それ以前の問題だった

 現代人が時間に縛られると感じ始めるのはいつ頃だろうか。

 流れゆく日々の中で、気が付けば曜日や季節を認識し、生活はそれに合わせて営むようになる。

 けれども、たまの休日、年に何回かくらいは、時間を一切気にしない日があってもいいだろう。そんな、時間とは切り離された自由な空気感の中で、ユノアは目を覚ました。

 普段ならば、ユノアはスマホのアラームによって目を覚ましていた。曜日ごとにお気に入りのアニソンを耳にして覚醒し、朝を迎える。

 それが無いという事は、また早く起きれたのだろうと考える。

 また妹様こと、マリナと鉢合わせになる。ちょっとだけ心が浮つき、ユノアは身体を起こした。

 だが、目に映るのは見慣れない部屋の内装。旅行先のホテルで起床した時、こんな感覚だったかな、と混乱する頭で思った。

 ベッドから飛び出すと、ユノアは机の上に、丁寧に折り畳まれて置かれたドレスと下着を見つける。

「これ……ああ、ルミルか」

 邂逅かいこうした謎の少女、ルミルの存在を実感し、ユノアはそそくさと着替え始める。

 個室に備え付けられた洗面台でしっかりと顔を洗い、星と花を組み合わせたような装飾を髪に付けながら、今の自分の姿を確認する。

 長い髪は輝く星のような銀色、目つきの悪い翡翠ひすい色の瞳。

「昨日から変わってない。ん?戻ってない?んんっ?」

 若干思考が乱れるも、身だしなみを整えたユノアは個室を出て、ルミルを探す事にした。

 寝る前から出しっぱなしにしていたマップに目を向け、スワイプして表示される階層を変えていき、レーダーにより感知された赤い点を見つける。

「これは……甲板にいるのかな?」

 赤い点の場所を推察して、ユノアは足早に移動する。

 その道中、妙な焦りを感じている自分に気付き、次いで親友の顔が脳裏をよぎって、ユノアは気恥ずかしさに悶々とした。

「別に私、寂しがり屋って程でもないはずなんだけどなぁ」

 言い訳するように独り言ちり、ユノアは歩調を速くする。

 程なくして、ユノアは甲板に通じる出入口に辿り着き、勢いよく扉を開けた。

 カッと、朝日の光が照り付け、ユノアは一瞬だけ視界を奪われる。

 徐々に目が慣れると、甲板の先に揺らめくシルエットを認識した。

 ゆっくりと近付き、それが風にはためくタオルであると分かる。

 物干し竿に掛けられ、大型の洗濯バサミで固定される。簡単な事だが、家庭的な光景に、ユノアは郷愁きょうしゅうに近い安心感を抱いた。

 そんなユノアの来訪らいほうに気付き、タオルを干していた従者が声を掛ける。

「おはようございます、ユノア様」

 現在の空を表現しているような、晴れやかなルミルの笑顔に迎えられ、ユノアは沸き上がる衝動に従い、その姿を凝視し始める。

 ルミルが着ているのは、昨日から変わらずYシャツとショートパンツ、それと、これまた質素なデザインのスニーカーを履いている。

 動きやすさを重視した装いであり、ルミルとしては、服ならば何でもいいという考えからの選択だった。

 足りない、とユノアは胸の内でささやききを聞いた。

「ルミル。確か倉庫に、紙とかペンとか、あったよね」

 昨日ちらっと目に入った物について、ユノアは穏やかに確認を取る。

「ええ、確かあったと思います」

「だよね。それじゃあルミル。それが終わったら朝ごはんにしようか。ダイニングルームに集合ね」

「あ、はい」

 どこか作ったような穏やかさに感じ、ルミルは少しだけ戸惑いを覚える。

「それとね、ルミル」

「何でしょうか」

「朝ごはんなんだけど、準備を任せていいかな?ちょっとやりたい事が出来た」

 たのし気に小首を傾げて頼むユノアに、ルミルは生き生きと答える。

「承知しました。すぐに準備した方がよろしいですか?」

「ううん、急がなくていいよ。ルミルのペースでいいから」

 了解を得ると、ユノアは密かに息を吐き、気持ちを整える。

「それじゃあ、お願いね」

「はい」

 返事を受けると、ユノアはきびすを返し、しとやかに船の中へと戻っていく。

「前提としてスカート、フリルは気持ち程度……和テイスト……」

 ブツブツと頭の中に沸いて出るアイディアを口ずさみ、ユノアはマップと記憶を頼りに雑貨が揃う倉庫へと向かった。

 必要なのは紙とペン。こと創作に生きる人種は、このセットさえあれば、いつでも退屈を殺すことが出来る。

