第2話 不思議な縁




「本当に、あった…………」


 目の前をぴゅっと冷たい風が吹き抜けると赤い提灯が揺れ、薄汚れた同色の長い暖簾の裾が頼りなく翻った。

 ビルとビルの間にある空き地には所々雑草が生えており、表通りから数本も路地を進んだこんな寂れた人もこないような場所で何故店を開いているのか。


 全く理解に苦しむが半信半疑でここまでやって来た自分の酔狂さも相当なものだから他人ひとのことはとやかく言えないだろう。


 空を見上げれば高いビルの屋上に四角く切られた夜空が見えた。


 随分と冷えて来たからかいつも以上に空気は澄み、美しい星が雲ひとつない空を彩っている。


 仄かに漂ってくる匂いはおでんのものか。

 和食特有の出汁と醤油の香りがした。


 視線を目の前の屋台へと戻して重心を左足へ移動させ暫し考える。


 普段は地味でおとなしい先輩(女)が飲むと途端に陽気になり、必ず「ここだけの話しなんだけど」と声を潜めて自分にだけ語ってくれるのはきっと特別でもなんでもない。


 あの日――去年のハロウィンで会社の飲み会の途中で行方をくらませた先輩を、次の店に移動するべく向かっていた自分が見つけて声をかけたからだ。


 彼女曰く「どこをどう歩いたかは覚えてないんだけど、ビルとビルの空き地にあった屋台で楽しい仮装をした人たちと酒を飲み交わした」らしい。


 しかもその仮装というのが日本の化け物、つまり妖怪というマニアックさと完成度の高さに「もうすごすぎて本物かと思った」とアルコールで潤んだ瞳で真っ直ぐ見つめてくるから毎度反応に困る。


 それからこの周辺のビルと言うビルの路地を彷徨って迷子になりながら目当ての屋台を探し出そうとしたらしいが結局見つけることはできず「また行きたいなぁ」などとぼやくものだから。


 興味本位で目についた路地に入ったのだが。


「こんなに簡単に見つかるとは」


 しかし見知らぬ仮装の人間と狭い屋台で酒を飲むという行為に全く心が惹かれないのでどうしようかと悩んでいると、目の端を小さな影が駆けて行き驚いて目を丸くする。


 ――気配も足音も無かった。


 それなのにおかっぱ頭の童女が牡丹色のちゃんちゃんこを着て屋台へと入っていく。


 慣れた様子で木の長椅子に飛び乗って座ると、草履を履いた小さな裸足をぶらぶらとさせてなにやら話している声が微かに聞こえてくる。


 よくよく見ると椅子には他に二人が腰かけており、黒い細身のスーツを着た男と体が大きいのか着古したセーターもくたびれた綿パンも着丈が全く足りていない――恐らくこちらも男――を着た後ろ姿があった。


 幼い子供がひとりで酒を出す屋台を訪れるわけがないのだから、きっとその二人のうちのひとりに親か身内がいるのだろう。


 だが女の子の座った席は一番端で、他の二人からは離れて座っている。


 もしかしたら後から保護者が来るのかもしれない。

 きっとそのために間を開けているのだろう。


 ならばもう席は空いていないのだ。


 どこかほっとしつつ左足を軸に回れ右をしようとした矢先、暖簾の端を持ち上げておかっぱの童女が「お兄さん、座らないの?」と不思議そうに尋ねてきた。


「え?」

「ここのおでん美味しいのに。食べないで帰るのもったいないよ」


 にこりと微笑む顔は小さく、誘うように手招きする指先に並ぶ桜色の爪が愛らしくて。


 ふらりと誘われるままに一歩を踏み出せば、気づいた時には椅子に腰かけてビールの入ったコップを握っていた。


「あの……一見さんはお断りでは?」


 そう言って店主に確認すると前歯の欠けた老人は「ここには縁のある者しか辿り着けませんから、そういうルールから行くと兄さんを門前払いするわけにもいかんのですわ」と少々困ったように笑う。


