第十章 ⑥

 この時間帯に新陽星から電車に乗る人はほとんどおらず、ホームで電車を待っているのは俺と悠姫ほ二人だけだった。たまのアナウンスのみが響く閑散としたホームで、次に来る電車を待った。


「......なあ悠姫。最後に一つだけ聞きたいことがあるんだが、いいか?」


 そんな閑散としていたホームでは、俺も悠姫も、声を発することを躊躇ってしまっていたのだが、あと何分その居心地の悪い空間が続くかと考えると、俺は自然とそんな言葉を紡いでいた。


「質問の内容にもよるけど、別にいいよ」


 誰が聞き耳を立てているわけでもないのに、悠姫は気持ち小声でそう答えた。


「じゃあ遠慮なく。悠姫はさ、なんで俺のことなんか好きになったの?」

「......内容にもよるって言ったよね」

「あー、やっぱりダメかあ」

「当たり前でしょ。乙女の純情な心を何だと思ってるの?」

「純情な心なら、俺みたいな奴に恋情なんか抱くかっての」

「詩遠は、自分を過小評価しすぎだよ」

「はあ?」

「.........分かった、じゃあこうしようよ。詩遠が私に惚れた理由を言って? そうしたら、私も言ってあげるから」

「別にいいけど、そんなに面白いものじゃねえぞ」

「そんなのお互い様じゃん。ほら、言った言った」

「......はあ、仕方ないなあ。

 俺が悠姫に惚れた理由、それは端的に言えば、『放っておけなかったから』なんだ」

「放っておけなかったから?」

「ああ。我ながら上から目線で偉そうだとは思うが、昔の悠姫を見ていて抱いたのはそんな感情だった。退院して久々に学校に来たと思ったら辛気臭い顔ばかりを振りまいて、病室でたまに見せる笑顔も、俺の気を遣って浮かべる苦味を含んだもの。

 顔も性格も十二分にいいのに、そんなことをしている悠姫を見ているとなんだか勿体なく思って、心の底から、思い切り笑わせてやりたいと感じた。そして、そんな一心で毎日のように病室に通っているうちにやがて、俺は悠姫に恋情を抱くようになった。

