脳の中の宇宙船

龍鳥

脳の中の宇宙船


 遠くの空に、雲が円陣を組みながら笑っている。

 3歳で国の皇帝に即位した、レオナルドは羨ましそうに空を眺めていた。


 

 「いつになったら、母の元へ帰れるのですか?」



 母とは、遠くの宮殿にいる2度と会えない人物である。

 この国の事情は、ある女帝が長く国の栄光を栄えさせてきたが、息子が敢え無く病死。俗に言う崩御ほうぎょが起こり、寿命が当に短い女帝は次の跡継ぎに、遠い血縁であるレオナルドに、白羽の矢を立てた。この事実について、幼子の彼は知る由もなく、女帝がいる城に呼び出されても、訳も分からず母の姿を探すしかない。



 「今日から、お前が王だ。レオナルド」



 弱り切った声を出す女帝に、レオナルドは窓から空を見ていた。

 ここは玉座の間、限られた者しか入れない人間の崇高な場所。女帝は巨大な玉座に座り、輝かしいダイヤを体中に服に縫い付け、金髪は黄金となって光るが、顔の皺は年相応の弱さを感じ、命の灯火は風前と化している。



 「お母さんに会いたい」



 それでもレオナルドは、女帝を前にしても母のことしか、頭になかった。



 

 ***



 

 やがて、女帝は死んだ。

 レオナルドは、7歳。

今宵も子守唄を聞きに、乳母うばであるメイドであるジャンヌに抱き着いている。



 「ジャンヌ、なぜ空は青いのだ」


 「今は夜でありますよ、陛下」


 「あの空の向こうには、母がいるのだ」


 「昨日、会ったばかりではないですか」



 乳離れできないレオナルドは、こうしてジャンヌと共にベットで一緒に寝ている。彼女の声を聞かないと眠れない体質なのだ。しかし、彼はジャンヌに母親代わりに育ててくれたとは言え、もう一つの感情が生まれている。

 だからだろうか、数年振りに会った母の顔を見てさえも、一滴の涙を零さなかったことに、素直に自分で納得して、こうして抱き合っているのだ。



 「ジャンヌよ、母は何故、私を捨てた」


 「…それは、皇族のルールには逆らえませんから」


 「でも、母は会いに来た。いつでも会いに来れる。なのに、何故に一緒に住まない。レオナルドと、一緒に暮らそうという気は、母にはないのか」


 「陛下。それが皇族の」


 「もう寝る」



 母との愛情を否定するように、レオナルドは眠りにつく。ジャンヌも彼が母離れできないことに、渋い顔をするが、諦めて寝ることにした。



 「ジャンヌ、乳をもっと寄こせ」



 2人分は入るベットのシーツに、互いに身を寄せ合う。いつも寝ている姿の光景だ。レオナルドはジャンヌの温かさが、母への会いたい情熱に上書きされそうで恐怖を感じるが、すぐに消えた。彼女の乳の柔らかさには、敵わないのだ。


 いつしか、彼が本当の母になる日は、そう遠くないかもしれない。




 ***




 皇帝は、15歳になった。

 ジャンヌは病死した。今、彼の目の前には聖母のように横たわっているジャンヌの姿がある。白装束を纏い、これから若い肌はやがて腐り果ててゆく。レオナルドは、それが想像するだけで、怖くなった。


 メイドであるジャンヌの葬式というものは、簡素だった。

 数人の使用人を従えて、皇帝であるレオナルドは、ただ墓に入れられた彼女の棺が、土に埋もれていく光景を見るしかなかった。


 この時、自分は何て言葉を表現すればいい。

 2人の母を失ったレオナルドは、ますますと孤独になった。誰も救ってはくれない。彼の凍てつく心は、表面上は仮面のような優男に成りあがっても、下は海水の如く涙の海となっている。


 だが、レオナルドは泣けないのだ。頭の中で、次から次へと任せられる国の管理に、政治への関与、他国との均衡が埋め尽くしていた。


 レオナルドは逃避した。

 この時、ジャンヌが死んでからの日記には、こう記していたそうだ。


 

 『頭の中に、炎が上がってるように見えた』



 15歳のレオナルドは、ある決意をした。


 自分の頭の中に、宇宙を創ろうと。




 ***




 ニューロンとは、神経細胞のことで、脳内で無数に絡まり電気信号を送り合っている。その結果、人間は知ること、考えることができる。その数、およそ1,000億個。


 人間は、考え、食事をとり、運動をする。そのような知性や感情、意志、行動は全て脳によって支配されている。その重要な役割を担っているのが、ニューロンである。


 17歳になったレオナルドは、ニューロンの分岐に辿り着こうとしていた。

 彼の目の前には、皺だらけの女帝の面影でもなく、聖女であるメイドの亡骸でもない。ただ、何もない荒野に立っている。



 「レオナルド、これから宇宙へと旅経ちます」



 彼は、誰もいない誰かに敬礼を送った。

 王様である威厳あるコートを着ず、レオナルドは宇宙服に変貌を遂げていた。これから彼は、どこに旅経つと言うのか。それよりも、王国はどこへ。



 「言葉というのは素晴らしい。言えば何でも創造できる。さあ、宇宙船よ。私に降り立て」



 荒野しかなかった光景に、有人宇宙機が突如として現れた。

 サターンIB。全高68m、直径6.6m、重量589,770kg。8枚の羽翼に、9基の燃料タンクが詰め込まれた、白黒で塗られたロケットである。簡単に説明すれば、地球から宇宙へと飛び出す乗り物と言えるが、レオナルドが乗ることにより、それは『宇宙船』へと変貌する。



