金魚、看護師もどきになる

 私自身は、医学を学んだことはない。だが、何故か周囲に病人や怪我人が絶えず、同居祖母が認知症を発症した二十歳の頃から介護にたずさわり、いまや職業にしてしまって更に多くの患者さんに係わり続けた結果、知らない人に間違われる職業の第一位は、動物のお医者さんから看護師さんに変わった。

 係わる人やその時々のシチュエーションで多少の変化はあるが、他に間違われる職業としては、ハンドラーや保育士、幼稚園&小学校の先生などがあるが、何故か介護士はあまり出てこない(何故だろう?)。

 ともあれ、家族・友人・利用者さんの状態を常に気にしている為、通りすがりの人の異変に気付くこともあったりする。


 それはとある仕事帰りの夏の夕刻、いつも立ち寄る青い看板のコンビニの駐車場に居た時のこと。路線バスから降りて来た杖を持った御婦人が、コンビニの入口に向かってゆっくりと歩いて来た。

 『おや?』と思ったのは、その歩き方───足腰が悪い人や片麻痺の人とは違うリズムを刻んでいる。例えていうのであれば、パーキンソン病の人のような変則のリズムだ。しかも、『少しマズイのでは?』と思うほどに、歩くのがかなり辛そうである。

 さり気なく、店に入る素振りをしながら側に行くと、案の定膝が崩れたが、無事支えることには成功した。

「大丈夫ですか? お加減が悪そうですが、椅子に座りますか?」

 と、訊くと、今は吐き気があるのでお手洗いに行きたいとのこと。

「判りました。では、お手洗いでは私が外で見張っていますので、中から鍵を閉めないでください。いざという時に助けに入れませんから───申し遅れましたが、私は介護福祉士ですのでご安心を」

 そう言って御婦人をお手洗いに送り込んだあと、馴染みの店員さんに事情を話し、丸椅子と緑茶を一本拝借する旨を伝えた。勿論パクリではない。朝晩通うコンビニなので、後になるが支払うことも伝える。夏場なので温かいお茶は無かったが、嘔吐した時は、緑茶で口をすすぐと後を引かないのである。

 ほどなくして出て来られた御婦人に話を訊くと、急に気分が悪くなったこと・パーキンソン病ではないこと・嘔吐したら多少マシにはなったが、まだ目眩がしているとのことだった。

 私は、最近ずっと続いている猛暑を考えれば熱中症の可能性が高いことを伝え、救急外来に行って点滴を受けた方が良いと提案したが、御婦人はそれをとても嫌がった。

 御高齢の方が、救急車や救急外来に行かれるのを嫌がるのはよくあることなので特に驚きはしなかったが、一人暮らしである旨を聞けば、このまま帰宅してもらうわけにもいかない。掛かり付けの病院を聞けば、私も患者さんを送ったことがある個人病院の名前が挙がった。

 これはラッキーだ───すでに診察時間は終わっている頃だったが、住居が隣接している場合が多い個人病院であれば、ゴリ押しでねじ込める可能性があることを、私は経験上知っていた。


 そして、そうしたのである。


 幸い自家用車だったので、病院に駆け込み、無理矢理診察をしていただき───結果、御婦人の症状は薬の副作用で、生命に係わるものではないことが判明したのだ。

 『ああ、良かった良かった』と御婦人を自宅までお送りして───即行で私は遁走とんそうした。

「えっ、どうして帰ってしまうんですか? せめて、お茶かお食事でも……」

 まあ、そう言われるとは思っていたが、私の方に全くそんなつもりは無かったので、「通りすがりの介護福祉士の職業病ですので、お構いなく」と言って逃げた。本当の本当に、ほぼ反射行動だったので、お礼などされると返って申し訳ない。なので本気で逃げたのである。彼のコンビニに戻って、お茶の支払いもしなければならなかったことでもあるし。


 で、驚いたのは数日後である。

 件のコンビニにいつものように立ち寄った時、店員さんに預けられたの御婦人からの御礼とお手紙を受け取ったのだ。しかも、お世話になった御礼にといただいたQUOカードは、私が更に御礼に伺わなければならないほどの高額ではなく、お手紙も心の籠ったものながら簡素なものだった。

 さすが年の功というべきか、一線を心得ていらっしゃる。あっぱれというほかはない。


 同じように名乗らずに逃げて来た案件で、発見されてしまった例はもう一件あるが、実は同じように行動していても、後から御礼を述べられることは意外に少ない。

 だからこそ、この時の御婦人の御礼のお手紙は、大切な宝物兼勲章として、今も大切に保管している。

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