6話.訪問者

 監視役の堂川清香は、日々の家事係をかって出てくれた。十年に数回の私の戸籍や証明書などの手続きは、それほどに彼女へ仕事を与えるわけではないから、案外暇だからそうだ。

 日和が近所にある私立光世橋女学院の中等部に通うようになるまでは、日和が身の回りの家事などの雑務をこなしていたが、中等教育や部活動に励む日和に、家事まで頼むのは気が引けた。

 そんな私たちの暮らしを横で見ていた清香が「あたしが、やりますよ」と言ってくれたのだ。それではと、私は料理を担当し、それ以外は清香に任せることにした。



 清香と私たちとの生活が数週間経ち、彼女が慣れ始めた頃。



 数時間後に、私の知り合いが訪ねに来て、久しぶりに二階を応接間として利用することになるとは、この時の私達は予想の範疇に無かった。そして、私の数年間のむごい過去を二人が知ることになるとは考えたくもなかった。


 眼球が瞼の裏に閉じこもりたくなる程に、眩しい日射しが照りつける午後十三時。陽炎の揺れる道路をゆっくりと、ぎごちなく歩いて来る人影があった。脳が沸騰する事を恐れてか、その人影は日傘を差すが、地面上の陽炎には無力と言わんばかりに足下の影は乱れ、打ち消されている。一歩、また一歩。汗ひとつ流さずに、その人影は着実にに元廃ビルのオブジェクトに進行していた。


 「あーーアーー暑いアツイ……ですわデスワ


 その声が人の喉元から発せられる、肉声で無いことに誰もが気づくはずであったが、彼女の前には人一人として歩いていなかった。



***


 「それじゃあ、涼川さん。よろしくお願いします」


 さすがにクーラーの効いた部屋でも夏の暑さはしんどいのか、白のワイシャツに黒いスーツの下という姿で応接用ソファーに脚を組んで電話をかけているのは、私の監視役━━堂川清香だ。朝から食料品の買い出しに出かけた私にソフトクリームを買って来てと、固定電話からおねだりをしていた。丁度、電話を終えて外を眺める。


 「あっつぅーーい…………ん?」


 清香は二階の窓から外の歩道をゆっくりと歩く一人の人影が、まるで映画に出てくるゾンビのように見えたので、ジッと、その姿を凝視した。ゴスロリの傘で舗装された地面を突いて、一歩ずつ両足を引きずりながら進む少女を見て、清香は目を細めた。髪は金色こんじきに輝き、瞳は透き通るようなブラック。

 八月にも関わらず、紺色のダウンジャケットを着ている。しかも、首元までチャックを上げている。


 「……可愛い子」


 清香はボソリと呟いて私が頼んでいた部屋掃除をサボり、窓から少女を眺めている。


 「あんなに着込んで、熱中症にでもなったらどうするのよ!」


 室温が快適なだけあって、外の壮絶な暑さが引き立てられる。灼熱地獄の中を一人歩く行先も知らぬ少女に清香は深く同情する。少女観察をやめて、やっと私が頼んでいた部屋掃除に意識を移した。

その直後。大きな金属音を立て、歩道を歩くダウンジャケット少女が勢いよく倒れた。


 「えええええええっ!!」


 恰好的に熱中症など危険ではないかという予測はしていたが、まさか本当に倒れるとは思ってもみなかった。少女の唐突な悲劇に、彼女の警察官としての血が騒ぎ正義感をそのまま行動に示した。


 二階入り口の扉を蹴り開き、弾丸のごとく階段を突っ走る。そして、刹那的に彼女を抱きかかえ、ソファーまで運んだ。少女は華奢な見た目に反して、物凄く重くソファーが軋んだ。


 「女の子に対して重いなんて無粋かもしれないけど、あたし……よくここまで、この子担いでこれたなぁ」


 『火事場の馬鹿力』が存在するか、科学的には証明できないにしても、抱えてきた少女の重さも同様に、科学では証明する事が不可能なくらいに重かった。現役の特殊部隊所属だった(現在も名簿に名前だけが残っている)だけはある。


 「ジーピーエス情報ジョーホウサイ取得中シュトクチューーーー


 意識が無いのにも関わらず、口を尖らせ、語尾をあからさまに伸ばし続ける少女のキス顔を、元特殊部隊ウーマンは黙視することしか出来なかった。近くで見ると、まるで人工物・・のように端整だ。


 「暑いよね。ダウンジャケット……脱げる?」


 そっと、清香が気を利かせて少女のダウンに手を触れようとすると、ソファーのバネが音を立てて飛び出た。


 「きゃあ!」


 バネの音が起爆剤にでもなったかの如く、少女は側腹部そくふくぶから上体を起こし、首を動かして周囲を見回す。そのまま三拍子で目を見開いた。そのまま、状況確認。


こちらはコチラワどこドコですわデスワ


 あからさまに、聞き手に違和感を持たせる語尾。どう考えても、少女の見た目には不釣り合いを感じてならない。しかし、口調の印象を破壊する程に、可愛い。


「住所とか……答えたらいいのかな?」


 きっと特殊部隊などという殺伐とした仕事環境では、童謡『犬のおまわりさん』のようなシチュエーションと清香は縁遠かった。にゃんにゃんと泣いている子猫ちゃんでは無く、バンバンと発砲する狼さんを相手にしていたのだから。それ故に、気を張り詰めて質問に質問で返してしまう、おまわりさんだった。


親切なシンセツナ……おねーさんオネーサン貴方はアナタハ誰ですかダレデスカ?」


 明らかにその声は、人の出す抑揚のあるモノでは無いにも関わらず、ドキドキ初挑戦のおまわりさんは子猫ちゃんに骨抜きにされてしまったわけだ。


 「あっ、そうだよね!他人に名前を尋ねる時は、まず、自分からって言うもんね!」


 いやっ、まぁーー、そうかもしれないが、完全に少女のペースだ。きっちりと、少女の目を見て清香は名乗るが、目を合わせると、体をクネクネとさせて頬を赤らめる始末だ。


 私は数時間、家を空けた事を後悔した。帰宅途中に、暑さにうろたえるべきでは無かった。私の同類・・が応接室に居るという考えに至るまで、二階の扉を開けてから数秒のラグが発生したからだ。そのラグで、見ていて少しイタい清香が少女だと思い込んでいるソレに涼川照望が認識されてしまったからだ。

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