四.三人目

 フェルが眠りについてからどれくらい経っただろうか。牢の中では時間の感覚がつかみづらい。目安になるのは食事の回数くらいだが、それも一日二食なのか三食なのかで変わってくる。ただ夜になると勝手に照明が消えるようだ。そのおかげで一日の終わりを感じることはできる。


 ただぼんやりと壁を眺めていた時、部屋の扉がきしむような音をたてながらゆっくりと開いた。誰かが戻ってきたのだろうか。牢の隙間から扉の方をチラリと見る。


 若い兵士に連れられて部屋に入ってきたのは、一人の女の子だった。薄桃色の髪と透き通った青い瞳が、どこか人間離れした印象を与える。彼女は一瞬俺の方を見たが、特に表情に変化はなかった。そしてそのままフェルの向かいの牢、つまりラヴの牢だと言われた場所に入っていった。


 そういえばここにいる奴隷たちの姿をちゃんと見たのは、これが初めてかもしれない。おそらくはラヴも亜人種なのだろうが、どういう種族なのかいまいち見当がつかない。無口な奴だとフェルが言っていたとおり、しばらく待ってみてもラヴが話しかけてくる気配はなかった。


「君がラヴ……だよね?」


 数秒の沈黙の後、返事が返ってきた。


「うん」


「俺……あー、名前はないんだけど、昨日ここに連れてこられたんだ」


「そう」


「君のことはフェルから聞いたよ。ここのことに詳しいって……」


「そう」


「えーっと、ちなみに君ってどういう種族なんだ? 俺そういうの詳しくなくて……」


「……僕はホムンクルスだよ」


「ホムン、クルス……?」


「錬金術によって人為的に作り出された、人を模した魔法生物」


「へえ、そういうのもいるのか」


 魔法の次は錬金術か。しかもこの世界の錬金術は人間とほぼ遜色ない生き物を創り出せるレベルにまで達しているらしい。そこまでいくと俺の知ってる錬金術とはほとんど別物な気もする。


「あの、ちなみに錬金術って魔法とはどう違うんだ? 実は俺、異世界から来たからその辺のこと全然知らなくて」


「異世界……?」


「あー、俺も詳しくはわからないんだけど、魔法でこの世界に召喚されたみたいなんだ」


 いざ異世界とはなんなのか、と聞かれると適当な返事が思いつかない。実際一方的に連れてこられただけで、その辺の仕組みなんてまるで理解していないわけだし。


「でもあなたと会話できてる……なぜ?」


「多分だけど記憶をいじられた時に魔法か何かでしゃべれるようにされたんだと思う。そんなことできるのかどうかは知らないけど」


「それなら、高位の魔術師であれば可能。習得済みの言語を他の言語に翻訳・変換することができる。ただしその場合、元になった言語は失われる」


「え!? てことは俺、日本語しゃべれなくなってるのか?」


「それがあなたの母語なら、可能性は高い」


 今まで深く考えてはこなかったが、まさかそんな仕組みになっていたとは。これじゃ万が一元の世界に戻れても、まともに会話できないことになる。なにより自覚なしにここまで頭をいじられてるという事実に戦慄した。


「これも錬金術の一種。魔法の中で交換原則に従うものは、すべて錬金術に分類される。王宮魔術師が施した術なら、ほぼ完璧に翻訳されているはず」


 解説してもらえるのはありがたいが、どうも話が専門的な方向へ向かいつつある気がする。どうにか軌道修正を試みたいところだ。


「ところで魔法って俺にも使えるのかな? この世界では当たり前のものらしいけど」


「それはわからない。僕も異世界人と接触するのは初めて。不確定要素が多すぎる。ただたとえ魔力がなくとも、符号術なら使える」


「ふ、符号術?」


「何らかの上位存在と契約を結び、予め定めておいた符号を唱えることで使役する魔術形態。この場合、術者の能力は発動する術に一切影響を与えない」


 軌道修正、失敗。でもとりあえず、手段は選ぶが俺も魔法を使える可能性はある、ということらしい。初めてこの世界に来てよかったと少しだけ思えた。


「なあ、魔法が使えればこの牢屋からも逃げ出せたりしないのか?」


「それは無理。あなたには分からないだろうけど、強力な結界が張ってある。成体のドラゴンでも、自力では破壊できない」


「ああ、やっぱりいるんだ、ドラゴン」


「ただ」


「ただ?」


「この状況……リタならどうにかできるかもしれない」


「え!? そうなのか!?」


「ワォン!」


 突如部屋に奇声が響く。まるで狼の遠吠えだ。ということはつまり。


「んぅ……。んお? ラヴ、戻ってたのか」


「おはよう、フェル」


「あ、ごめん。起こしちゃったみたいだな」


「気を付けてくれよ。あたしは人間より耳がいいんだから。音には敏感なんだ」


「なあ、それよりさっきの話、本当なのか?」


「ん? 何の話?」


「本人とも話してみないとわからない。けど可能性はある」


「何が?」


「あー、えっと、ラヴが言うにはリタならここから脱出できるかもしれないって」


「静かにして」


「え?」


「誰か来る」


 フェルの言った通りしばらくして部屋の扉が開いた。入ってきたのはいつもの若い兵士だ。彼は俺の牢を開けてこう言った。


「出ろ、王がお呼びだ」


 まだ二人と話していたかったが、逆らうわけにはいかない。言い知れない不安を抱きながらも、俺は牢を出た。




「なあ、ラヴ」


「なに?」


「あいつのこと、どう思う?」


「よくわからない。でも無知なのは確か」


「同感だな。あんなので生きていけるのかね」


「でも死んだら困る」


「そうだな。少なくともリタが戻ってくるまでは生きててもらわないと」


「うまくいくかな」


「さあ。ラヴがわからないことがあたしにわかるわけないだろ。でもやっと掴んだチャンスなんだ。絶対に無駄にするわけにはいかない」


 フェルは牢の壁を睨みつけた。そこには無数の爪痕が刻まれている。いや、その数は正確には362だ。一日一つ、消灯と同時に傷をつける。そうすることで折れそうな心をどうにか支えてきた。


 早く戻ってこい。そうすれば今度こそ、この薄汚い牢獄をぶっ壊してやる。


 フェルは静かに舌なめずりをした。

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