「はあ、そういうものなんですか」

「そういうもんなんでしょうな。兄さん嫌いなもんとか食べられないもんありますか?」

「あ、特には」


 自分の店のことなのに曖昧に片付けて、店主は濛々と温かい湯気を放つおでん用の鍋の中へと箸を入れる。


 どうやら特別に食べたいものを注文しない限りは店主のお勧めを出すシステムらしい。


 ちらりと右隣の童女の皿を見ると卵と巾着、大根とじゃがいもが入っていた。

 つゆがたっぷりと入っているのでおでんというよりも汁物のようだ。


 はむはむと頬張りながら顔を真っ赤にして食す姿は最近の都会の子供にはない純朴さがある。


「どうぞ」

「あ、どうも」


 受け取った丼の中にはスジとがんもどき、ロールキャベツと大根、昆布が盛られていた。


 どういうチョイスかは解らないがそう突飛な種ではなかったので安心して手を合わせて箸を取った。


 一通り味わい尽くして人心地着いた頃だろうか。


「兄さん、誰かからこの店のこと聞きなすったのかね?」

「はい……えっと、一年前のハロウィンの日にこの屋台で楽しいひと時を過ごしたと先輩から酔っぱらうたびに何度も聞かされて」

「ああ、その女性のことでしたら覚えていますよ」


 店主が手を打ってからあれからもう一年も経つんですねぇと感慨深げに呟いたので、やはり先輩の話に出ていた屋台で間違いないらしい。


 だが少々毒舌の河童や冷たい吐息の美しい雪女、大声で笑う布袋の仮装をした変わり者はいなかった。


「とても楽しい方でしたから、あの後みなさん寂しそうにしてましたよ」

「楽しい……?騒がしくてご迷惑をおかけしたのでは?」

「いえいえ。なかなか胆の据わったユーモアのある女性でしたよ。普通ならああはいかないでしょう」


 何故か手放しで褒められている先輩が妖怪たちから一目置かれているかのようでなんだか落ち着かない。


「しかしそうですか。あの方ではなく、あなたが呼ばれるとは」


 縁とは不思議なものですな。


 店主の言葉に椅子に座っている人たちがそれぞれの思いを胸に頷いて、その瞬間不思議な一体感が生まれたのを確かに感じた。


 その証拠に一番左端に座っているダークスーツを着た青白い顔の男がワイングラスをくいっと煽って飲み干し「最近は特に女性と縁遠くてほとほと困っているんです」と愚痴り始める。


 艶やかな黒い髪をオールバックにして清潔そうな白いYシャツに深紅の蝶ネクタイを締めたクラシカルなスーツは時代錯誤で少々冴えない。


 端正な顔立ちをしているので、女性と仲良くなりたいのならば身だしなみを整えるだけでも十分な気がする。


「ああ嘆かわしい。昨今の女性たちの奔放さは自由の表れなのでしょうが、私としては死活問題でして」

「純潔の乙女しか相手にしないとか言ってるからそんなに顔色が悪いのよ。時には妥協も必要だと思うけど」


 白濁した液体が入った湯呑を店主から受け取った童女から蔑んだような目をむけられてスーツの男は大仰に手の甲を額に当ててよろめいた。


「相手にしないのではなく、他の女性では代わりがきかないのです……」

「女の人の血が吸えないからって……トマトジュースで代用できてるのに……?」

「だまらっしゃい!この繊細な私の身体のことなどお前にはなにも解らないだろうに!」


 おどおどと反論したのは大柄の男で、事故にでもあったのか顔中に引き攣れたような傷跡が縦横無尽に残っている。

 皮膚の色や質感が部分部分で違うので、他人の皮膚を移植されたのかもしれない。


 まるでフランケンシュタインのようだ。


 そう感想を抱くと純潔の血がどうとか言っている男の唇の端からドラキュラのように鋭い牙が覗いている。

 王道のモンスター仮装なのだとしたら成程手が込んでいた。


 特殊メイクというよりもフランケンのがたいの良さや顔面の傷は違和感が無く、ドラキュラの衣装や言動も板についていて自然だ。


 作られたものといより、本物だと素直に受け入れた方が腑に落ちるほどに。


「ごめ、ごめんよう……そんなに怒らなくても、いいじゃないか」


 涙目になり体を縮めるフランケンが本気を出せば栄養失調気味のドラキュラなど敵にすらならないだろうに、生来の性格が災いしているのか怯えきっている。


「そんなにキーキー甲高い声で鳴かれたら煩くて女の人も逃げてくんじゃないの?大体あなたお世辞にもお洒落じゃないしね。今時のモテ男っぽいこのお兄さんに秘訣でも聞いたらどう?」


