第5話 おでんと甘い卵焼き


 街中はハロウィンで大賑わいだけれど、私の心は楽しくも浮かれてもない。

 目の前を歩く幼馴染の後ろ姿を見失わないようにつかず離れずに追いかけていくので精一杯だったから。


 共働きだった私は幼馴染の家で夕飯やお昼をごちそうになることが多くて、しかも料理担当をしていたのは幼馴染というちょっと変わったお宅だった。

 小さな手に包丁を持ち野菜を切ったり、フライパンを振ったりと「子どもに刃物や火を扱わせるなんてとんでもない」なんて雰囲気は少しぽっちもない。

 同じ年の男の子がキッチンに立って料理を作るのを初めて見た時はさすがにびっくりしたし、なんで?とも思ったけど。


 幼馴染が料理に取り組む姿勢は私の眼から見ても真剣で、邪魔しちゃいけないものなんだってことは分かったし、なによりも美味しかったから喜んでご馳走になっていた。


 でもただひとつ納得できないことがある。


 あいつが目標にしている味があること。

 憧れてやまない相手がいること。


 けして届かないソレにあいつがどれだけ苦しみ、悩み、藻掻いてきたか。


 私はずっと見てきた。

 だから。


「専門学校に行かないのなら、なんで声がかかっていた有名店の誘いを断るかな!」


 それがどうしても許せなくてついつい思いが口から飛び出していた。結構な音量に慌てて口を押えて傍にあった中華料理屋の看板の陰に隠れる。

 こっそりと覗くと幼馴染は立ち止まり辺りを見渡していたので、うるさく跳ねまわる心臓を上から宥めるようにトントンと叩いて見つかりませんようにと祈った。


 やがて首を捻って気のせいかという顔をした幼馴染がまた歩き出す。

 すぐに出て行ったら振り返られた時に気づかれてしまうので、ゆっくり60まで数えてから尾行を開始する。


 さっきよりも距離が開いてしまったので幼馴染の姿はハロウィンの仮装をしている人たちの間からチラチラと見えるだけになってしまった。


「ああ、もう!そもそもハロウィンって外国のイベントでしょ?なんでこんなにみんな張り切ってんのよ」


 いつもだったらハロウィンの季節にしか出回らないお菓子やキャラクターをかわいいって普通に楽しめるのに。

 しかも今年は日曜日に当たっているからまだ15時を過ぎたばかりだっていうのに町は大賑わいだ。


「え?ちょっと」


 幼馴染がすっと道の端へと寄ったのが見えたなと思ったら、次の瞬間にはまるで消えてしまったかのようにいなくなっていた。


「待って!?なんで?」


 お喋りしながらのんびり歩いているカップルの横を謝りながらすり抜けて見失ったあたりまで急いで向かう。

 そこには古い喫茶店があって煉瓦風の壁に入り口を挟んで細長い窓がついている。レトロというよりは、ちょっと寂れたという感じで開いているのか閉まっているのかも分かりづらい。


「それに、お店の看板もないし」


 常連さんだけ通ってくれればいいっていうようなお店なのか、もしくは看板を出さなくても実は有名なお店でどんどんお客さんが入るのか。


「入って、見る?」


 恐る恐る入り口の前まで行ったものの、勇気が出ずに把手に手が伸びない。こんなところで黙って突っ立っていたらお店の迷惑になるし、不審者だと思われてしまうけど。


 初めて入る上にどんな店なのかも分からない状況で飛び込めるほど私は図太くできていない。


「ううっ」


 変な汗をかいて呻いている私の視界の端にチラリと動くものが映る。それは小さくて黒い猫のような影。


 顔を向けると喫茶店と隣の理髪店の間へと消えていくしっぽの先が見えた。なんとなく誘われるように入り口を離れて覗き込むと、そこには細い路地が続いていた。

 前から人が来たらすれ違うのにお互い端っこに寄って譲らないと通れないような道だけど、荒れている感じはしないのでちゃんと使われているんだろう。

 黒猫がしっぽを揺らしながら悠々と歩いている姿がすごく和む。


 でも和んでいる場合じゃない。


「どうしよう」


 やっぱりあの喫茶店に入ってみるべき?

