ここにいる意味



 ララも風呂を済ませると、街にちょうど夜の帳が下り始めた。



けれど、家の中は明るく、暖かい。



 火の属性を宿しているらしい魔石が輝き、部屋の隅まで明るく照らしているからだ。



俺はそんなリビングにあるテーブルの上から、並んで夕食の準備をしている二人の後ろ姿を見守っていた。



 とりとめもないことを話し合いながら、トントンと包丁の音を立てて料理をしているセリアさんとララ。



 ――ああ、二人はいつもこうして生活してるんだな。



 という、温かくもどこか懐かしくて、もう自分はあの日々に戻ることはできないのだという寂しさを感じてしまう光景。



 このまま黙っていると勝手にしんみりしてしまいそうなので、俺はあえて口を開く。



「二人はいつも一緒に料理を?」


「別に、そういうわけじゃないわよ」



 と、ララ。



「冒険者の仕事でしばらく街を出ていることもあるし、それにアタシんちはここじゃなくて隣の家だし。二人で食べるのはタイミングが合った時だけ」


「そうなのか? っていうか、ここがララの家なんじゃないのか?」


「アタシの家はそこ。そこの窓から、隣の家の窓が見えるでしょ」



 ララがそうチラと目を向けたのは、キッチンがあるのとはちょうど反対側にある窓。見ると、確かに細い路地を挟んだすぐ向かいに真っ暗な窓がある。



 ――なるほど、すぐ隣の家がララの家なのか。だから、『姉妹のような幼なじみ』ってわけか。



 へー、と俺が納得していると、できたての料理を二人がテーブルへと運んでくる。



バスケットに入れられたパンは初めからテーブルにあったが、香草の香りがとてもよい焼き魚、ジャガイモとニンジンのような野菜がふんだんに入れられたクリームシチュー、それから葉菜類の野菜が盛りつけられたサラダ。あっという間に食卓が華やぐ。



