノくにかえってた。

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