ジーネとヴォイド

第1話 少女は家から出たくない

 ~ドライジーネSIDE~


 歩きたくない。走りたくない。なんなら馬車に乗るために足を上げるのも嫌だ。玄関を開けるのも面倒くさい。

 荷物を担ぐのも嫌だ。財布も持ち歩きたくない。本音を言えば服を着るのも靴を履くのも面倒くさい。

 もし仕事なんかしたら、10分で死んでしまう自信がある。なので絶対に働かない。働いたら負けだと思っている。

 そんな私は、なるべくベッドと同化して生きる方法ばかりを考えて生活していた。


「ドライジーネ。起きなさい」


 母の声がする。いやいや、私はベッドと同化して生きると言ったはずだ。もし食事の時間なら、ダイニングまで行くのが面倒なので、この部屋まで運んでほしい。ベッドで寝ながら食べる。


「……ドライジーネ。あんたはもう13歳でしょ。そろそろ外へ出て働くか、もしくは家の事を手伝ってちょうだい」


「……」


 やだ。と答えるのも面倒なので、代わりに私は寝返りを打つ。ふふん。私が働くだと? そんなことするわけないことくらい、母が一番よく知っているはずだ。


「……そう。そんな態度をとるわけね」


「……」


「ドライジーネ。私は去年も同じことを貴女に言ったわね? 先月は『いい加減にしないと追い出すわよ』と言ったはずよ。先週は『やる気だけでも見せないなら実力行使に出るわ』と警告したわよね? そして昨日は『最後のチャンスよ』と宣言したわ」


「うるさいなぁ。全部覚えてるよ」


 私はついに声を出すことにした。まあ、たまに独り言くらいは喋っているし、ときどき友人が私の家に来ることはあったので、声を出すことは問題なく出来る。

 ……以前、友人が訪ねてくることさえ面倒くさくなって居留守を使い続けていたら、ついに声が出なくなったこともあったなぁ。あの時はさすがに焦ったぞ。あっはっは。

 さて、どうする母よ? 私は今日もこれからも働く気などないぞ。両親が健在のうちは齧れるスネを骨まで齧ってやる。その後のことなど知らん。考えるのも面倒くさい。

 私がベッドに籠っていると、母は大きく溜息を吐いた。その音は、まるで魂を吐き出すように重かった。今まで幾度となく聞いてきた母の溜息だが、いつもと違う感じの溜息だ。


「――それじゃ、実力行使に出るわね」


 ガタン!


 扉が大きく開かれる音がした。


「え?」


 私が驚いて寝返りを打ち直すと、そこには屈強な男たちと、父がいた。珍しく父は怖い顔をしていた。その横に並ぶ男たちも、神妙な面持ちでこちらを見ている。

 ……って、ちょっと待って。私は裸だぞ!? 年頃になった娘が服を着るのも面倒だから全裸で寝ていると言うのに、そこに見知らぬ男を呼ぶなんて何を考えているのだ!?


「いいかい、ドライジーネ。貴女はもう私の娘じゃないわ」


「え?」


「この家も貴女の家じゃない。もう貴女が寝ているベッドも、この部屋も、全部没収よ。出て行きなさい」


「え? え? ……あ、やだ」


「ぐずっても無駄よ。アンタたち。やっておしまい」


「「「へい。姉御」」」


 男たちが私の腕や脚を掴んで、無理やりベッドから引きはがす。私の細い身体は、何かにしがみつくほどのパワーも、抵抗するほどの重さもない。本気で暴れているのに、その手を振りほどくことが出来ない。


「やだ。やめて。待って! おかーさーん」


「……」



 母は、何も言わなかった。父も私を一緒に担いでいた。その目は私と目を合わせてくれず、ずっと進行方向を向いていた。

 そして、私はそのまま玄関から放り出された。硬い地面に、素肌が擦れる。痛い……

 転がったあと、すぐに私は立ち上がった。1週間ぶりくらいに両足で立ち上がると、恐怖と疲れで脚が震える。


「やだ。待って――」


 走って家に戻ろうとしたが、扉はバシンと閉められてしまった。


「じょ、冗談でしょ? 私、こんな格好で――」


 わずかに膨らんだ胸を両手で押さえて、周囲を見る。通行人は数人いて、みんなが私を奇異の目で見ていた。


「やだよ。は、恥ずかしいよぉ」


 その場にうずくまって、視線に当たる面積を少しでも小さくするために丸くなる。すると、窓がガラっと開いた。


「さすがに裸じゃかわいそうだからね。餞別だよ」


 母がワンピースと、革靴。それから頭巾だけを放り投げてくる。それから再び、窓が閉められた。


「……」


 母は、冗談でこんなことする人じゃない。つまり、私は本当に捨てられたんだ。

 そう自覚したとき、私は初めて『面倒くさい』以外の理由で、何かをする気力を失った。

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