 ちょっとした疑問。



「ところで、このサラダには何をかけて食べるんだ?」


「何もかけないけど? そのまま食べるのよ」


「……なんだと?」



――それは聞き捨てならない。



 イスに座りながら答えたララ、テーブルに水差しを運んできたセリアさんに俺は尋ねる。



「この家に、酢と、新鮮な卵はありますか?」


「え? ええ、あるけれど……?」



怪訝な顔をするセリアさん。俺は続けて、



「じゃあ、植物性の油は?」


「どうしたの、ハルト君? 急にそんなこと……?」


「教えてください。これは大事なことなんです」


「え、ええ、一応……」


「そうですか。いや、でもマスタードは流石に……」


「マスタードくらいあるわよ」



 と、ララ。



「本当か」



 そういえば、俺がいた世界でも、マスタードの歴史は意外に古いという話をどこかで聞いた気がしなくもない。そうだ、なんでも古代エジプトの時代からあったとか……。



「それなら、俺から二人に『最高のプレゼント』をしてあげられるな」



 プレゼント? と小首を傾げる二人に、俺は心の中で笑みを返す。



それからは――もう慣れたものだ。



 電動ミキサーがなく、自分では作業ができないからいつもより時間はかかってしまったが、三十分も経たないうちに、俺がこの世で最も愛する調味料が完成した。



「なんなの? これ?」



 ララが鼻を近づけてくんくんとそれの匂いを嗅ぐ。



「マヨネーズだ。試しに、サラダにつけて食べてみてくれ」



俺がそう言うと、二人は食卓に戻って、早速サラダボウルから葉菜を自らの皿へと取り、どこか恐る恐るといった様子ながらもマヨネーズをつけ、口に運ぶ。と、



「……あら」


「……美味しいかも」



 セリアさんとララは目を見合わせる。



 ララはさらにもう一口、マヨネーズつきの野菜を口へ運んで、それを飲み下してから、



「こ、こんなに美味しい物、初めて食べたわ……! 何よこれ、最高じゃない! パンでも何にでも合うんじゃない!?」



ララのエメラルドの瞳がにわかに輝きを増す。まるでもう手が止まらないというように、マヨネーズをつけたパンを頬張る。



「ララ……! ありがとう! お前とは最高のコンビになれそうだ!」



胸に熱いものが込み上げてきて、俺は思わず叫ぶ。ララは目を丸くして、



「な、何よ、急にそんな大きい声で……」


「それは、俺がこの世界で一番好きな食べ物なんだ。――とはいえ、こんな身体になっちまった以上、もうそれを食べることはできないんだが……」



 あ、とララは気まずそうに表情を曇らせる。



「いや、でもいいんだ。マヨネーズをそうやって美味しそうに食べてくれる人がいるなら、俺はそれだけで充分だ。


 ああ、そうだ、セリアさん。どうか、マヨネーズをセリアさんの店で売ってもらえないでしょうか?」


「これを……?」


「はい。マヨネーズという食べ物の素晴らしさを、この世界の人たちにも知ってもらいたいんです。それに、拾ってもらった恩返しも二人にしたいですし……」


「恩返しなんて、そんなこと考えなくても――でも、そうね。うん、色々レシピの調整は必要かもしれないけれど、いい考えかも……」


「そうですか、それはよかった。でも、確かにセリアさんの言う通りですね。この世界の食材と料理……まずはそれを研究してからでないと、商品にはできないかもしれません」


「それならアタシも力を貸すわ。これがあれば、間違いなく店の儲けになる。これからもずっと、この店は安泰よ!」



 確信したようにララは微笑んで、大きく口を開けてマヨネーズパンに囓りつく。



 ――マヨネーズがセリアさんの助けになるなんて……!



 ひょっとしたら、俺はこのためにこの世界へ来たのかもしれない。マヨネーズの使者として、ここへ呼ばれたのかもしれない。



なんて冗談を思うほど嬉しくなりながら、美味しい食事で雰囲気が和らいでいることだしとセリアさんに訊いてみた。



「ところでセリアさん、この店はセリアさん一人でやっている店なんですか?」


「ええ、そうよ。両親から受け継いだの」


「受け継いだ? じゃあ、お二人は……?」


「二人とも……去年、死んでしまったわ。森の中で事故があって……」


「そ、そうなんですか……。すみません。立ち入ったことを訊いてしまって」


「大丈夫よ。もう心の整理はついているから……。それに、お父さんもお母さんも、ハルト君みたいに頼りになる人が来てくれて喜んでいると思うわ」


「そうだといいんですが……」



 楽しい食事の場に水を差してしまって申し訳ない。



そう思わず縮こまると、ララが先を制すように言った。



「探られる前に言っておくけど、アタシは『知らない』わよ」


「知らない?」


「アタシは、自分の母親の顔も覚えてない。物心ついてから一度も会ったことないから」


「そ、そうか……」



 ひょっとして、ララはこういう会話の流れが嫌いなのかもしれない。これまで何度も、こういう流れで自分のことを訊かれ、その度にイヤな気持ちになってきた……のかも。



 ララは魚の身をほぐしながら半ば機械的に続ける。



「そう。だから、アタシに何を訊かれても解らない。父親のこともね。そもそも、アタシには父親なんていないから」


「え? いない……?」



セリアさんが慌てたように割って入る。



「そんな言い方はダメよ、ララちゃん。おじさんも、きっと何か理由があって……」


「どんな理由があったら、まだほとんど物心もつかない子供を隣人に押しつけて、それから一度も帰ってこないのよ。『伝説の冒険者』だかなんだか知らないけど……そんなヤツ、父親なんかじゃない。ただの他人よ」


「で、でも、まだいちおう元気なのか?」


「知らないって言ってんでしょ。魔物を殺して食ったとか、どっかの街で牢屋に入ってたとか、冒険者の口からいろいろ噂だけは入ってくるけど……そんなの聞かされたって、いい迷惑よ」



 そう言うと、もう何も話さないというように、ララは不機嫌そうな顔で黙々と料理を口へ運んだ。



 これ以上、場の空気を冷やすのは、今後一緒に住まわせてもらう身としてすべきではないだろう。



 そして、再確認する。



 この二人には、俺が必要だ。



 マヨネーズの使者かどうかは定かではないが、俺がここにいることに意味があることは間違いない。



 二人を守る。それが今の俺にとっての生きる意味だ。

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