初めての殺人(上)

 がノくらノやまだノいしかわノろノおみは、なかノおおえノじょよめとしてささげたことで、退きならないたちかれたことをやがてった。

 みつは、飛鳥あすかしま殿どのであった。ここはかつてがノうまこノおおおみてたもので、いまほうこうにゅうされて、そのはなれとなっている。このにわにはかわれられていけながれ、いけには中嶋なかじまつくられている。しまよううつくしくめずらしいので、ひとびとくちあだしてうましまノおおおみび、またしきともなったのであった。

 しをけてさんじょうし、ぼうあんないされておくはいると、ひとばらいがされて、なかにはろくにんだけがのこった。なかノおおなかとみノむらじかまたり百済くだら王子せしむしょうくわえてきゅうぞくくずれの破落戸ごろつきのような、えきノむらじわかいぬかいノむらじあみというあらくれもの、それにいしかわノである。

 いしかわノは、こころめねばならなかった。ちちまさが、さかいべノせノおみというひとについてっていたことをおもす。というひとは、うまおとうとであったが、さかいべノおみというぞくりょうするかされていた。そのために、うまんだあといちぞくちょうろうであるにもかかわらず、おい蝦夷えみしおおおみこノかみくらいられ、かざしもたねばならなかった。

 かしきひめノてんのうかいして、あとぎがもんだいになったとき蝦夷えみしおかもとノてんのうしたのに、やましろノおおようしてたいりつした。やましろノおおおう退たいしたために、くわだてはしっぱいし、うじおきてそむいたつみせられてころされたのであった。

 いしかわノもまたがノくらノおみというぞくまかされて、すでにしゅりゅうからはずされている。このままではあのいる鹿などという、まれたときからおおおみとなることがめられていて、ぬくぬくとそだったやつに、すべてをられるのである。かろう、ここでいっしょういちおおしょうけてみよう。しっぱいすればころされるかもしれないが、んでむならそれまでのことだ。

 かまたりあんでは、けっこうときろくがつぼうじつとしてある。ぎたこのたからノくらはしノみや行幸みゆきしている。くらはしノみやなつこうらく使つかわれるおうしつべっそうで、おうきゅうよりもけいかいゆるい。しかもいしかわノいる鹿したけで、くらはしノみやえいへいはいすることになっている。

 しょうから百済くだらノくにだいひょうしてたからノへ、しょちゅういにはちみつけんじょうするということにする。かまたりあみは、つばひろたか百済くだらりゅうぼう被りかぶしょうともづかえをえんじる。いしかわノしょうわりに、じょうひょうげる。いる鹿おおおみみょうだいとしてたからノともをするから、そのる。

 いしかわノろうしょうみなみみうばわれているすきに、かまたりあいをすれば、あみいる鹿てる。だいではひとけんぐことになっているが、しょうにはおうぞくたいするれいとして、たいとうのままはいることがゆるされているので、それを使つかうのである。そこでなかノおおえノあらわれて、たからノたいして、かるノてんのうくらいゆずるようにせまる。

なにすれぞわれにこそゆずらせぬや」

 となかノおおまんう。かまたりにはかんがえがある。

かるノ王子きみ叔父おじなり。しかるをえてとうとくらいみたまわば、ひとかみうやまいしたがこころたがわむ」

 しばらくはかるノててひとのぞみにかなえば、またいではないですか、とかまたりがくもんじみたくつこたえる。よろしい、となかノおおかまたりあんゆるした。


 かるノは、なかノおおかまたりくわだてをらなかった。なつろくがつじゅうにち、まだあつゆうがたに、ふるひとノおおたらしひめいえんで、

からひといる鹿かノおみころしつ。こころいたし」

 とうったえた。たらしひめかるノきさきである。たらしひめひとってかるノみやにこのことをしらせた。かるノはままならぬかたあし輿こしゆだね、ふるひとノおおともなって、しま殿どのいそがせた。なかノおおかまたりは、にくむしったいぬのようなかおをして、しま殿どのかえってた。あみとかいうふたは、ものらして、くびおけげている。あかつきのぼはじめた。

らず、なにごとかありつるや」

 かるノえんがわあしして、なかノおおかまたりけ、ややしかるようにうた。よくると、ふたものにもてんてんと、なまなましいつぶいている。なかノおおこたえる。いる鹿ちょうていにあってかんじゃをなすのでこれをち、ははにはかるノおうぐことをみとめさせた、と。そしてひとつのふるびたむらさきいろぶくろした。

 それが、

おういん

 というものであることは、かるノにはけずともさっしがいた。にするとずっしりとおもみがある。なかのものには、くろずんだあとのこっているはずだ。それはかつてかしきひめノみことぎょくうばうために、あのくらはしノみやで、長谷部はつせべノおおきみころさせたときのものなのである。

 それほどこのははのすることがらぬなら、いましらのきにくにおさめてみるがい、ただしてんのうとはしょうさせぬ、とたからノって、くらはしノみやおくから、そのきんいんしてたのだと、なかノおおった。

 なかノおおはもとより、じょていぶっきょうにおいがつよい、このてんのうというしょうごうきではなかった。おうというほうがまだしも、ふるくささはあるとはいえ、だんせいてきこのましい。だがそれよりも、りつりょうというぶんめいてきせいしょうちょうする、

こうてい

 というものにかるノげ、ぶんがそのせいになろうというのである。それがかまたりけいさんなのであった。

 ああなんあくあくしいことをするのか、とかるノおもった。あのせいてきよくさいのうめぐまれたあねが、このままがるとはかんがえられないし、ぶんにはあねあらそうほどのせいりょくがとてもありはしない。そんなことをするより、あしねぎらってあんのんらしていたいのだ。こんなものはふるひとにでもわたせばいではないか。

ふるひとノおおさきてんのう所生みこなり。しかもそのとしかさなり。このふたつのことわりもちて、きみくらいにましますべし」

 とってゆずろうとしたが、ふるひと姿すがたえない。どこへったかとひとうと、さきほどうましててらほうけてかれた、とのことであった。

 かまたりは、

「いずれこのやまとノくにきみとましましめざらむや」

 とってしまったことがうそにならなかったことに、こころうちまんぞくあじわったのであった。  

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