十八.里帰り

 久しぶりに夢を見た。家族で食事をする夢だ。なんてことない日常のワンシーン、だけど家族の顔も、名前も、そして何をしゃべっているかもわからない。全てが曖昧で雲をつかむように手ごたえがない。ふと自分の名前を呼ばれたような気がした。そこで目が覚める。


 やっぱりだめか。夢の中であっても消された記憶は戻ってこないらしい。もう一度寝てしまおうかと思ったが、今日はすぐにでも出発する予定だったことを思い出す。服を着替えて顔を洗っていると誰かがドアをノックした。眠い目をこすりながらドアを開けるとそこにはフェルがいた。


「お、起きてたか」


「おはよう、フェル。もう出発するのか?」


「いや、リタがまだ寝てる。朝は相当弱いらしい。光を浴びたくないとかうだうだ言ってる」


「まあ吸血鬼だしな」


「あんたが朝飯代わりに血を飲ませてやるって言えば飛び起きてくると思うけどな」


「お、おい、勘弁してくれ」


「はは、まあ朝飯でも食いながら待っててくれ。あたしはラヴの世話をしてくる」


「世話?」


「あいつ服を着替えたがらないんだよ。効率が悪いとかなんとか言って。まったくホムンクルスってのは皆ああなのかね」


 こうしてみるとやはりフェルが一番普通なんだろうという俺の感想は正しかったらしい。この様子だとこれから先も色々と苦労することになりそうだ。とりあえず干し肉をかじりながら皆の準備が整うのを待った。




「よし、それじゃ行くか」


「ああ」


「うん」


「……眩しい」


 ラヴは自分の身だしなみに興味がないのか、着替えたり髪を整えたりというのを渋っていたようだが、ようやく起きてきたリタが一言いうと素直に従った。リタとラヴはかなり長い付き合いのようだし、三人の関係性というのもまったく同じというわけではないらしい。まあフェルに関してはあまりそういうことを気にするタイプには見えないが。


 街から北に延びる街道に沿って進んでいくと次第に人家は見えなくなり、正午に差し掛かる頃には小高い山の麓に来ていた。異世界というくらいだから街の外に一歩出れば魔物の類がうじゃうじゃいるのかと思っていたが、なんだかんだこのあたりも人の手が入っている土地らしく魔物どころか野犬の一匹にすら出会うことはなかった。


「この山を越えてさらに川を渡った先がカイナ村だよ」


「この調子ならどうにか日が暮れる前につけそうだな」


「……なら少し、休ませてもらっていいかな? 今日はまた随分と、日差しが強い……」


「大丈夫か、リタ?」


「ずっと牢にこもり切りだったからね。まだ体が日光に慣れてないらしい……」


「なら今後は夜間の移動も視野に入れた方が良いかもしれない」


「うーん、まあそうだな。その辺の魔物ならどうにかなるだろうし」


「そういえば魔物ってどんなのがいるんだ? やっぱりスライムとかゾンビとか?」


「ゾンビは存在するけどあれは人為的に造られたもの。こんなところで遭遇することはない」


「この辺だといたとしても吸血コウモリぐらいだな。群れてなきゃ多分クロでも勝てるぞ」


「だといいんだけどな……」


 そういえばこの物騒な世界で旅をしているというのに武器の一つも持っていない。リタやラヴは魔法が使えるし、フェルは素手でどうにかなりそうだからいいが、何の能力もない俺が丸腰というのはちょっと不用心に思えてきた。もちろん三人にはどうやっても敵わないだろうが、いざという時女の子に守ってもらってるようではあまりにも情けない。せめて自分の身くらいは自分で守れるようになりたいものだ。


 休憩がてら軽く食事を済ませてから、いよいよ山を登り始める。所々記憶が欠落しているので確かなことは言えないが、少なくとも俺はこういうアウトドアにはあまり慣れていないようだ。ずんずん先に進んでしまうフェルをどうにか追いかけるのが精いっぱいで、とても山の景色を楽しんだりする余裕はなかった。


「おーい、もうへばったのか、クロ。異世界人は運動不足みたいだな」


「はぁ……はぁ……いや……フェルが……すごすぎるだけ……だって……」


「私は日が当たりにくい分、こっちの方が動きやすいけどね」


「クロ、人間にしてはよくやってる方。がんばれ」


「あ、ありがとう、ラヴ……」


「ほら、そろそろ川が見えてくるぞ。あれを渡れば村はすぐそこだ」


 気力を振り絞ってどうにか進んでいくと、フェルの言う通り少し大きめの川が流れている。幸い橋が架かっているので特に苦労せずに渡れそうだ。だが橋の中腹に差し掛かったあたりで不意に人の声がした。見れば河原からこちらに向かって男の子が一人走ってきている。歳は十歳くらいだろうか、どことなくやんちゃで活発そうな印象を受ける。


「姉ちゃん! 戻ってきたのか!」


「よう、ロッド。また背が伸びたな」


「ね、姉ちゃん? フェル、この子は一体……」


「村の子どもだよ。狩人に憧れててさ、よく家に来てたんだ」


「ん、お前らこそ誰だよ。村で見たことないぞ」


「あー、えっと」


「こいつらはあたしの友達だよ。悪い奴らじゃないから安心してくれ」


「ふーん、ならいいけどさ。なあなあ、それより大変なんだよ。俺はダメだって言ったのにさ、姉ちゃんの家、壊されちゃったんだよ!」


「あー……まあ、勝手に村を出てったわけだしな。しょうがないよ」


「えー、でもどうすんだよ。泊まる家ないじゃん」


「……フェル、これ大丈夫なのか?」


「うーん、そうだな……。とりあえずナイトレインのところに行ってみるか」


「ナイトレイン?」


「この村で唯一の葬儀屋だよ。話の分かる奴だ、多分手を貸してくれるだろう」


「えー、俺はあのおっさん嫌いだなぁ。暗いし、墓地に入るなってうるさいし」


「じゃ、姉ちゃんたちはナイトレインのところに行ってくるから、あんたは家に帰りな。こんなところで遊んでたら怒られるぞ」


「はーい」


 そう言って駆けていく少年を見送るフェルは、いつもより少し大人びて見えた。獣人とはいえ、フェルはこの村で人並みの生活を送っていたらしい。それがなぜ、奴隷なんかに……。


「ほら、あたしたちも行くぞ」


 それは聞くべきことなんだろうか。フェルは答えてくれるのだろうか。過去を掘り返しても何かが変わるわけではない。俺の失われた記憶が二度と戻ってこないように。……まあ、今聞く必要はないか。自分の中でとりあえず結論を出して、俺も村へと歩き出した。

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