 急に話を振られて飲みかけのビールを吹き出しそうになる。

 童女を見下ろすと湯呑を両手で包み込んだ格好でにこりと微笑む。


「可哀想なおじさんに教えてあげて」

「え?いやいや、教えるほどのことなどなにも」

「そんなこと言わずに頼む!教えてくれ!!」


 フランケンを押しのけて身を乗り出してきたドラキュラの手が腕を必死で掴んでくるので「いや、だから、ちょっと」と逃げ腰になる。


 食い込んでくる爪や指の力が強すぎて痛い。

 かなり、痛い。


「わか、解ったから!放してください!!」

「私のなにが悪いんだ!?」

「ちょ、おっさん話聞けや!放せって言ってんだろ!いい加減、痛いわっ!!」


 久しぶりにこんなに大きな声を出したと叫んだ後でじわじわと羞恥が襲う。


 ぽかんとした顔のドラキュラと何故か自分が怒鳴られでもしたかのように泣きそうなフランケンを見ていると申し訳ないような気になり、放してもらった左腕を摩って椅子に座りなおす。


「そもそも」


 こほんっと咳払いをしてから取り繕ったが、上手くいっていないのは明らかだ。


 童女だけが湯呑をふうふう吹き冷ましつつ笑いをかみ殺しているのを横目で見ながらカウンターに頬杖を着いた。


「俺はモテないし、アドバイスは一般的なことしかできませんよ」

「……それでもいい」


 ドラキュラの哀愁を帯びた囁きは切なく、彼の孤独が浮き彫りになっているかのようで尻の穴がそわそわする。


 きっと栄養不足も深刻なのだろう。


 助言することで罪なき乙女が犠牲になるかもしれないが、飲みの席での戯言が実際になにかしらの成果をもたらすとは思えない。

 好きな女を振り向かせられない男のアドバイスなどたかが知れている。


「だいいち男性経験がある女性かどうかの見分け方なんて解らない」

「それは私の優れた嗅覚で解るので問題ありません。お近づきになるための助言が欲しいのです」

「なんだ、その羨ましい能力は」


 匂いだけで純潔かどうか解るとは。

 そんな能力があれば――いや、悪いことは考えてはいけない。


 「それほどでも」と照れているのか自慢しているのか、あるいは両方なのかドラキュラが身を捩りながらしきりに指を組み替える。


「それ!」


 すかさず指摘すると目を白黒させてフランケンが椅子から飛び上がった。

 ドラキュラの方はなにがダメだったのか分からずに困惑顔だ。


「神経質に見えるから禁止!それからくねくねするのも気持ち悪い」

「え?神経質……気持ち悪い……?」

「あと必死なのが見えるのも引かれる。おっさんは大人の余裕とか渋さとかを意識した方が絶対に女子にモテる」

「モテる!?本当に!?」

「あとは着るものと言動に注意すれば、ポテンシャルは高いんだしイケる気がする」

「おお…………!」

「あ、忘れてた。髪形も」

「おお……それもか」


 ドラキュラにしてみれば譲れない拘りなのだろう服装や髪形に駄目だしされて、ちょっとだけ気落ちしているが見た目が変わるだけで十分戦えるのは保障する。


 彼が恋敵ライバルだったら悔しいが、きっと勝てないだろう。


「ファッション誌でも読んでしっかり勉強したら百戦錬磨かもしれない」

「百戦……!?」

「あ、ちょっと言い過ぎた」

「上げて、落とすの……うまいね」


 喜びかけてがっくりと肩を落としたドラキュラを穏やかな表情で見守るフランケンは友人思いなのか。

 それともいつもやり込められている相手が一喜一憂して翻弄されているのを心の中で笑っているのか。


 一見しただけではなにも解らない。


 イケメンなのにモテたいと悩む吸血鬼。

 見た目は怖いが臆病で優しいフランケンシュタイン。

 幼い姿をしながらも大人びた言動をする童女。

 カウンターの向こうで話を黙って聞いてくれる店主。


 いわゆる化け物という括りで恐れられる対象の彼らがこんなにも人間味あふれる身近な存在だとは誰も想像していない。


 もっと残酷で。

 もっとおどろおどろしい相手だったはず。


 こいつら全部覆しやがった。

 親近感を抱かずにはいられないキャラのせいで。


「一応聞くけど、あんたらみんなそんなに友好的なわけ?」


 その瞬間空気が変わった。

 時間すら止まったに違いない。


 答えの解りきったバカな質問をしたせいで、楽しい雰囲気が台無しだ。

 友好的なわけがない。


 全ての魑魅魍魎たちが善良ならば伽噺や昔話であれほど忌み嫌われるような描写がされるはずがないのだから。


 気をつけなさい。


 闇の中には恐ろしい妖怪や化け物が息を潜めていて、身を引き裂きその血肉を啜るために舌なめずりをしているのだからと太古の昔から警告の意味で伝承として残されてきているのはそのためだ。


