第2話 記憶を求めて、

しばらく地下街を歩き、西四丁目電停に一番近い出口の階段をのぼり外に出ると、再び冷えた風が暖まった体に容赦なく吹き付けてきた。

電停は地下街からの出入口からすぐの場所にあり、既に数人が並んでいた。

僕もその列の最後に並んだ。

今日は、特に冷え込んでいるようだ。

無言で肩をすぼめて電車を待っている人々が吐く息がとても白かった。

僕は電車を待ちながら、改めて十年前の事を考えた。

当時、僕は東京の大学を卒業して、医療機器のメーカーに就職した。

営業部に配属された僕の最初の勤務地は、札幌支店だった。

初めて社会人として働き、初めての一人暮らしという事で不安もあったが、それよりも新しい生活に対する期待の方が大きかったことを憶えている。

が、しかし僕はその会社を一年で辞めてしまい、東京に帰って来たのだ。

これといった原因がある訳ではなかった。

仕事も私生活についても特に問題なく過ごしていたのだが、ちょうど一年が経った頃急に仕事を辞めて東京へ戻りたいという気持ちが大きくなり、我慢出来ずに、上司にも相談せず一方的に辞表を出していた。

今考えれば、若かったとは言え、なんという無責任なことをしてしまったのかと、自分で自分を恥ずかしく思う。

東京に戻って程なくして、今の会社に再就職することが出来て、その後は東京での勤務が続いた。

この十年間は、札幌での生活について特に思い出すことも無かったが、今回、会社が新たに札幌支店を立ち上げるということで、僕はその担当者の一人となり、再び札幌勤務となった。