 別段退屈という訳ではないが、娯楽への渇望かつぼうと燃え盛るインスピレーションに突き動かされるまま、ユノアは進んだ。

 程なくして、ユノアとルミルは約束通りダイニングルームで合流する。ルミルはユノアの要望に従い、朝食の支度にかかった。

 しばらくして、厨房からトレイを持ったルミルが現れる。トレイに乗った皿には、綺麗な三角をしたサンドイッチが並び、ミルクの入ったコップと共に運ばれる。

 そして、テーブルに到着したルミルは、困った苦笑を浮かべる。

 そこには、数枚の紙に服のデザイン画を描き、絶望したように突っ伏したユノアが、テーブルのスペースを埋めていた。

「あの、大丈夫ですか?ユノア様」

「うん、大丈夫ではある。けどつらしみ」

「ツラ……?えっと、辛い悲しみ、という事でしょうか?」

「まあ……そんな感じ」

 顔を上げて、ユノアは散らばった紙を集め、綺麗に揃えてテーブルを空けた。

「それは、何か描いていたんですか?」

 テーブルに皿とコップを並べながら、ルミルが尋ねる。

「ルミルの服をね、今着てるのはちょっと物足りないと思ったから」

「私の服ですか!?」

 思わぬ答えにルミルは面食らい、自然とデザイン画に視線を向けた。

 一番上にあるのは、和服にフリルが散りばめられたエプロンを付けたデザインだ。和服路線、良。フリルはやっぱ控えめ、とメモ書きも添えられていた。

「その……どうしてまた?」

「描きたくなったから描いたの。そして、着て欲しいなって思った時、現実を突きつけられた。あ、頂きます」

 険しい口調から軽い口調に切り替えて、ユノアはサンドイッチに手を付ける。

「現実、というのは?」

「いくらデザインを描き起こした所でね、私、服とか作れないからどうしよもないのよ」

「ああ確かに、作って頂かないと、さすがに私も着る事は出来ませんね」

 ようやくユノアの気持ちを察して、一応納得したルミルも、食事を始める。

「何気に着てくれる言質取れたんだけど」

「特に服に対してこだわりはありませんから」

「ふーん。というと、ルミルの好きな物とか事って何?」

「私の、好きな……」

 食事の手が止まり、ルミルは俯いて考え込む。

 デリケートな事を聞いたかな?とユノアもサンドイッチを咥えたまま硬直する。

「すいません、わからないです。わからない事だらけですね、私」

 儚さを感じさせる困り顔で笑うルミルを見て、ユノアは気難しい顔でサンドイッチを食い千切る。

 本当にさらな子だな、とユノアは改めて思った。

 生きる上で必要な知識を備えつつ、人として生きる為に大切な部分が空白な状態。能動的かつ自分本位なユノアとしては、こだわりや信条を持たない人間とは確かに接しやすく、扱い易い。怪し気なカプセルに入った少女に興味を抱く人間にとっては、ルミルは都合良くデザインされたと言える。

「……こういう事を聞くのは、ちょっと気が引けるんだけど。ルミルは、私がいなかったら、どうなるの?」

 ゆったりと、それでいてどこか冷たさを感じるような語調で問い掛けると、ルミルは顔をこわばらせた。不安と畏怖を感じたのだと、ユノアから見ても明らかだった。

「その……いなくなるというのは、どういう事で、でしょうか?」

平静を装った声で、ルミルが聞き返す。その様子を見て、負い目を感じたユノアは静かに答える。

「ごめん。なんとなく聞いてみたの、深く考えなくていいよ」

「そう、ですか」

 緊張は解けたが、その表情には陰りが残った。

 ユノアは先刻の考えを改める。

 ルミルは決して、真っ新という訳ではない。

 白いキャンパスだった心には、すでに色が染み始めているのだ。

 顔に出さないよう努めて、ユノアは胸の中に重く圧し掛かる責任感に嘆く。同時に、この必定ひつじょうを強いた存在への関心が、憤怒ふんぬの如く燃え上がった。

 密かに息を吐き、残っていたサンドイッチを平らげて、ミルクを飲み干す。

 喉を通り、命のかてが腹に収まっていく感覚に少し浸った後、ユノアはルミルに向けて微笑みかけた。

「今日もよろしくね、ルミル」

 急な優しさは、人によっては疑わしく思う事もあるだろう。

 しかし、ルミルがユノアに対し、理解が及ばないと思う事はあっても、疑念を抱く事は無かった。

 言葉をそのまま受け止め、付きモノが取れたように、ルミルも微笑み返した。

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