 大学生のお小遣いで払えるような金額ならいいけど。


「うう~ん、って?え?なんで!?」


 ぐずぐずと悩んでいる私の視線はずっと癒し――というか現実逃避―—として黒猫の後ろ姿を追っていた。


 追っていたはずなのに。

 その姿が風景に溶け込むように消えたのだ。


 路地とはいえまだ日は高く明るいから奥の方までしっかり見えている。三毛猫だったり、サバトラやキジトラとかの柄ならまだ風景に紛れてっていうのは分かる気がするけど。


 相手は黒一色の猫である。


 艶々で触り心地のよさそうな毛並みは太陽の光を受けて輝いているくらいの美しいものをお持ちの猫が。


「突然消えるなんてありえますかねぇ!?」


 いくら外国のお盆みたいなイベントでも昼間っから怪奇現象なんて起こっていいわけがない。


「いやいやいやいや、ないでしょ?それはちょっと」


 乾いた声で笑いながら一歩後ろへと下がる。その拍子に背中にドンッと何かが当たって「危ねぇな!気をつけろよ」と怒鳴られ、謝る暇もなく逆に突き飛ばされてしまった。


「うわっ!っとと」


 バランスを崩し前へと大きく足を踏み出したけど、それでも体勢を整えることは難しくて前のめりになりながら次の足が前へと自然と出る。

 でもその出た方向が悪かった。

 狭い路地の壁に肩がドンっとぶつかり、痛みを堪えつつよろよろと数歩進んだ時には路地の奥の方へと来てしまっていたのだ。


 ぐらりと地面が揺れた気がした。


 地震じゃない。

 揺れたのは地面じゃなくて。


 世界なんだと。なんの根拠もなくそう感じたのは、きっと間違いじゃない。


 賑やかな通りがレトロな壁と無機質な壁の向こうでポツンと切り取られている。道はギザギザに曲がって細さも太さもてんでバラバラ。しかも大きく上下にうねっていて、とてもじゃないけど歩いて通れそうにない。


「なに、これ」


 膝が震えて声が裏返る。


 どうしてこんなことになったのか。

 全く分からない。


 私はただ幼馴染の後をつけてどこで働いているのか確かめて、それからこれで本当にいいのかと諭して。理由次第では応援しようって思ってただけなのに。


「ははは。やっぱコソコソするより堂々と正面から”なんで?”って聞けばよかったんだ。こんな」


 卑怯なことするからバチが当たったんだ。


 そもそも進路を相談されたこともなければ、ここで働くことにしたからって報告もしてもらえない私は本当にあいつの幼馴染っていえるのかな?


