金魚、家宅侵入する

 その当時、そして現在も住んでいる私の部屋は、実家の離れである。『離れ』といえば聞こえはいいが、五十ン年前に今は亡き母方の祖母が、早逝そうせいした長男の嫁と娘を住まわせる為に建てた物だ。その後、伯母と従姉はこの家を出て行った為、長く物置として使われていた───と、いうわけで、この離れに通っているライフラインは電気だけ。部屋の四方には断熱材も入っておらず、雨戸もない為、暑いわ・寒いわ・台風シーズンの風は直撃だわの、中々に過酷な部屋である。

 それを承知の上で入居したのだから、そんなこんなはいいとして、困ったのはインターネット回線だった。今時、これは無いと困る───ので、回線だけは引くことにした。当然工事の人が入り、半日と掛からず終わる工事ではあったが、業者の方はご近所に騒音が発生する旨のお断りの御挨拶回りをしてくださり───事件は起きた。


 生活道路を挟んで隣の家の玄関で、人が倒れたというのだ。

 この場合の施行主は私になるので、報告を受けたのも私である。詳細を聞くと、インターホンを聞いて出て来た男性が玄関の内側で転倒して、そのまま立ち上がれないらしい。勿論、助けようとはしたのだが、玄関には鍵が掛かっていて入れないとのこと。

 それらの報告を受けながら現場に向かっていると、当然その騒ぎに気付くのが我が母。十年以上実家を離れていた私にはご近所情報が無い為、母に隣家の話を聞けば、娘さん一家と介護を受けている高齢の父親が住んでいるとのこと。では、転んだのは誰か、自ずと判るというものだ。

 事情が判った瞬間から、私の職業病スイッチはONになった。おろおろしている三人の業者さんにお願いして、家に入れる場所がないか探してもらう。幸い、二階の窓から入れるとのことだったので、私が介護福祉士で、かなり無理があるが人命救助の大義名分があることを伝え、「家宅侵入は犯罪ですので、家の中の物には一切触れず、玄関の鍵だけを開けてください」とお願いした。

 最初に報告を受けてからその指示を出すまで、おそらく十分とは掛かっていなかっただろう。しかしその十分足らずの間、我が母の五月蝿かったことといったら……。

 我が両親は、小学生の私が御高齢の方にバスや電車の席を譲ろうとしたら、「余計なことをするな」というタイプの人なのだ。だからこの時も、私が出て行こうとすると止め、「あんたが手を出す必要はない」とのたまう。それがあまりにしつこいので、「私が施行主だから私が責任者だし、介護福祉士である以上救護義務があるんだよ。私の行動に手を出すな」と言うに至った。

 そして玄関が解放されると、土間と上がりかまちがある玄関で、予想通り高齢男性が妙な形で座り込み、立ち上がれないでいるのを発見。その頃には、我が母だけではなく、ご近所の御婦人方と地域の民生委員をされている母と同世代の方まで集まって、結構な騒ぎになっていた。

 取り敢えず、業者の方には状態が判明するまで玄関の外側で待機、ご近所の方を入れないようにお願いした。


 一見したところ、高齢男性は寝巻姿で、傍らに尿道カテーテルの袋を持参している。この件だけでも、要介護者であることは確定だ。軽くパニックを起こしかけているようだったので、近くに座って、助けに来たこと・痛い所や苦しい所はないかと、ゆっくりと質問を重ねる。異常の確認目的は勿論だが、緩やかに普通に話し掛けるのは相手を安心させる効果があるからだ。

 どうやら怪我はないらしいと判断する頃には、最寄りのケア・ステーションから手の空いているケアマネまで来て下さった。これは心強いことこの上ない。そして二人で相談をし、ケアマネにその野次馬(我が母を含む)の相手をお願いし、私は業者の方の手を借りて介護ベッドまで男性を運び、ベッドの縁に座っていただくことに成功した。

 これで一段落と思いきや、高齢男性が数秒間意識を無くした為に、再びケアマネと相談の上、どのような疾患を持っているか不明なので、救急搬送を依頼することとなった。

 この段階になって問題になったのが、御家族への連絡である。

 我が母を含むご近所の方々も民生委員の方も、御家族の連絡先を知らなかったのだ。

「このお家の状況を見るに、どこかの介護事務所がサービスに入っていますよね?」

 と、言ったのは私。

「入っていますね」

 と、ケアマネ。

「では、どこかにサービス提供報告書がある筈。それを見れば、入っている介護事務所が判るのでは?」

 と、私。

「それが判れば、自分の方で連絡が取れます」

 と、ケアマネ。

 そんなわけで、私達二人は一致団結して、究極の個人情報ではあるが、介護サービスを受けていれば必ず存在する『サービス提供報告書』を探し始めた。

 ここでまた問題になったのが、野次馬の存在───家に入って来てはいけないと何度も言っているにも拘らず、いつの間にか入って来て、一緒になって書類を探そうとするのだ。我が母を筆頭に……。

 てんやわんやの果て、救急搬送は無事に終了。御家族とも連絡が取れて、事は円満解決した───のだが、それでもきちんと言っておかなければならないことがある。



 この時以外にも二回、私は家宅侵入したことがある。

 その時は、私の所属する事務所と契約のある方のお宅で、利用者さんの異変を感じ取ってのことではあったが、それでも家宅侵入は犯罪なのだ。勿論、他人の個人情報を勝手に見ることも犯罪だ。

 私が介護福祉士であっても、手助けに来て下さった方がケアマネでも、人命救助が目的でも、犯罪であることには変わりない。

 なので、手助けを依頼された場合を除き、大義名分のない方々は無闇に手を出さない方がいいのだ。特に、野次馬以外の何者でもない我が母には、肝に銘じていただきだいと思っている(まあ、無理だろうけど)。

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