第15話 独断潜行

 大学の本郷キャンパスまではクリニックから徒歩で行ける距離。

 二限の『場の量子論Ⅰ』の講義の時間までにはまだ少し余裕がある。

 のぞみは理1号館に向かいつつ先程の体験を思い返した。


 希は同じ世界に繰り返し降り立つことも多いが、あの〈弥終いやはてやしろ〉の光景は初めてで希の記憶にもない世界だった。二度目以降なら現実世界の自分が思い出せなくなっていたとしても、その世界に降り立った時点で過去の記憶が甦る。希は今回初めてナギをホストとしたのだと理解した。

 

 ミコト先生という女官が話していたホストの意識との併存。

 

 希はそれを経験したことがある。ホストの自我を認識しつつ神劔みつるぎのぞみとしての自我を維持でき、さらにホストの意識の背後で世界を観照的に捉えることができていた。ただの観測者ではなく、能動的にその世界に介入することもできた。希は、もしその世界が観測可能な多世界の一つだとしたら、自分が選択したホストの行動によってその世界に何らかの形で影響を及ぼせるのかも知れないと思った。

 

 自分の存在そのものが外界からの揺動となり干渉不可デコヒーレンスの因子となる。希はもしナギたちが希と同じことを意図して起こせるのだとしたら、自分のいるこの世界にとってはまさに外界からの揺動になる。

 こうして世界を少しずつ改変することによってナギたちは世界の運命を変えようとしているのだろうかと思った。


 理1号館中央棟のロビーのベンチに腰掛けると、希は楽な姿勢をで目を閉じた。

 

 この時、瞼はほんのかすかに開いたままにする。外眼筋がいがんきんの緊張を緩めればと自然とそうなる。そしてこめかみの辺りに集中して自分の意識の志向を自己の内面へと向ける。すると瞼の裏側に様々なものが現れては消えていく。

 緑や赤色の幾何学模様、オーロラ状の光、不規則なドット。自分の意識の外側から、情報が具現化されて脳に入り込んでくる。希はそれに集中して魅入みいる。

 意識が覚醒状態から変性意識状態へと移り変わり、地響きのような頭鳴ずなりが脳幹部辺りに響き渡る。そして両足に浮遊感を感じたかと思うと、ベンチや床を突き抜けて暗闇の中を真っ逆さまに落下していった。

 

 希はあまり時間が経過していない今ならあの世界に辿り着きやすいと思った。行ける自信もある。希は物凄いスピードで降下していくと、緑色のグリッドを破壊してさらにその奥へと進入した。

 

 眼下にまだあの世界の光景が残っている。希は一寸の迷いもなくそこに飛び降りた。

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