 腐れ縁くらいにしか思われてないのかも――怖くてしゃがみこんだ私の脛にふわりと柔らかなものが触れる。そして細長いふわふわも膝を撫でてていく。


「ふぇ?」

「にゃ~ん」

「ね、こ?」


 ゴロゴロと喉を鳴らして灰色のような緑のようなきれいな目で黒猫が見上げてくる。小首を傾げてもう一度可愛い声で鳴くので私もつい笑顔になった。


「慰めてくれるの?ありがと」


 手のひらをそっと差し出すと伸び上がって顔を近づけクンクンと匂いを嗅ぎ、目を細めてからグンッと額を当ててくる。

 しっかりとした骨の感触が柔らかな毛皮の下にあり、ほこほことした熱が伝わってくる頃には萎れていた心に元気が戻っていた。


 ほんと生き物の力ってすごい。


「こんなとこで落ち込んでても仕方ないよね。進まなきゃ」

「にゃん」


 よっこらせと立ち上がった私の前を猫ちゃんがしっぽをピンッと立てて歩いて行く。途中で振り返りにゃんと鳴いて誘うので笑いながらその後に続いた。


「ここらへんは猫ちゃんの縄張りなの?」

「にゃにゃん」


 鼻先をツンっと上に向け得意げな様子をしている黒猫は可愛くて頼りになる。

 時々現れる分かれ道や暗い影の落ちる場所を迷いのない足取りで進み、飛び越えながら行く道は怖いはずなのに楽しくて。

 どこからともなくお出汁のいい香りが漂ってきた頃には小鼻を膨らませてお腹をぐぅって鳴らしていたくらいだ。


「にゃ」

「えへへ。ごめん。ずいぶん歩いたからお腹すいちゃった」


 髭を震わせて振り返った猫ちゃんに照れ笑いを返すと、呆れたのか急に全速力で走り出してしまった。


「ちょ、待ってぇ」


 私がここまで安全に進んでこられたのは猫ちゃんのお陰だってことはさすがに分かる。だから必死になって黒猫の姿を追った。


 気温が下がって冷たくなった風が肺や気管を容赦なく通り抜け、微かな痛みを刻み付けていく。

 運動不足を自覚している私の息が上がるのはあっという間で。

 路地を抜け空地へと出たところでさすがに足がへなへなになった。全身が心臓になったんじゃないかってくらい、どくどく血が流れて汗が滝のように流れて気持ちが悪いのに――心はなんだかすっきりしていて。


「はぁ、しんど」


 小さめのショルダーバッグからハンカチを取り出して汗を拭いながら視線を動かす私の目の前にポツンと屋台が出ているのが映った。

 赤い提灯が屋根の端にぶらさげられ、目隠しがわりなのか長い暖簾がぐるりと囲んで。背もたれのない長椅子は寄ってなんとか四人座れるかどうかくらいしかない。


 その椅子の上に猫ちゃんのしっぽが揺れている。

 そして漂ってくる醤油とお出汁の香り。


「ぐぅ、たまらん!」


 たくさん歩いた後の全力疾走で身体はへとへと、お腹はペコペコである。

 ふらふらと足をもつれさせながら屋台へ近づき長年風雨に晒されてきた赤い暖簾を手の甲で押し上げると温かい湯気とおでんが迎えてくれた。


「おいしそう!」

「うにゃうにゃ」


 猫ちゃんが遅いぞと言いたげに鳴くので「ごめんごめん」って返して席に着きながら真ん中に据えられたおでんが入った大きな容器を覗き込む。

 定番の大根はしっかりと味が染みているのが分かる色をしているし、ふわふわのはんぺん、しらたきに結び昆布、巾着やこんにゃく、色んな形の練り物、厚揚げにたまごに牛筋に――ああ、どれもおいしそう。


「どうしよう……決められない」

「お嬢さん、初めて見る顔だな」

「え?」


 声をかけられてやっと向こう側に誰かが立っているのに気づいた。細い体に着物を着た前歯の欠けたおじいさんが困ったように笑っている。


「えっと、初めてだとダメな感じのお店ですか?」

「前はそうだったんだが、最近ではツアーってやつで月二回くらい一言さんも来るようになったからな」

「ツアー?」


 観光地でも有名店でもない。こんな辺鄙なところにある小さな屋台にツアーで客がやってくるなんて不思議な話だけれど。

 目の前に並んでいるおでんの美味しそうな様子をみれば『隠れた名店』って感じで、来たがる人がいるのは頷ける気がした。


「じゃあよかった。お腹空いてて、ここで追い出されたら私途中で行き倒れちゃうところでした」

「そうかい。この辺りで行き倒れられたら命の保証はできんからな」


 なんにするね?と聞かれて、再び決められないという贅沢な悩みに苦しめられる。うんうん唸っているとおじいさんが苦笑い。


「決められないなら適当にこっちで選んでもいいがね」

「それじゃ、おすすめで!お願いします」

「あいよ。これは”えん”の分な」

「にゃん!」


 コトンっと置かれたのは猫ちゃんの前。練り物を中心に大根と牛筋とたまごもお皿に乗っている。


 猫って大根とか、たまご食べるの?