人生で二度目の札幌暮らしということで、転勤の辞令を受けた時は、何か札幌とは縁があるなあと思ったが、特にそれ以上の感想は無かった。

遠くに見えていた緑色の電車が、ようやく電停に到着した。

この電車は折り返し運転なので、まず前方のドアが開き、乗っていた乗客が全員降りた後に、運転手が反対側の運転席に移動してから中ほどのドアが開いた。

寒さのなか並んで待っていた人々は、待ちかねたように急いで電車に乗り込んでいった。

僕も列が進むのに従って電車に乗った。

車内はそれほど混んではいなかったが、僕は出口の近くに立って窓の外をぼんやりと見つめていた。

ガタン、と大きく揺れながら電車は走り始めた。

電車が進むにつれて、外の景色は華やかな繁華街から徐々に住宅街へと変わってきた。

これまでは、通勤中に車窓の景色を気にすることも無かったが、今こうして見てみると十年前の景色とさほど変わっていない様に思えた。

当時、なぜ急に東京に戻りたかったのか、自分の事ながらはっきりとした理由がわからない。

今思えば、その部分の記憶がぼんやりとしている様な気がする。

それが十年前の古い事だからなのかは、わからないが・・。

やがて、電車はいつもの電停に着いた。

僕は電車を降りると、まっすぐアパートに向かって歩いた。

いつもなら、途中のコンビニに寄って夕食の弁当などを買うのだが、今日はとても疲れており、食欲もなかったので、まっすぐ帰ることにした。

一人暮らしのアパートには、引っ越してから二ヶ月という事もあり、まだ開けていない段ボールがいくつか積まれたままだった。

とりあえず、冷えきった部屋を暖めるため、石油ストーブのスイッチを押した。

そしてソファーに座り、スーツのポケットから携帯電話を出して見ると、彩香からのメールが来ていた。

僕はメールの内容を見ること無く、携帯をテーブルの上に置いた。

そして、ソファーに横になり、ストーブの真っ赤な炎を見詰めながら今日の出来事について考えていたが、いつの間にか深い眠りに着いた。

そして、あの夢を見た。


夢の中の女性は相変わらず霧のなかで、顔はわからなかったが、じっと僕の方を見つめていた。

次の日、仕事の合間に彩香からのメールを開いた。

〈圭吾、そちらの様子はどうですか。今度、二人の事について、ゆっくりとお話しをしたいので、連絡下さい。〉

〈ごめん、仕事が忙しくて、なかなか時間が取れません。落ち着いたら連絡します。〉

またしても、彼女との事を先送りしてしまった。

本来なら、僕がこちらに来る前に二人できちんと話し合うべきであったが、僕は転勤になった事を話しただけだった。

「そう、札幌は寒いから体に気をつけて・・。」

彼女は、もっと何か話したそうだったが、それ以上は何も言わなかった。

彩香とは、一年ほど前から付き合っているが、今はあまりうまくいっていない。

決して、彼女が悪い訳ではなく、原因は僕の方にあった。

僕の気持ちが彼女から離れかけているのだ。

具体的に彼女のどこが嫌いという訳ではなく、何かが違う。一緒に居るべき女性ではない。と言う気持ちがとても強くなっているのだ。

これまでも恋愛は、いつもこんな感じだった。

急に僕の心が相手から離れてしまい、結局僕の方から別れ話しを持ち出し、相手をひどく傷つけてしまう。

なぜ、こんな気持ちになるのか、自分でも良くわからなかった。

自分の性格なのかとも思ったが、学生時代は、こんな事はなく、ごく普通の恋をしていた気がする。

とにかく、頭では良くない事だとわかっていてが、気持ちがどうにも抑えられなくなってしまう。

そんな自分がいやになり、しばらく女性との交際は控えていたのだが、一年ほど前に職場で彩香に初めて会った瞬間、彼女となら大丈夫ではないか、という気がした。

彼女に対して特別なものを感じたのだ。

そして、職場の同僚と言うこともあって、自然と付き合う様になった。

今度こそは大丈夫と思っていたのだが、二ヶ月ほど前から、またしても心の中で何かが違う様な、このまま付き合っていていいのか、という疑問が沸き出してきた。

彼女のことは今でも好きではあるが、このままでは彼女を傷つけてしまう。なるべく早く別れた方が彼女の為にも良いのではないか。色々悩んでいた時に転勤の話しがあり、無責任であることは承知で、とりあえず今の状況から逃げ出してしまったのだ。

その日、仕事が終わった後、僕は再びテレビ塔の下へ行った。

ここに来れば、昨日の様な事がまた起こり、あの人の事について、もっと何かわかるかもしれないと思ったからだ。

その日も朝から会議など忙しかったが、何とか仕事を片付けて、テレビ塔に着いたのは昨日より三十分ほど早い時間だった。

人通りも昨日よりは少し多い様だ。

僕は昨日と同じベンチに座った。

頭上にそびえ立つテレビ塔はライトアップされており、とても綺麗に輝いていた。

そして、相変わらず多くの雪虫が飛び交っていた。

結局、昨日は雪にならなかったものの、今日もかなり冷え込んでいた。

僕は、コートのボタンを全て閉じて、襟を立てて腕を組んで周りの雪虫をじっと見詰めた。

こうして、じっくりと雪虫の動きを見てみると、本当に風に舞う粉雪その物の様に見える。

東京では決して見ることが出来ない、雪国独特の光景だ。

二十分程見つめていたが、昨日の様に不思議な体験へと導かれる気配は一向になかった。

(どうしてだろう。やはり昨日の事は単なる夢だったのだろうか・・・。)

(いや。確かに声は聞こえた。間違いない。)

(あの声は、あの女性は一体誰なのか・・・。)

「ううっ。」

またしても頭が痛くなった。

不思議と、あの女性の事を思い出そうとすると激しい頭痛が襲ってくる。

まるで、彼女の事を考えることが、何か悪いことの様な感じまでしてきた。

仕方なく、天を仰ぎ深呼吸をした。

真っ暗な空に向かって僕の真っ白い息が勢い良く上がっていったが、すぐに消えていった。

(ううっ、やっぱり寒い。)

僕は、諦めてベンチを立とうとした、その時、広場に一人の女性が立っており、こちらを見ているのに気付いた。

少し距離はあったが、明らかに驚いた様な表情をしていた。




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