第一章 ⑤

「すまん、待たせたな.........って、紫水。手袋持ってないのか?」


 ロッカーに持って帰らなければならないノートがあり、それをリュックに詰めたりいろいろしていたせいで紫水をこの真冬の夜に待たせてしまったことを詫びると同時に、俺は紫水が手袋をしていないことに気づき、そう問う。

 すると紫水は暗がりの中、苦笑いをし、手を擦り合わせながらこう答えた。


「あはは......実は部室に忘れてきてしまって......でもまあ、大丈夫です」


 紫水はそう言うが、正直俺は、程よく白い紫水の手が赤みを帯びていくのを見ていられなかった。俺は少し考えた後、自らが身に着けていた手袋を外し、それを紫水に手渡した。するとその瞬間から容赦なく寒風が肌を打ち思わず武者震いをしてしまうが、その寒さを我慢するように、コートのポケットに手を突っ込んだ。


「今から取りに戻るのも面倒だろうし、今日だけ貸すよ、それ」

「え? でもそれだと先輩は......」

「心配ご無用。俺の暑がり体質をなめてもらっちゃ困るな」

「......そうですか。では、お言葉に甘えて......」


 あまり納得はしていない様子の紫水だったが、返すのも失礼だとでも思ったのか、俺が愛用している紺の手袋をつけ始めた。そしてその十数秒後。つけ終わった紫水が手をパーにして見せてくれたのだが、ああ、なるほど。俺は初歩的な計算ミスをしてしまったようだ。というのも。


「あの、先輩。せっかく貸してもらったんですけど、ごめんなさい。サイズが合わないです」


 数センチ余った指先で、頬を掻く紫水。それはそれでありかとも思った俺だったが、流石に数センチ余った手袋を付けておくのも格好悪くて嫌だろうということで、最終的に俺愛用の手袋は持ち主の手のひらへと収まった。くそう、少し優しいところを見せようと思ったが、普段はてんでこういうことをやらないもんだから裏目に出てしまった......。

 そして、そのまま正門へと歩き出した俺たちであったが、やはり、紫水の手は冷たそうで、寒そうだった。露骨にするようなことはしないものの、時たま手を擦り合わせたりして暖をとっている紫水を見て、俺はとあることを思いついた。それはちょうど、正門から出ようとしていた瞬間のことであった。


「なあ、紫水」

「はい、何でしょう」

「手寒いんなら、片手だけなら......て、手を繋いでやってもいいぞ」

「......へ?」


 この紫水の反応を聞いた瞬間、俺は顔から火が出るかと思った。隣にいる紫水からは小さくクスクスと笑い声も聞こえてくる。なんだか、今なら羞恥心だけで体温を五度ぐらい上げれそうだ。我ながら初心なものだと自嘲してしまう。

 .........って、ん?


「お、おい紫水」

「はい、何でしょう」


 確かに俺は感じた。手袋越しでも、さすがに人の手の感触くらいは分かる。......つまるところ、そういうことだ。紫水の柔らかな手は今、俺の手に触れているということで。


「いいのか、今からファミレスまで行くんだぞ?」

「誘ってきたのは先輩じゃないですか」

「いや、それはそうだけどさ......」


 紫水よ、あまり生涯彼女がいたことがない男をなめてはいけないぞ。こんなことをしていては俺みたいなやつはてっきり気があるのかと勘違いするからな。俺は違うけど。俺は違うけどな.....!


「......まあ、いいか。じゃあ行くぞ」


 仕方がないので、片手を紫水に貸したまま歩き出そうとする。......が、紫水は俺の隣を歩こうとはしなかった。なぜか、正門をくぐるかどうかというぐらいの場所で、

ずっと立ち止まっている。


「? どうしたんだ?」

「いや、ちょっと寒いなぁ、と思いまして」

「はあ? お前は何を言って......」

「やっぱり、手袋越しじゃあまり暖かくないんですよね」

「.........は? って、ちょっと待て紫水......!」


 俺が呆気に取られている間に、紫水は無理やり俺がつけていた手袋の中に繋いでいた手を突っ込んできた。そしてその瞬間、氷のように冷たく、そして柔らかな物体が俺の手に触れる。


「この方が暖かいです」


 紫水は、さも任務を遂行したかのように、満足気にそう呟いた。


「いや、そりゃそうだけどさ.........なんていうか、さすがに恥ずかしいというか......」

「......でも、誘ってきたのは......」

「あーあー、分かったよ。これで行けばいいんだろう?」

「はい、ありがとうございます」


 暗がりの中、微かにだが紫水の笑顔が見えた。......自分で言うのもなんだけど、俺、こういうのに弱いんだよなあ。

 というか、何だろうか。今日の紫水はいつもとは似ても似つかないような行動をしている気がする。いやまあ、別に嫌なわけではないんだけどさ、なんか、調子狂うよなあ。

 俺はそう思ういながら、未だに消えない羞恥心を抱えたまま、紫水とともにファミレスを目指して歩き出した。

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