 そもそも猫ちゃんが当然のように常連客としておじいさんに認められていることもびっくりなんだけど。

 カウンターに前足をかけて嬉しそうにお皿に顔を突っ込んでいる姿を眺めているとそんな些細なこと気にする方が間違っているような感じがする。


「”えん”って猫ちゃんの名前?」

「んにゃん」

「ふ~ん。なるほど。きっと私と”えん”ちゃんの間にもなにか縁があったのかもね」

「んなぁ」


 どこか不服そうな鳴き声におじいさんがくくくって笑い声を漏らす。


「”えん”は縁じゃない。”炎”って書いてえんって読むんだ。ほら、熱いぞ」

「ほのおで、えん」

「そうそう」

「へえ。かっこいいね」

「にゃあ」


 おじいさんが差し出してくれたお皿を両手で受け取り、わくわくしながら確認するとはんぺんと巾着、ウィンナーが挟まった練り物の横にタコの足。

 お皿の縁にからしがついていて、普段なら見向きもしないからしすら特別なものに見えてくる。


「いただきます!」

「あいよ」


 串に刺さったタコにほんの少しだけからしをつけて、ふうふう冷ましてから丸まった先をぱくりと頬張った。前歯で簡単に嚙み切れるほど柔らかくて、優しいお出汁がタコの旨味といっしょにじゅわっと沁み出してくる。そこにピリッとからしが効いて。


「おいしいぃ!!」

「そうかい。よかったな」

「待って!待って!手が止まらないんですけどぉ!?」


 柔らかいタコを食べ終わり、ふわふわ白いはんぺんをはふはふして平らげる。油揚げを箸で割ると中は鶏ひき肉に包まれたウズラの卵がコロンと出てくる巾着は干し椎茸がまたいい仕事をしていてあっという間に食べ終えてしまう。

 練り物はウィンナーの弾ける肉汁と旨味を上品に包み込み口の中に満足感だけを残して胃の中へ消えていった。


「ううう。もう、なくなっちゃった」


 おでんってこんなにおいしかったっけ?

 

 空になったお皿を見下ろして、おかわりを頼もうかどうしようか真剣に悩む。

 財布の中にはそんなに入ってなかった。さすがにおじいさんがやっているような屋台では電子マネーは使えないだろうし。


「お嬢ちゃんは食べ盛りだろうから足りんだろう?ほらこれよかったら食ってくれ」

「え?いいんですか?」


 可哀そうだって思われたんだろうな。

 私の目の前に四角い素焼きのお皿に乗った卵焼きが差し出された。


「儂の弟子が作ったやつでな。ちょっと焦げちまって。自分たちの晩飯にと思って取っておいたんだが、お嬢ちゃんが食べた方が喜ぶだろうしな」

「お弟子さんがいるんですか」


 たしかにこんなにおいしいおでんを作る人だもんな。

 他の料理だって当然素晴らしいお味だろうし、そんな人の技を教えてもらいたいってやって来る人もいっぱいいるに違いない。


「じゃあ、遠慮なくいただきます!」

「おう」


 ニヤニヤと笑うおじいさんからお皿を受け取って、まずは匂いを嗅いでみる。お出汁と甘い香りがほんわかしてきてなるほどと納得した。


「お砂糖入ってるから焦げやすいんですね」

「そうそう」

「私、甘い卵焼き大好きなんです」

「儂はどちらかっていうと塩でシンプルに仕上げた方が好きなんだがな」


 おじいさんとお弟子さんはその点では好みが違うらしい。

 それでも顔をくしゃくしゃにして笑う顔にはお弟子さんに対する好意的な感情が溢れている。


「私の家も塩の卵焼きなんですよ。それが普通だって思ってたんですけど、料理好きな幼馴染が作る卵焼きが甘いやつで。それを食べてから私はそっちの方が大好きになっちゃって。お母さんの作る卵焼きが物足りなく感じちゃうんですよ」