「残念ながら、多くの者たちは兄さんたちを餌としか見ていない」

「私も……そうだしな」


 店主が口の端を持ち上げてなんとか笑みの形を作るが、その瞳には諦念と悲しみが混在していて逆にこちらが申し訳無い気持ちになる。

 そしてドラキュラも己が生きるために美女の生き血を吸っていることを挙げてしゅんっと項垂れてしまう。


 倫理も習俗も種族も違うのだから仕方がない。


 もちろん捕食される側としては仕方がないでは片付けたくないのだが、食べるために殺される豚や牛や鳥・魚に対して罪悪感を持っているのかと問われれば「すみませんでした」と頭を下げて謝るしかない。


 ただ闇雲に殺したり、快楽のために殺害するような奴らとは彼らは違うのだということだけは伝わってくる。


「でもね。できるだけお隣さんとは仲良くしたいって思っている者たちもいるのを忘れないで」


 童女の懇願に深く頷く。


 きっとこの屋台に憩いを求める常連たちはみな同じ思いを持っている者たちなのだ。


 だから居心地がいい。

 異種である人間の自分にも。


「さあ、そろそろ帰りましょうか。美味しそうな匂いに魅かれて邪な奴らが寄ってこないうちに」


 そう言って童女がそっと小さな手を差し出してくる。


 真摯な瞳の中にその手を掴んでいないと安全に戻れないことを読み取って素直に子供の柔らかい手に自分の掌を重ねた。

 ぎゅっと握り返してくる指の細さや温かさに何故か覚えがある気がして首を傾げる。


 ずっとずっと幼い頃――そう目の前の童女とそう変わらない年の時分――に、同じように手を繋いで暗い山道を歩いた記憶が。


「あんた、まさか」


 父方の祖母の田舎は電車とバスを乗り継いで半日はかかるほど遠く、茅葺屋根の古い家が多く残る集落にあった。


 山と田んぼ、そして澄んだ川。


 都会の遊びしかしたことがなく、近所の子供たちにも相手にされなかったから父の田舎にはいい思い出が無かったがその中断トツでワーストワンの記憶が蘇る。


 一度だけカブトムシが欲しくて山の中へ行ったことがある。

 たったひとりで。


 山道から逸れなければ大丈夫だからとカブトムシがいそうな木を探して歩いた。

 うだるほどの暑さも山の中までは入ってこないのか、ひんやりとした空気と木々の匂いが爽やかで心地がいい。

 疲れも感じなかったからどんどんと先へ進み、虫かごと網を振りながらキョロキョロと見回しているうちに道を見失った。


 気づいた時にはどこも同じ景色で、自分がどっちから来たのかも解らなくなっていた。


 ボトリ。


 手の中から空っぽの虫かごが落ちた。


 ぐるぐると木々が周りを囲んで迫ってくるようで怖くなり、大声を上げながら逃げ出した。


 山を下りたのか、上がったのかも解らないほど動転して。

 歩き疲れ、泣きくたびれて座り込んだ頃にはすっかり日が暮れかけていた。


 祖母が心配して探してくれているだろう。

 だからじっと待っていれば見つけてくれる。


 膝を抱えて無音の騒々しさを必死で遮断して。


「やっと、見つけた」


 風が動いて声が聞こえた。

 でもそれは待っていた祖母のものでは無く、同じ年の女の子の声。


 目線だけを上げるとすぐ近くに夏物の浴衣に牡丹色のちゃんちゃんこを着た女の子が立っていた。


「みんな心配してるよ。帰ろう」


 差し出された桜色の掌をじっと見つめてから視線を落とすと、焦れたように女の子は強引に腕を掴んで引っ張った。


「夜の山は危ないの。ここでじっとしてたら死んじゃうよ」


 ぐいぐいと引く女の子の必死さに渋々腰を上げて疲れているのにと文句を言う。


 それに分かっていると頷いた彼女はちゃんちゃんこのポケットから大きな飴玉を出して食べるようにと促した。

 外側にザラメがついた飴玉は頬張ると口いっぱいになって唾液がどんどん出てくる。

 すごく甘くて、舌の上で転がすたびに疲れが取れた気がした。


 女の子は道を知っているのか迷いなく進み、今にも駆けださんばかりの速度で歩き続ける。

 脚を縺れさせながらなんとかついて行き、漸く見えてきた村の道にほっと息を吐くと祖母が呼ぶ声が聞こえた。


 薄暗い中に見慣れたシルエットが見えて最後の力を振り絞って駆けだすと、腕を広げた祖母に抱き留められた。


「よかった、本当に良かった。無事で……」


