えいがのじかん
「まにあった?」
バスルームから顔を覗かせたテュコに、リビングのソファ下に座っているロレンソは首を振った。
「遅かった」
そう言って、背もたれにしているソファの上を指す。
足を伸ばしても2.5人掛けソファを余らせて、一人の人間が横になっている。テュコが小走りに駆けてきて上から覗き込んでも、身じろぎの一つもない。
眠っているのだ。パッと壁に掛かっている時計を見た。九時を十分ほど過ぎている。
テュコは手で顔を覆った。
「たいまーのようにねる……」
「多少間に合ったところで、途中で寝ただろうな」
「べっどもってく?」
「毛布を持ってくれば」
返って来た反応に、テュコはちょっと驚くように相棒を見た。
そもそも、テュコがバスルームに入る前に見た相棒と爆睡の彼は、一緒にコーヒーを飲みながらソファに座り、テレビ番組を見ていた。
今、ソファで寝ている彼が、相棒を蹴落として横になったとは考えられない。ということは、この相棒がスイッチの落ちた彼を横たえ、自分はソファの下に移動したということだ。
自分の相棒が、多少性格がちょっとアレなだけで、残虐非道なわけではないことは、テュコも重々承知である。
では、何もおかしなことはないのに、テュコは自分でも、自分の中に小さな驚きがあることに驚いた。
逆に、反応が返ってこない相棒を、ロレンソが訝し気に見上げる。
「…… こいつをベッドに持って行くと、必然的に俺がソファに寝ることになる」
「べつに、いっしょにねればいくない?」
と言うテュコに向かって、ロレンソは怪訝そうに、自分とソファの人物を交互に指しながら確認する。
テュコがうんうんと頷くと、ロレンソは軽く嗤って確認していた手をひらひらと振った。ないないのジェスチャーと見てよかろう。
「おれとはいつもいっしょに、ねてたじゃん」
「いつの話してる?」
「じゅう…… ねんいじょう、まえ?」
「なんと、このソファに収まってる人間は、今の俺たちより年上なのだ」
「ふしぎなことがあるもんだ」
しみじみとテュコが感想を呟いたところで、茶番が終わった。
ロレンソは立ち上がり、正面にあるモニターを床に置いた。これで白い壁を遮るものは他にない。
テュコはおもむろに奥のベッドルームに入ると、毛布を一枚持ってきてソファの上で寝ている人物に掛ける。掛けるにとどまらず、軽く巻いた。
そこで、ゆるりとロレンソを振り返る。
「じゃあ、もうおれとも、ねてくれないのか」
唐突といえば唐突なテュコの問いかけに、ロレンソは青みがかった灰色の双眸を、(仮にここでソファの上の人物が覚醒していたならば、非常に珍しいと感じるほどには)丸く瞠った。
そして、吹き出すように笑うと、そのまま後方のキッチンへ向かってしまう。
はぐらかされてしまったのか。テュコは相棒の背中を見送り、ローテーブルの上にプロジェクターを設置した。
ホームシアターでホラー映画を見ようの会なのだ。
最新のものから10年以上前のものまでを集め、一晩かけて観賞しようと。
そもそも当初は完全な仕事で巻き込み・巻き込まれた二人と一人だったが、今や単純に気分と時間が合えば遊ぶくらいの仲になっているようだ。
もちろん、お互いに思うところもがっつりあるわけだが、それはそれとして、気が進まなければ集まることもない。
少なくとも、あの赤毛の相棒は。
少なくとも、無防備にソファで爆睡をキめるくらいには。
そうして、こういう遊びを切り出すのは、だいたいテュコかロレンソで、今回はテュコだった。
「ジンジャエール、アイスかホットか」
「ほっと」
「はちみつは」
「でろでろ」
たっぷりの意味である。
ロレンソは映画のお供を制作に掛かる。制作中と言っても、ここに来るまでに買い込んできたトルティーヤのチップスと、「いつの間に準備していたんだ」とソファで寝ている人物にツッコまれた甘辛ミートソースがあった。いつもあの人間には、自分の仕込んだタイミングを驚かれるような気がしているロレンソである。
適当なボウル皿にソースを盛り、スプーンを差して完了。
ホットジンジャーは、原液のシロップをお湯で割るのだが、相棒から「はちみつでろでろ」のリクエストを受けているので、追いはちみつを投入。
ゆっくりゆっくりスプーンで溶し混ぜる。
しかし、尋ねておいてなんだが、ミートソースとホットジンジャーは合うのだろうかと、ロレンソは首を傾げた。白い相棒の背中はローソファに埋まっており、頭が背もたれの向こうに見える。
