10.触れないで

 なんとか落ち着けて教室に戻れば、ドアが閉まっていた。

 その真ん前で、柳生くんが三角座りをしている。

 隣には、彼の荷物と私の荷物。

 足音で気づいたのか、床をじっと睨んでいた柳生くんが顔を上げて私を見た。

 瞬間、気まずそうに顔ごと目をそらされる。

 当たり前だ。

 目を真っ赤にさせたクラスメイトなんて、気まずい以外の何者でもない。


「遅いからって先生が施錠に来たから、日誌渡しといた」

「ありがとう、ごめんね」

「いや……俺も悪かった」


 立ち上がった柳生くんから荷物を受け取る。


「心配しなくても、言わねぇから安心しろ」


 先に歩き始めた柳生くんが、こちらに背中を見せながら言う。


「別に、柳生くんが言いふらすとは思ってないよ」

「話す相手、いないしな」

「そういうわけじゃ」

「話したところで、お前が否定すりゃ誰も信じないだろ」


 ギュッと心臓を掴まれたような気がした。

 誰も信じない、信じてくれない。

 また灰色の感情がこちらを見上げる気配がして、急いでそこから目を逸らす。


「反応しづらいことを言うなぁ」

「その返事が、もう既に賛同してるだろ」

「あー、ノーコメントで」


 静かな廊下に、私たちの話し声と足音が響く。


「……お前はさ」

「うん?」


 聞こえても、聞こえなくてもいい。

 そんな言葉が聞こえてきそうなくらい、ぽそっとした小さな声。

 だから私はあえて、明るい声で返した。

 その先に来る質問に対して、軽い言葉で返しても違和感がないように。

 もしくは、問うことを躊躇っているのならその言葉を言えないように。


「……」

「柳生くん?」

「あいつらは知ってるのか?」


 サラとアリサのことだ。


「知らないと思うよ。話すようなことでもないし」

「そうか」

「どうして?」

「いや、その……」


 なにかを迷うように口ごもる柳生くんは、だけど少ししてから私を見た。


「昔、誰かに話した、とかもないのか」


 息を飲んだ。

 瞬時にギュッと手の甲をつねる。

 痛みにすがるようにして私はなんとか、記憶から意識を遠ざける。

 あのとき、廊下には先生と私しかいなかった。

 だから、あの会話を誰も知るはずがないのだ。


 先生以外には、誰も。


「ないけど、なんでそんなこと訊くの」

「あ、いや、えっと」


 思ったよりもきつい口調になってしまう。

 駄目だ、いけない。

 そう思ったけれど、謝ろうという気持ちにはなれなくて。

 黙ってしまった私に、柳生くんはしばらく目を泳がせたあと、口を閉じてしまった。


 昇降口までの道のりは、普段の数倍、長く感じた。

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