 表面が所々茶色く焦げている卵焼きに箸を入れ、ぱくりと頬張った。まずは卵と砂糖の甘さがやってきて、その後からお出汁の香りが鼻に抜ける。

 焼いてすぐはふわふわだったんだろうけど、時間が経った卵焼きは少し硬くなっていて、その分味もぎゅっとしまっていて濃い。


「おいしい」


 でも、この味。

 私、知ってる。


「おじいさん」

「どうした?」


 丁寧に巻いて行くから、いつもちょっとこんがりと仕上がってしまう卵焼き。

 焼き上げてすぐは中からじゅわっとお出汁が染み出てくること。

 冷めてからは甘さがぐっと増すこと。


 私は知ってる。


「めぐるが甘い卵焼きを作り始めたのは私のためなんです」


 あれは小学生の時だった。

 お母さんにケーキを作ってもらったって話を仲良かった友だちから聞いた私はすごく羨ましくて。

 でも両親は仕事で忙しくて、お休みの時に「お菓子を作って欲しい」なんてわがままとても言えなかった。


「きっと頼んだらケーキは難しくてもクッキーとかホットケーキとか簡単なものなら作ってもらえたんだと思うんです」


 売っているお菓子では埋められないもの。

 手作りだから満たされるものがあるんだって初めて知った。


「言えずにいた私にめぐるが作ってくれたのがです」


 お菓子は無理だけど料理ならできるから――って。


「優しいんですよ、あいつ」

「だな」

「めぐる、ちゃんとやれてますか?」

「十分すぎるくらいだ」


 そっか。

 ならいいか。


「めぐるはおじいさんの味をずっと追いかけてここまで来たんですね」

「あー、なんかありがたい話だがな。小せぇ頃の約束をずっと忘れずに頑張ってきたらしいしな」

「このおでんを食べたら分かります。一回食べたら虜になっちゃいますもん」


 でも。


「なんにもいわないで就職しちゃうなんてひどくないですか?めぐるの夢が叶ったんなら一緒に喜びたいし、お祝いだってしたいのに。めぐるにとって私ってその程度の存在なんですかね」


 ぷくっと頬を膨らませると黒猫の炎が前足を私の腿の上にちょこんと乗せて「そんなことないだろ」って。


「喋った!?」

「最後まで黙っておくつもりだったが、誤解させたまま帰したんじゃここまで連れてきた意味がないからな」

「え?えぇ!?待って、どういうっ――ぎゃあああ!?」


 戸惑っている私の前で炎の体がぐんぐん大きくなっていく。あっという間に私よりも大きくなって椅子にしっかり腰かけている。

 見た目は大きいけど猫のフォルムのままだから可愛さは残ってるし、腿の上から退かされた足の裏にはピンク色の魅力的な肉球が見えた。


 怖さはない。

 だけどびっくりした。


 あの路地のこちら側は人の住む世界じゃないんだって改めて気づかされる。


「あ!めぐるは!?めぐるはこんなとこで働いて大丈夫なんですか!?」

「”こんなとこで”って言い方はちょっと気に入らないが、めぐるはこっちではちゃんと大切にされてるぜ」


 お猪口に注がれたお酒をぺろぺろと舐めて飲みながら炎はふんっと鼻で笑う。


「だがそれでも完全に安全とは言い切れねぇ。人間は俺たちにとっちゃご馳走なんだ。それこそお前みたいな元気で若い女が迷い込んでくるのを虎視眈々と狙っている輩がここにはいっぱいいるんだよ」

「つまりめぐるはお嬢ちゃんに言いたくても言えなかったんだわな」

「そんな」

「お嬢ちゃんがめぐるを心配する気持ちを甘く見てためぐるも悪い。おい!めぐる!こっち来い」


 顔を後ろへ向けておじいさんが呼ぶと奥の方から気まずそうな顔のめぐるが入ってくる。作務衣姿の幼馴染は久しぶりに会うこともあって、ちょっと大人っぽく見えてそわそわした。