自分は炭酸水で割るつもりだったのだが、お湯をもう1カップ分用意することにした。
ふと、お湯を準備する手元に影が落ちる。
さっきまでソファにいると思ったテュコが、いつの間にかキッチンカウンターの向こうに立っていた。
相棒のこういう神出鬼没は、ちゃんと物理的な手続きを踏んでいるのかと、ロレンソは実は疑いたくなることがある。
テュコはホットジンジャーが出来上がっているのに、さらにお湯を沸かしている様子を覗き込んでいた。
「…… あれ、ほっとにしたの」
「うん」
「たんさんで、わるのかとおもった」
という相棒の言葉に笑う。自分をよく分かっていることと、その予想を裏切ったことに。
テュコはボウルとホットジンジャーを持ってソファに戻って行った。
少し遅れて自分もソファへ向かい、ローテーブルにカップを置くと寝室へ入っていく。取って来たのはもう一枚のブランケットだ。
テュコはソファの上の様子を見遣った。
部屋の温度は適切に調整されているので、毛布が掛かっていれば冷えることはないと思っているのだが…… と、思っている視界にひらひらと毛布を掴んだ手が見えた。
「そっち」
振り返ると、ロレンソが持ってきたブランケットを羽織り、片方の裾を自分の方へ差し出していた。
「さすがにあの広さのベッドに二人は厳しい。
だが愛すべき相棒のリクエストには応えたい。
ということで」
にやにやと笑いながら、彼は言う。
「子どもの頃はよくこうやって映画を見てた」
確かに、二人で毛布にくるまってホームシアターを見ていた記憶がある。
視界を埋めるスクリーンと、ぴたりと体の片側にくっつく相手の体温、手の中の温かなマグ、甘いココアの香り。
くすくすと耳元で笑う声。
テュコは(仮にここでソファの上の人物が覚醒していたならば、もう一回!もう一回!と言うだろう)にんまりと笑い、差し出されたブランケットの端を受け取った。
ロレンソごと引っ張るようにブランケットに包まると、ソファの前に腰を下ろす。
耳元で小さな笑い声が聞こえた。あの夜に戻ったような感覚を覚える。
「さいしょは、なにみるの」
テュコの質問に、ロレンソは映像媒体のパッケージをひらひらとさせた。
「あーー、すきだよね、それ」
「他人事みたいに言ってるけど、お前も好きだろ」
プロジェクターに接続した端末を操作しながら、ロレンソは楽しそうにテュコに言い返した。
最初のホラーはモンスターパニックか。王道のお気楽な大学生四人が、夏休みに別荘に遊びに行くが、そこで恐ろしい化け物と対峙する…… という導入なのだが、このホラー映画の面白いところは、そのシナリオを裏で動かしている組織がある、という入れ子の設定があることだ。
ホットジンジャーを啜り、映画のオープニングが始まる。
寝ている人間がいるが、お構いなしの音量だ。どうせ彼はあと6時間は起きない。
映画の導入、別荘に行くまでに、ガソリンスタンドにいる不気味な老人と遭遇する。別荘に行く主人公たちに警告をするのだ。
カメラは、警戒し、怯む主人公たちを映す。
「このガソリンスタンドの親父になりたい」
「えええ……」
相棒の気持ちが分からないわけではないが、明確に嫌そうな声を上げるテュコ。
スクリーンの老人はずっと何かを口に噛み含めており、ベッと赤い唾を吐き出した。
「これなんだろ」
「噛みタバコ」
「たばこすえんの、おまえ」
テュコのツッコミの、返事が無い。
体質なのか、薬物の類は効きすぎてしまう傾向にある相棒だ。
確かに喫煙者は薬が効きにくくなるとは言うが、それ以前に、彼は自分やソファの人物とは違い通常の人間なのだ。病にリスクのある行為は控えて欲しいテュコである。
「…… タバコ吸う必要はなくないか。別の方法でいくらでも嫌な気分にさせられる」
「そこまで」
やりたいのかと、いっそ感心してしまう。自分の質問から回答までの間は、タバコの必要性を考えてたとでもいうのか。
確かに、一番いやな形で主人公たちにアクションを取れるポジションだろうけども。
「おまえのたちいちは、どっちかってゆうと、そしきがわのにんげんだよ」
劇中の場面が、四人の運命を裏側で操る組織内に移る。中心となる二人の研究員らしき男たちが、施設内を移動するカートに乗り込む様子が流れた。
裏の組織と言えばシリアスな空気が漂いそうだが、この二人のノリは至って軽い。