 顔を上げると祖母も泣いていて一緒になってわんわん泣いた。

 ここまで連れてきてくれた女の子はいつの間にかいなくなっていて、後でお礼を言わないといけないからと祖母に説明すると驚いたように押し黙った。


 口にしてはいけないことを言ったのだろうかと不安になっていると、祖母は長く息を吐き出して微笑んだ。


わらしさまが助けてくださったんだねぇ」


 ありがたやありがたやと手を擦り合わせてから祖母と共に古い家へと戻ると、長い廊下の角を牡丹色がさっと曲がって行くのが見えた。


 その時祖母から座敷童の話を聞いたが人間ではないのだと知るとなんだか怖くて、それっきり祖母の家に遊びに行かなくなったのだが。


「なんだ……また助けられたのか」


 だが祖母も他界し住んでいた古い家は人手に渡った後で解体され新しい家が建ったらしい。

 もう守る必要のない者を律儀にこうして守る童女は義理堅いというか、健気と言うか。


「どこもかしこも古い家が無くなって、良い所ないかなって探しているうちにこんな都会に流れ着いちゃった」

「そうか。童さまも大変だな」

「でしょ?でも悪いことばっかりでもないよね。こうして懐かしい再会もできたし」


 邪気なく微笑む童女の顔には苦労も悲しみもない。

 ただ純粋に再会を喜んでくれている。


「あの時は、ありがとう」


 言えなかった感謝の言葉をこうして伝えられることは嬉しいがやはり照れくさくもあった。


「いいの」


 当然のことをしただけだと軽い口調で流されて。

 幼い姿をしているが生きている時間は自分よりも余程長い。

 その分多くの出会いと別れを繰り返しているはずで。


「祖母ちゃんは最後」

「大往生だったよ。笑顔で逝ったから」


 病院で死ぬことを拒んで祖母は死の間近自宅へと戻った。

 笑顔でその時を迎えることができたのだとしたら祖母にとっては幸せだっただろう。


「そっか」


 もちろん残された方や周囲の人間はその後色々と揉めたりもしたらしいが、詳しいことは孫である自分には知らされていない。


 そもそも疎遠だったのだから関係ない話だと思っていた。

 こうして座敷童と再会しなければ祖母を思い出すこともしなかっただろう。


「今度、墓参り行こうかな」

「きっと喜ぶよ」


 思い付きを童女が賛成してくれてスケジュールを頭の中で思い浮かべる。

 できるなら早い方が良い。

 気持ちが冷める前に。


「さあ、着いたよ。ここから見えるでしょ?」


 数メートル先に賑やかで明るい通りが見える。


 多くの人が行き交う気配とネオンや街灯が照らす表通りは、ハロウィンというイベントに浮かれていつも以上に楽しげだ。


「あのさ、もう」

「会えないよ。そう何度も姿を見られたら幸運の安売りになっちゃう」


 幸運は希少価値があるからありがたがられるのだと得意げに語りながら童女はそっと手を放す。


 一歩下がった気配を感じて慌てて振り返ると険しい顔で首を振られる。

 ここから先は互いに超えてはならないのだと。


「勇気を出して伝えてみたら?」


 その思いを。

 彼女に。


 見た者に幸運をもたらすといわれる座敷童。

 その童さまが勇気を出せと言うのなら。


 きっとこの恋は叶う。


「もし駄目だったら、もう一回会って幸運の前借りさせてもらう」


 なんとかして再会の約束が欲しかったのだが、童女は唇だけで「心配しなくても大丈夫だよ」と伝えて闇の中へと姿を消した。


 あちらの世界への扉が完全に閉じたのを見届けた後で目が痛いほどに明るい通りへと向かう。


 ジャケットのポケットからスマホを取り出してアドレス帳から目当ての番号を呼び出すと思い切って通話ボタンを押した。


 一回。


 二回。


 三回。


 出るだろうか。

 痛いほどの心臓が脈打ち喉の奥がカラカラに乾燥した。


 四回、――――プツッ。


『もしもし?』


 眠たげな声が向こうから聞こえる。

 寝ていたのか、それともこれから寝ようとしていたのか。

 そんな無防備な声を他の誰にも聞かせたくない。


 だから勇気を出して。


「あの、先輩」


 出てきた路地の向こうから「頑張れ」という童さまの声援が聞こえた気がして一思いに全てをぶちまけた。






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