 「3,2,1.テイクオフ」



 いつの間にか、レオナルドは宇宙船の操縦席へと乗っていた。

 彼の顔は晴れやかだ。自分を縛り付けていた王国から出られるんだ、未練はない。


 宇宙船に付いているエンジンから、大きな爆風が噴出され、機体は振動しながら、ゆっくりとスピードを上げて空に向かっていく。


 

 「これが夢にまで見た空か」



 何故、彼は宇宙へと向かうのか。


 何故、見送る人がいないのか。


 そもそも何故、この時代に宇宙船があるのか。



 宇宙を海と表現する者がいる。

 その前に、脳の中に海馬と言う機能がある。これは所謂、記憶という場所だ。記憶には2種類ある。頭で覚える記憶、身体が覚える記憶だ。更に分類されると、短期記憶と長期記憶と分けられるが、特に海馬は短期記憶に密接に関わっていく。


 海馬とは、脳内で管理する記憶の司令塔であり、そこから記憶を貯蔵する大脳皮質へと異動する。しかし、その歯車が一つでも崩れると脆く崩れ、様々な記憶障害による病気を起こしてしまう。それが、アルツハイマー型認知症やストレスによる鬱病である。



 彼は今、その海へと目指そうとしている。



 「これから、長い旅になりそうだ」



 期待に胸を躍りながら、操縦の手を強く握るレオナルドは、どこまでも続く暗黒の海へと入って行った。




 ***




 「僕は、21歳になった。誰からも祝えずに大人になった」



 ここで語り部を変えよう。


 僕の名前はレオナルド。元、皇帝である。今は国と星を捨てた身、君達と同じ身分だ。だから、堅苦しい挨拶は無しにして、気楽にいこう。


 気になっているかもしれないが僕は現在、自分の脳の中にいる。


 僕の脳は、通常の人間の脳よりも大きくなっているはずだ。

 何故なら、人間の脳というものは、知能が高くなるにつれて大きくなっていくものだ。記憶を貯蔵する大脳皮質が、『大脳新皮質』となって僕の脳をより、進化させたからね。


 数年前、僕はニューロンの発火による革命的な嵐を見た。

 何かを感じ、新しく物事を考えると、この現象が起きるんだ。これは、新しい知識を得たことによる刺激を得たことで発生するんだ。


 僕はね、これを何回かと繰り返していく内にね、脳の中に新しい機能を見つけることができたんだ。それは、自分の力で自分の脳を大きくすることなんだ。



 「君もやってみるといい。気持ちいいぞ」



 それによって、宇宙船だって作れたし、自分の脳の中にだって入れたし、国すらも捨てて、宇宙を創ることだってできた。


 僕の脳は顔よりも、どんどんと大きくなっていき、やがては大脳新皮質が、僕の体よりも巨大な記憶の貯蔵庫となるようにするんだ。これにより、僕は他人を妬み、排除、差別することなく新しい境地に達しすることができる。



 ああ、僕は自分の脳の中に入れて幸せだ。

苦しみもない、孤独もない、別れもない。膨大な自分という記憶の知識の海に浸れて、毎日が新しい発見に満ち足りてる。人が感じ取ることもない、いや、地球すら記憶してなかった情報が、頭の中に入ってくるんだ。


 僕はいま、100%の力を持って脳を支配できてるんだ。

 海馬の後ろにある、視覚の機能を持つ『背側皮質視覚路』と『腹側皮質視覚路』が激しく炎上しているのがわかる。


 地球上にある、あらゆる空間と色を僕は操れるんだ。この事実に気付いているのは、宇宙船を創造した僕だけだ。


 ああ、またきた。

 あの川の向こうに、また母とジャンヌがいる。

 あれは、僕の2人の母親だ。



 「この宇宙船も、捨てる時がきたか」



 僕がどうしても見たかった景色が、ここにある。だから、現状は宇宙船がなくても僕は宇宙へと飛べることができる。


 これから、彼女らに会いに行く。

 たとえ、国と星を滅ぼしても会いに行く。

 僕は進化した人間だ。誰にも邪魔されない。


 究極の脳になった僕は、死者を蘇らせた。



「ただいま」


 

 ほら、あの柔らかい乳が、僕の目の前に。

 

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