ある葬儀屋の追憶

二八.夜の雨

 まとわりつくような夜の闇と降りしきる雨の中、一人の男が一心不乱にシャベルを動かしていた。泥にまみれながらもその男は、自分の掘った穴にひたすら土砂を流し込み、その穴を埋めようとしていた。穴の底に何があるのか、それはこの男しか知らない。


「ここにいたんだ」


 暗闇の中から女の声がする。男は一瞬手を止め声のした方へ目を向けたが、またすぐに作業を再開した。暗闇から歩み出た女は穴のそばまでやって来て、その底を覗き込む。


「これ、いくつ目?」


「五人目だ」


 男は作業を続けながら短く答える。女はそれ以上は何も言わず、ただ黙って男が穴を埋めるのを見ていた。どれくらいの時間がたっただろうか。男はようやくその穴を埋め終わった。そして懐から小さな酒瓶を取り出し、それを一口飲んでから残りを地面にぶちまけた。


「私にくれたっていいのに」


「お前はまだ生きてる。これからいくらでも飲めるだろ」


「明日死ぬかもよ?」


「その時は奢ってやる」


「あ、あと一個質問いい?」


「なんだ」


「今埋めたの、誰?」


 男は答えない。降り注ぐ雨が二人の体を打ち続ける。


「さっき司令部に行って確認してきた。今日の戦死者は四人、行方不明者はなし。君は昨日も墓を掘っているから死体の取り残しがあったとは考えづらい。それなのに君は五つ墓を掘っている。これは実に不可解だ。色んな可能性が考えられるが、私の仮説を言う前に君の答えを聞きたい」


 男は一つため息をついて、小さく肩をすくめる。女は男の答えを聞くまで動く気はないようだ。男にもそれが伝わったのか、渋々といった様子で話し始めた。


「ここでは皆、自分が生きることに必死だ。死人なんか犬にでも食わせておけと思っている。だがたとえ今日を生き延びても、人はいつか必ず死ぬ。その時になってやっと後悔しているようでは、あまりにも遅すぎる」


「……それが君の答え?」


「ああ」


「じゃあ私の仮説を言おう」


「好きにしろ」


「五つのうち、一つは敵の墓だね。場合によっては利敵行為とも受け取られかねない危険な行為だ。上官たちもいい顔はしないだろう。もし私の仮説が正しいのなら君は今すぐそんなことはやめるべきだ」


 二人の間に沈黙が重く横たわる。いつのまにか雨はその勢いを弱め、静かに大地を濡らしている。男は星も見えない暗い夜空を見上げた。雨粒が滴り、まるで泣いているようにも見える。


「……俺はあれを敵とは呼べなかった。手足の骨は折られ、耳や尻尾は引きちぎられていた。他にも激しい暴行を受けた形跡はあったが、致命傷となるような傷はない。地面に溜まった泥水に顔を突っ込んで死んでいた」


「まさか……」


「おそらく自殺だろう」


 女の表情が苦々しく歪む。その肩は小さく震えている。それが恐れか怒りか、それとも寒さのせいなのかは誰にもわからない。


「穴を掘ってそこに埋めただけでは何も変わらない。わかっているんだ。でも人を殺すしか能のない俺にはそれしかできない」


「……そう決めつけるのはまだ早いよ」


「なに?」


「この地方の葬儀の形式について調べておこう。楽しみに待っているといい」


 女は男の返答も待たずに歩き去っていった。一人取り残された男は、その後姿を茫然と見送っている。雨は止み、夜はまた静寂を取り戻しつつあった。

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