「『かてどらーれ』みたい」
「馬鹿言え」
ロレンソは鼻で嗤って一蹴する。
トルティーヤチップスを摘まみ、ミートソースを掬い、
「『カテドラーレ』はこんなに仕事熱心じゃないし、必死でもないし」
掬ったミートソースの上に、もう1枚チップスを重ねる。
「仕えるのは外の神ではなく、己の
嗤ってるのだか、笑ってるのだか曖昧な顔をする、とテュコは感じていた。(だが、前半部分には深く納得している)
「ひっしかな」
「必死だろそりゃ、自分の命かかってる」
テュコもチップスをボウルに突っ込みながら、映画の続きを観る。
場面は、主人公たち四人が、組織が仕掛けた異変に気づき始める頃へ差し掛かっていた。その様子を、組織の人間たちは時に酒を片手に、時に賭けをして監視している。
「でも、たのしそうだ」
「うん。だから好きだ」
傍らから、ロレンソの楽しそうな声が聞こえる。
映画で楽しそうなことをしている連中は、映画の後半で酷い目に遭うのだが、それは結果としてそうなっているだけで、彼らは本来の仕事を、その能力に相応しい成果で、心血を注ぎ、ときに楽しみを得ながら、為すべきを成している。
─── と、考えると、スクリーンの中で血まみれのヒロインがゾンビにフルボッコにされている映像をバックに、酒盛りをする組織の人間たちだが、やはり方向性を揃えれば『カテドラーレ』の住人たちと似通っているのではないかな、とテュコは思ってしまうのだ。
「おれも」
うん、とテュコは頷いた。
ちらりとロレンソが盗み見た榛には、スクリーンの光が跳ね返っている。
「組織の地下にある化け物たちのキューブも、あったら楽しそうなんだが」
「にてるのもってない?」
「持ってない持ってない。さっきから何を見てんだお前は」
笑った拍子にゴツンと頭突きされたが、それが狙ったものなのか身体を揺らしたからなのか分かりかねた。
頭をさすりつつ、テュコは否定された自分の予想を、そんなに違うものだったかと首をひねった。
様々な特性を持ったモンスターが封印されているキューブと、様々な(薬にも毒にも、玩具にも兵器にもなる)知識を詰めた『書庫』。
「そもそも、俺たちは自分の手に負えないものを管理しない」
「そうだった」
ツッコミを入れても、案外素直に納得するテュコだ。
満足気に頷いて、ロレンソは続ける。
「だから、そんなキューブを入手したら適当に解放してしまう」
「だれよりも、やっかいなことしてんじゃん」
あはは、とロレンソは笑うが、それが完全に冗談であることは、テュコにも分かる。
なぜなら、管理できなくなると分かった『レトレ』は、己を『書庫』に沈めてしまった。それを二人で見た。
終盤に差し掛かった画中では、キューブに封印されていた化け物たちが一斉に解放され、いっそ胸がすくような勢いで、武装している兵士たちを殺戮し尽くす。
「お前は、劇中ならどこにいたい」
「うーん」
阿鼻叫喚と化している映像を、当社比で難しそうな顔をして凝視するテュコは、唸りながらトルティーヤチップスをミートソースに浸す。
テュコにならって言うなら、彼の立ち位置は、キューブの中の化け物の一つだ。だとしたら、やっぱりキューブを解放するだろうかと、ロレンソは考えた。生きて、動いていたら、もっとその先を見たいと思うだろう。
「おまえが、じょばんのおやじになりたいって、いっちゃったからなー……
まだそしきがわにいたら、あのふたりのどちらかを、えらんだ」
テュコは、今まさに化け物に襲われる冒頭のカートの二人を指す。
ロレンソは吹き出して、立てた膝に凭れながら片方の手で床を叩いている。愉快なとき、彼は音を立てる癖がある。
「それって、あの二人のもう片方が俺にならないと成り立たないんだろ」
「すごいじしんだ、そのとおり」
「そう言ってたじゃん。
分かった、いいよ、二人で
「それはいやなんだけど」
にべもなく、断るテュコに、ロレンソは拳で彼の腕を殴るのだ。「裏切り者」と楽し気に罵り。
ソファの上の待ち人が起きるまで、あと4時間半。選び抜かれた映画を見尽くすには、それでも足りない。
起き抜けにホラーを見せられる人間の顔が楽しみだ、とロレンソが笑うので、それはたしかに、とテュコもまた頷くのだった。
(えいがのじかん 了)
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