 .........と、まあこんなところだろうか」

「へえ、そっか.........」

「何か引っかかることでも?」

「ああいや、別に大したことじゃないよ。ただ、あの頃の詩遠ってそんなことを考えてたんだなーって。少し嬉しいかも」

「さいですか。......それよりほら、俺は言ったぞ。次は悠姫の——」

『まもなく、二番乗り場に電車が到着します。危険ですので、黄色い線の内側でお待ちください』

「——私の番? 私は別にいいけど、どうする? 電車内で話そうか?」


 俺の声を遮るようにして流れるアナウンスを受け、悠姫は口角を上げ、俺をからか

いながらそう問うた。


「うぐぐ......お前、図ったな?」

「何でそうなるかなあ。というか、私は車内でもいいんだけど」

「悠姫が良くても俺が良くないんだよ」

「へえ、それはまたなんで? 今の詩遠に羞恥心なんてないと思ってたんだけど」

「事実かもしれないが酷い言いぐさだな。いいか悠姫。俺が言いたいのはだな、お前のそのエピソードを俺以外の誰にも聞かせたくないということだ」

「そんな大した話じゃないんだけどなあ」

「そういう問題じゃねえんだよ。ほら、さっさと乗るぞ」

「はいはい。まったく詩遠君は独占欲が強いなあもう」

「へえへえ、悪うござんしたね」

「まあでも、そこまで言うなら、詩遠の望みを叶えてあげないこともないよ? ......というか、もう叶ってるんだけどね」

「は? お前は何言ってるんだ?」


 案の定閑散とはしているものの、一応電車内ということで、俺は少しだけ声のボリュームを下げて聞き返す。


「うーん.........まあ、どうせ今の記憶はなくなるんだし、話してもいいか。たしか、今日私が学校に行ったということはさっき言ったね?」

「ああ。俺は六限までしっかりいたが、一回も鉢合わせなかったな」

「まあそりゃ、この身体は蘭ちゃんのだからね。妙な行動を見られたら困るよ」

「......? いや、そいつらもこの件の間の記憶は消えるんじゃないか?」

「うーん、私もそうかなと思ったんだけど、烏汰さんの言い方を考えると、記憶が限りなく薄くなるのは詩遠だけな気もして」


 俺はそんな悠姫の言葉を受けて、約一週間前に烏汰さんから聞いた言葉を捻りだすように、何とか思い出す。まあ確かに『世界は元あったものに戻る』とだけしか聞いてないから、どちらの意味としても取れるな。触らぬ神に何とやらとも言うし、何もなかったのなら別にいいか。

 俺が思考を止め、そう結論付けた所で、悠姫は話を再開する。


「それでね、学校の情報処理室に詩遠と蘭ちゃん宛の手紙を残してきたの」

「手紙? 紫水の方は分かるが、何故俺の分まであるんだよ」

「......いやあ、最初は私も蘭ちゃんの分だけでいいかなって考えてたんだけど、今日、私が詩遠に言ったことを、ちゃんと言えるかどうかがどうしても不安で.........」

「そうか。悠姫も意外と心配性なのな」

「それぐらい、詩遠のことが好きだってことだよ」

「はいはい、俺も好きだよ」

「あっ、流された」

「いくら人がいないとは言え、電車内でこういう話は控えろっての。......そんなことよりも、俺って悠姫のことは結構知ってると思ってたんだが、案外そうでもないものなんだな」

「そんなもんでしょ、人間って。きっと私が詩遠の全てを知れば嫌いになるし、詩遠も私の全てを知れば嫌いになるよ。だから、これくらいで丁度いいんだって」

「そうかあ? 俺は悠姫の全部を知っても好きでいる自信があるけどな」

「もう、自分からそういうことは言うなって言ったくせに」

「それぐらい、悠姫のことが好きだってことだよ」

「あっ、やられた」


 そんな、取り留めのない会話を延々と続けながら電車に揺られること十分弱。電車は紫水家の最寄り駅へと到着した。ホームに降りると、すっかり冷え込んだ外気が容赦なく襲い掛かる。


「ひゃー、やっぱり寒いね」

「暖房を浴びていたから余計にそう感じるよな。どうだ? 手でも繋ぐか?」

「.........」


 手を差し出す俺に対し、悠姫はただ黙って俺を見つめるばかりだった。


「ど、どうしたんだ?」

「いやあ、私は詩遠が女たらしにならないか心配で心配で」

「......はあ?」


 突然頓珍漢なことを言いだす悠姫。思わず、腑抜けた声で聞き返してしまう。


「だって、ほんの二週間ほど前、蘭ちゃんに手を差し出したときはかなーり緊張してた癖に、心境に何の変化があったのかは知らないけど、『手でも繋ぐか?』って流暢に。蘭ちゃんも難儀だねえ......」

「ちょっと待て。色々とツッコミどころがある。まず立場が違う。紫水は部活の後輩、お前は曲がりなりにも恋人。しかし、時に悠姫、お前何で俺が紫水と手を繋いでいたといういうことを知ってるんだ?」

「えっ? あー............あ、そう。きっと蘭ちゃんの記憶がなんとなく私に残ってるんだよ。............ほら、そんなことより、手繋いで帰ろうっ?」


 そう言いながら、悠姫は片手の手袋を外しコートのポケットへと突っ込むと、俺の手をがっしりとつかんで走り出す。俺は急なそれに対応することができず、凍結した地面に何度か滑りかけてしまう。

 が、そんなことはお構いなしと言った様子で、悠姫は小走りを続ける。一体何を隠しているのかは知らないが、碌なことじゃなさそうだな。まあ、その方が悠姫らしいか。

 俺はそんなことを思っては、悠姫の走りに付き合いながら小さく笑った。

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