「お嬢ちゃんを安全なとこまで送り届けてこい」

「はい」

「いや、でも仕事中でしょ?」

「独りで帰るなんてバカなこと言いだすなよ?俺はゆっくり飲みたいんでね。めぐるが送らないとあんたは恐ろしい化け物に食われてはい、さよならだぞ」


 黒猫は意地悪そうな顔で笑い銀色の髭をそよがせる。

 これはめぐるに送ってもらうしか安全に帰る方法はないみたい。


「行くぞ。マキ」


 向こう側から外を回ってやって来ためぐるは作務衣の上にパーカーを着こんでいた。そういう姿は変わらないままで正直ほっとする。


「あ、おじいさんいくらですか」

「いらねぇよ。気をつけて帰んな」

「でも」

「マキ、いいから」


 出した財布を取り上げてめぐるは私の鞄の中に押し込むと、そのままくるりと背を向けて歩き出した。


「待って、めぐる」


 おじいさんと黒猫に「ごちそうさまでした」とぺこりと頭を下げて慌てて幼馴染を追いかける。

 暖簾の向こうはすっかり暗くなっていて、ぶるりと身を震わせるほど寒い。

 空地と路地の境で待っていてくれためぐるに追いつくと突然「悪かったな」って謝られた。


「心配してくれてたんだろ?」


 う~ん。

 心配というよりは。


「怒ってたかな」

「そっか」

「でもそれって私の都合だった、というか誤解だったし」


 めぐるの後ろをついて歩きながら「私の方こそごめん」と続ける。幼馴染はうんって応えて。それで会話は終了。


 街灯なんてないのに路地は明るくて静かだった。

 その代わり塀の向こうや角や隅にある暗がりはとっても深くて、そこからなにかがこっちを見ている視線と気配があって。

 いつなにかが出てきてもおかしくない状況はすごく緊張する。


 めぐるは毎日ここを通って屋台に向かい、そして明け方前に帰ってくるんだと思うと不安でたまらなくなった。


「めぐるっ」


 パーカーの裾を握って引っ張ると、振り返っためぐるが困ったように眉を下げる。そして震えている私の手を恐る恐るといった感じで掴んで上着から離すとそのままぎゅっと握ってくれた。


「もうすぐ通りに出るから」


 心配いらないって励まして。

 またゆっくりと歩み出す。


 小さい時のように手を繋いで。

 でもあの頃よりずっと大きくて力強い手。

 その手は料理でたくさんの人を喜ばせ、幸せにできる力がある。


「……人だけじゃないんだからもっとすごいよ」

「なんか言ったか?」

「なんでもない。ねえ、めぐる」


 私が好きだって言ったからめぐるの作る卵焼きが甘くなったように、めぐるの中で他にも変わったものってあったのかな。


 真面目で努力家の幼馴染はなんでも自分で決めてさっさと先へ進んでいく。


 私にはまだやりたいことも将来のビジョンも持ててない。

 だからこそ眩しくて。羨ましくて。胸が苦しいんだ。


「また卵焼き作ってよ」

「今日食っただろ」

「あんなんじゃぜんぜん足りないよ。それに久しぶりにふわふわのやつ食べたい」


 完全に夜型の生活をしているめぐるにこんなお願いするのはすごくわがままだって分かってるけど私は幼馴染の作る料理が大好きなのだ。

 そして料理を作る真剣な顔も、菜箸を持つ腕も、フライパンを振る時に力強く動く肩も――全部。


「じゃあ来週の土曜の昼に家に来れば」

「やった!」


 飛び上がって喜ぶとめぐるが目を丸くした後で小さく笑った。


 不安も心配もいっぱいあるけど、私はめぐるを応援したい。だから土曜日までに就職のお祝いを用意しよう。


 なにがいいのか分からないからおばさんに相談して喜んでもらえるようなものを。


 そしていつか自分の夢を見つけることができたら。

 めぐるに聞いてもらいたい。


 それまではわがままで面倒な幼馴染でいさせてね。





 

 




 


 

 


 












 












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

屋台でハロウィン いちご @151A

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