第27話 お祭りが始まった

『……ほれ、これで治ったじゃろ』

「ありがとう」


 鬼の角が貫通して血塗れだった手が、レジーナの魔法でみるみるうちに治るのを呆然と見つめる。彼女の魔法がすごいのは知っているが、こうやって体験するとなんだか不思議なものだ。


 痛みもなく、ちゃんと動く。まるでさっきのハプニングがなかったみたいだった。


「いつ見てもお姉さまの魔法はすごいわね」

『シュテンもこの程度すぐに治せるじゃろう?』

「それは鬼の治癒力がすごいだけでしょ? 他人のは治せないわ」


 不満そうに頬を膨らませ、ふいとそっぽを向くシュテンは、完全に子供だった。話の内容は人間ですらないが。


 俺は片手に持った緑の飲み物を飲む。口の中でパチパチと弾ける感覚がして、爽やかな甘さを感じた。初めて飲んだが、やみつきになりそう。


「美味しいでしょ? アタシのお気に入りなの。お祭りの屋台でしか買えないから、目いっぱい楽しみなよ」


 わずかに残った飲み物を呷り、シュテンが歯を見せて笑う。このお祭りの屋台で出ているものの大半は、他の様々な町に伝わるものだったり、人気があるものなんだそうだ。


 どの町に行けば買えるのかはわからない。旅をしていればいつかはまた出会えると思うが、少なくとも今はこの場でしか飲めない不思議な飲み物。


 ほかにも同じようなものがあるかも、という考えに至った途端、あちこちに並ぶ屋台が急に眩しく見えてきた。


「……全部の屋台制覇しよっか」

『いきなり何言いだすんじゃ、クロノ』

「どうせなら全部食べておきたいじゃん」

『我が食べきる前に一通りつまんでおけば良かったものを』

「お、お姉さまもしかして全部買ったの?」

『当たり前じゃろ、後で悔やむぐらいならこうした方が良い』


 ドヤ顔で胸を張るレジーナの腹は、さすがに少し膨らんでいた。それでも両手で抱える量を食べてその程度とは、末恐ろしい。


 俺は何故か喧嘩に発展した二人を置いて、近くの鶏揚げの屋台に並ぶ。ジュウジュウと油のはねる音が響いて、ジューシーな匂いが鼻をくすぐった。


 屋台を切り盛りしているのは、厳つい大男だった。額の汗を首にかけた布で拭いながら、豪快にやっている。


「いらっしゃい、どれにするかい」

「大一つお願いします」

「あいよ」


 俺が注文したところで丁度揚がったらしい。彼は詰まれたカップのうち一番大きいのをとると、油を切った肉をごろごろと詰める。油断すると落としそうなほど山盛りになったそれを串で止め、こちらに渡してきた。


 俺はそれを受け取り、用意していたお金を渡す。ありがとうございます、と屋台を離れるとき、大男から探るような視線を向けられていることに気づいた。


「あ、あの……何か?」

「ん、いや、なんでもねえ。大丈夫だ」


 ちょっと怖くなって聞いてみたが、ちゃんとした答えは返ってこない。すぐに次の客の相手を始めてしまったので、俺は熱々の鶏肉を頬張りながら、レジーナたちのところに戻った。


 二人は相変わらず喧嘩していて、俺が戻ってきたことにすら気づいていない様子だった。ちょっと離れたところに座って食事を楽しむ。油が口の中でジュワッと広がり、濃いソースの味が美味しい。


 小腹が空いていたこともあって、山盛りの鶏揚げは一瞬でなくなってしまった。脂っこいものを食べた後は、さっきも飲んだ弾ける飲み物が飲みたい。どこの屋台で売っているかを知らないので、シュテンに聞こうと立ち上がった矢先。


