5話.日常と非日常の狭間で

 私の同居人に清香が『きよねー』という愛称で、まだ呼ばれていなかった━━日和が中学生だった頃。堂川清香は監視者となって初めての朝を迎えた。屈伸をして、髪を整えて警視庁への通勤と同じスーツに着替えた。新しい職場である二階へと足を運ぶ。コンクリートの乾いた音を鳴らして、階段を上り薄い扉を開く。


 「……は!?キャーーーーーー!!」


 扉を開いた清香の目先には、吊られてゆらゆらと揺れた成人男性の身体からだ。顔面からは多くのモノが飛び出していらっしゃる。青くなる新人監視役の後ろに三階から下りてきた少女ーー矢子日和が扉を開けて入ってきた。


 「見ちゃダメッ!」


 死体の目の前で断末魔にも似た叫びをあげた清香が、慌てて背後に回り込んで日和の視界を両手で覆って塞いだ。


 「あのーー、清香さん?震えてますよ?」


 ずっしり構えた少女の背の後ろで、元警視庁特殊捜査課特殊部隊が震えている。


 「警察のくせに死体を見て驚かないでくれないか?叫ばれたら、近所迷惑になりかねないじゃないか」


 死体━━涼川照望こと私は口を開いた。吊るした我が身を揺らして、天井に縛った麻縄をほどく。


 「死ッ死ッ死ッ死体がしゃべった!」


 「一階のマニュアルは……読んでいないみたいだ」


 話しながら、しっかりと床に着地する私に、呆れたような視線を日和は浴びせてくる。


 「照望さん。清香さんをからかわないでください!今、照望さんが死んじゃったら清香さんは無職になっちゃうし、私は学校に通えなくなっちゃいます!」


 「その通りだな」と私は日和の頭を撫でてから軽く謝って、新入りの清香監視役に朝食の会食に誘う。しかし、私が死ねたところで日和の学費は問題ない。私が死ねた場合には

、清香の直属の上司である総一郎に私の通帳から学費をきっちりと払うように頼んでいる。


 「あんなの見てから食事だなんて……嫌味ですか!」


 「じゃあ食べないのか。あーー残念だ。今日は食後の紅茶も用意しているのだが」


 清香は見開いた大きな瞳で私を睨みつけて、元気よく答える。


 「食べます!!」


 三人で業務用であったデスクを囲んで、食事をする。元廃ビルだけあって多くの業務用デスクがある。それらに木目柄のデスクマットを張り付けた後に、テーブルクロスを敷き、多く活用している。私がこの廃ビルを買った当時の悲惨な状態は忘れたいと思うが二階建てだった、この建物にコネクションを駆使して三階を取り付け、リフォームまでさせた事実を忘れるべきではないとも思う。

 朝から胃がもたれるのではないかという疑問が吹っ飛ぶ程に、適度な甘さの日和特性フレンチトーストをフォークとナイフで食べ、その横の色合いの良いサラダを平らげて紅茶を飲む。早々に日和は意外と近所にある光世橋女学院中等部へと登校する。


 「照望さん。しっかり、ご自身のことを清香さんにお伝えするんですよ!」


 釘をさすように言い放って、可愛らしい黒衣を模した制服姿に着替えてコンクリートの階段を下りて行った。


 「ふぅ……」


 再び、私は透き通るほどに透明な金平糖を紅茶に足した。


 「涼川さん。朝のアレは何だったんですか?手品か何かですか?」


 私は首に取り付けたままだった麻縄の天井に結ばれていた方を、フリフリと振り回して答える。この新人監視役は、先ほどの光景を見せてもイリュージョンか何かだと思っているようだ。


 「君は……新品の電化製品の説明書を読まず、買ってすぐに電源を入れるタイプの女性かい?」


 「一階に置いてある、悪趣味なキスマークの付けられた茶封筒の中にあるマニュアルと手紙は、前監視役と私が二人で書いたものだ。是非、自室で読んでくれ」


 一言ひとこと何かマニュアルに書かれている内容を、裏付けるような言葉を言うべきだと私は考えながら金平糖の溶けた紅茶を#啜__すす__#った。まだ、カップの底を砕けた金平糖が溶けきらずに水流に乗って回っている。


 「さっきのは、手品では無い。私は不死身だ。千八百年代から生きている。その他の説明は自室のマニュアルを……」


 「はあぁぁぁぁ??」


 彼女の顔に浮かぶ疑問符と疑惑に包まれた表情を私は無視して、小瓶に入った金平糖を一つ取り出して口の中で噛み砕いた。私の言葉を最後まで聞かずに彼女は一階へと、階段を駆け下りて行った。


 「今回の監視役は……天真爛漫だな」


 しばらくしてから、ゆっくりと清香は階段を上がって来る。その足取りは少し重い。


 「本当なんですか?」


 天真爛漫少女は依然に半信半疑の目を私に向け続けている。


 「ああ」


 私は仕事用のデスクに不似合いな、立派な茶色い椅子に座って首肯する。


 「はぁーー。そうですよね。あんなの肉眼で見せつけられちゃったら。信じるしかないんですよね」


 先程、手品と言っていたのは君じゃないか。


 「君のことを総一郎は『よろしく』と言っていたが、私たちの世話を見る側なのは君なんだけどな」


 彼女が前日、二階入り口の扉の前でしっかりと聞き耳を立てていたことを、私はすぐに気づいていたが彼女の#勘違い__・__#を解消させようと思う。そうでないと、いけない気がした。


 「君が特殊捜査課特殊部隊所属という事も私と日和は知っているし、組織の中で数多くの人間から邪険な目で見られていたことも知っている」


 「……へ?」


 当惑して返事すらできなくなっている彼女をほおって、私は言葉を続ける。


 「君の組織での立場など私たちにとってはどうでもいい。君が総一郎の直属の部下であり、正義感がしっかりしていて、精神的にも物理的にも強い女であることが大前提だった。そして……、総一郎が君なら面倒見が良いと……君なら信頼できると、勧めてきたのが一番の理由だ」


 「……総一郎さん」


 感情豊かな清香は突然、両手で顔を塞ぎ込んで泣き始めた。総一郎からあらかじめ「真面目なお嬢ちゃんだ」とも聞いていたが、初めて彼女の姿を見た瞬間から、総一郎の言っていた通りに信頼できると思った。監視役が女性である必要性は、日和の存在が大きい。

 日和は、まだ中学二年生だ。日和は幼くして両親を失ったにも関わらず、比較的早く私との生活にも馴染んだ。監視役を女性に頼み始めたのも、この頃からだった。

 でき過ぎた立ち振る舞い。気の利いた言動。私は当然、日和から少々の無理を感じ取っていた。その無理をして笑う幼い背中の、懐かしさと共に。


 「なぁ、特殊部隊所属の堂川清香殿。私たちを監視してくれるかい?」


 私のその言葉に、涙を手の甲でゴシゴシと拭いてから清香は恥じらうように微笑した。


 そして、しかっりと敬礼する。そんな彼女を窓からの早朝の日光がゆっくりと照らした。


 「当たり前です。あたしは警察官。正義の味方ですから!」


 私は何百年か生きてきて、これほどにスーツの似合う責任感溢れた女性を見たことがないと思った。

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