七.反逆者

 翌日の朝にフェルは戻ってきた。その時初めてフェルの姿を見たが、狼二割・人八割くらいで、想像よりずっと可愛らしい姿をしていた。だがその耳や尻尾、そして手足の鋭い爪はまさに獣のものだ。人狼と言っても俺の世界のものとは、また少し違った存在らしい。やや褐色を帯びた肌や深緑の瞳からは、どこか異国の戦士を思わせるような力強さも感じられた。


 さて、これでようやく四人全員がそろったことになる。吸血鬼、人狼、ホムンクルス、そして異世界人。あらためて考えるととんでもないメンバーだ。俺はともかくとして、他の三人は実力的にもかなり優れているようだった。


「決行は今夜だ。うまく牢を出られたとしても、追っ手を振り切れる保証はない。だからこそ、とにかく素早い行動が求められる」


「脱出経路は想定済み。だけど人の動きまでは読めない。頼れるのはフェルの耳だけ」


「任せとけって。それにいざという時はリタがどうにかしてくれるさ」


「まあ力技だけどね。それでも兵士たちくらいなら、どうにかできると思う」


「……なあ、一つ聞きたいんだけどいいかな」


「ん、なんだい?」


「リタの魔法でさ、俺を元の世界に戻せたりしないのか?」


「それは……どうだろうね。私もそんなこと、やったことはないから」


「異世界人なんて初めて聞いた。おそらく最先端の魔法。どの系統かもわからない。あなたを召喚した魔術師なら何か知っているかもしれないけど……」


「正直そいつを探してるような余裕はない。今はここから抜け出すことだけ考えてくれ」


「わかった。そうするよ」


 俺はいよいよこの世界で生きていくしかないらしい。だが不思議と悲壮感はなかった。それは彼女たちと出会えたおかげだろう。同じ苦しみを分かち合う仲間。その意味が少しわかった気がした。




「来た……!」


 フェルが静かに告げる。つまり計画の実行段階だ。鼓動が早まるのを感じる。深呼吸して、一度心を落ち着ける。部屋の扉が開いて、いつもの若い兵士が入ってきた。そして牢の隅の小窓から今日の夕食を受け取る。この食事の時間こそが唯一のチャンスだ。


 目標はリタに俺の血を飲ませること。だが直接は不可能だ。向かいの牢までは3メートルほど距離がある。牢が開く時は必ず兵士がいる以上、俺が牢を出た瞬間に隙を見てリタの牢に腕を突っ込むというのも、あまり現実的ではない。ならどうするか? そう、間接的に血を飲ませればいいだけの話だ。


 計画の第一段階はフェルの担当だ。ここで失敗してしまえば全部水の泡だ。食事をするフリをしながら、祈るような気持ちでそっと様子をうかがう。


「ぐ、ぐぅっ、あああああっ……!」


「なんだ!? どうした!?」


 突如としてフェルが苦しそうな声を上げる。扉の前でじっとしていた兵士がフェルの牢へ駆け寄る。


「おい、どうした!? しっかりしろ!」


 兵士は動揺しているようだ。声からも焦りと緊張がうかがえる。ここからでは見えないが、思ったよりもフェルの演技がうまい。これならいける。次はラヴの番だ。


「おそらく食中毒。早く処置しないと危険」


「な、なに!?」


「医者を呼んで。早く!」


「わ、わかった!」


 そう言って兵士は飛び出していった。フェルは希少な奴隷だ。もし死なせてしまえば責任問題になりかねない。あの兵士も命がけなのだ。足音が聞こえなくなったあたりで、フェルのうめき声も止んだ。


「チッ、あいつ牢は開けなかったか。用心深い奴だ」


「想定の範囲内。計画を続行しよう」


「ああ」


 これで見張りの兵士はいなくなった。全員牢に閉じ込められたままだが、今俺の手元には普段無いものがある。水の入ったガラスのコップと、今日の食事のパンだ。この世界の文明レベルは意外と高いようで、ガラスもさほど珍しい物ではないらしい。とにかくこの二つが計画実行の要だ。


 水を飲み干してから、コップを床に叩きつける。当然激しい音をたててコップは割れた。しかし見張りがいない今、とがめられることはない。飛び散ったガラスの破片の中から、比較的大き目で鋭利な形状の物を一つ拾い上げる。そしてパンを二つにちぎって皿の上に置いた。これで準備は完了だ。


 リタに間接的に血を飲ませる方法。それがこれだ。ガラスの破片で自傷して、その血をパンに染み込ませ、リタの牢に投げ入れる。ラヴの考案した作戦に隙はなかった。だが——


「ぐっ」


 やはり、痛い。当然だ。だが今更ためらっていては計画が台無しになる。意を決して破片を腕に突き刺す。しかし思ったように血が出ない。


「なあ、まだなのか?」


「な、なかなか血が出なくて」


「思い切りが足りないんだよ。グサッとやれ、グサッと」


「ちゃんと血管を狙って。そうすれば効率的に採取できる」


「血管……。いや、確かにそうなんだけど……」


「リタもなんか言ってやってくれよ」


「……血」


「え?」


「……ごめんなさい。……血の匂い、久しぶりで。……ああ、すごい」


「リ、リタ?」


「……お願い。……早く欲しい。……君の、血」


「わ、わかった」


 明らかにリタの雰囲気がいつもと違う。よくわからないが、あまり待たせない方がよさそうだ。うっすらと浮かび上がった静脈を横に切ると、赤黒い血が一気に溢れた。そこにパンを押し当てて血を吸わせる。


「まずい、そろそろ戻ってくるぞ。急げ!」


 フェルの耳は確かだ。これで血が足りるかわからないが、やってみるしかない。


「リタ!」


 掛け声とともに血を吸ったパンを暗いリタの牢に投げ入れる。それと同時に部屋の扉が開いた。部屋に入った兵士はすぐに異変に気付いたようだ。


「何をしてる、異世界人! なんで血が」


 言い終わる前にリタの牢が吹き飛んだ。兵士の顔がみるみる青ざめていく。状況から何が起こっているか察したのだろう。


「安心してくれ。おとなしくしていれば殺しはしないよ。ただ、その代わり——」


 暗闇から歩み出てきたのは一人の少女だった。銀糸のように艶やかな髪と白い肌、そして爛々と輝く深紅の瞳。それはまさに気高く美しい、吸血鬼と呼ぶに相応しい姿だった。


「——君の血も少し分けてくれないか?」

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