「ねえクロノ!」

『我とこやつのどっちが良い女か答えよ!』

「……ええ?」


 一瞬で俺をひっとらえて押さえつけた二人が、訳の分からないことを聞いてきた。


 二人の顔には、絶対に自分が選ばれるという自信と、選ばなかったらたっぷり痛めつけるぞという主張がはっきりと浮かんでいた。どっちをこたえても絶対に死ぬ。いや、選んだ方は守ってくれるかもしれないがここで二人が暴れるのはマズイ。ひじょーにマズイ。


「ふ、二人とも同じぐらい良いと思うよ「はぁ?」『腑抜けが』ひいっ!?」


 怖くなって目をつぶる。すぐに二人の手が離れて、俺は反射的に後ろへ下がった。

 めっちゃ脅された。眼力で殺されるかと思った。やっぱりつまらない答えだから気に障っちゃったんだろうか。……そんな気遣いをする余裕なんかないぞ。


 その後もしばらく二人の間に険悪な空気があったが、俺が話しかけたときはさっきと打ってかわってすごく優しくされた。シュテンに飲み物の屋台の場所を聞いたら買ってきてくれたし、レジーナに至っては広場の屋台の肉料理を全部買ってきて俺にくれた。


 さっきの脅しも怖かったがここまで豹変されるとそれはそれで怖い。理由を聞いてみたら、勢いで凄んだのが申し訳ないからとのことだった。


 カラフルな飲み物を飲みながら、豪快な肉料理を頬張る。宿の料理と違ってちょっと大味だが、それがまた美味しかった。


 ……ところで、レジーナはなんでこんなにたくさん買えるだけお金を持っているんだろうか。


『昨晩クロノが寝ている間に調達した。方法は秘密じゃぞ』


 大丈夫だよね? 違法なこととかはしてないよね?


     🐉


 賑やかな広場で食べ物を食べながら談笑し、早数時間。青かった空がだんだん赤色に染まり始める。町の至る所に飾り付けられた赤い照明──シュテンが「チョウチン」とよんでいた──が次々と灯りはじめ、広場はだんだん独特の熱気に包まれ始める。


 昼に比べて、集まっている人の数も増えてきた。着物を着ている人も多く、気が付けばシュテンも最初に会った時と同じものに着替えていた。


「もうそろそろ本番ね。毎年楽しみなのよ」

「そんなにすごいのか」

「迫力あるし、綺麗だし、すごいわよ」

『それは楽しみじゃな』


 飲み物の最後の一口を飲んで、空いた容器を持ちのんびり人の波を眺めていると、何かの制服らしきものを着た女性が近づいてきた。


「すみません、もうそろそろお祭りが始まるので、移動していただけますでしょうか?」


 そういえば、今座っているのはステージの角だった。すみませんと頭を下げてその場を離れ、三人で人混みの中を移動する。


「これだけ人が多いと、見る場所をとるのが大変そうだな」

「大丈夫でしょ、アタシはすいすい動けるしお姉さまは威圧感あるし」

『なんじゃその言い草』

「あら、何も悪いことは言ってないわよ?」

「ちょ、ちょっと落ち着いて……」


 間に入ってどうにか取り持つ。どうにも二人は反りが合わないらしい。前に山で会った時はここまでじゃなかったんだが、あれは抑えていたんだろうか?


 ──ふと、周りから歓声が上がる。ステージの方に視線を移せば、数人の女性が登場するところだった。


 ようやく始まるらしい。しっかり見ておかないと。そう思って、三人で前の方に出る。


 全員が定位置に着いたらしく、一瞬あたりが静まり返る。チョウチンの明かりがぼんやりと浮かぶ中、煌びやかな装飾をちりばめた踊り子の衣装を纏った女性が、ゆっくりと動き出した。


「……えっ?」


 思わず声を上げる。踊りが美しいから、ではない。踊りはとても優雅で力強く、目を見張るものがあったが……俺が驚いた原因は別にある。


 なんと、ステージにいるうちの一人が、アスカの母親──カズナさんだったのだ。

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