第57話 決着

「……那由他、勝つよね」

 最早軌跡しか見えない戦闘を見詰めながら、白慈が不安げな声を漏らした。揺れる少年の言葉に、アレシスが後ろから身を乗り出す。

「どうした、白慈?」

「だって、相手は弦義の剣の師匠なんだろ? 一度も勝ったことはないって言ってて、それでも勝つんだって笑ってた。……オレなら、かたき相手にあんな風に笑えない」

 白慈は、本当の両親を野棘が原因となって喪った。以来野棘への復讐を糧に生きてきたが、弦義と出会ってその復讐を彼に預けている。

「――うわっ」

 まだ小さな拳を握り締めて食い入るように弦義を見詰めている白慈の頭を、乱暴に撫でる人物がいる。白慈が隙を見て抗議の為に顔を上げると、無表情な那由他が彼を見下ろしていた。

「那由他……」

「あいつは勝つと言った。だから、俺は弦義を信じている。……お前も、信じろ」

「那由他の言い方は、言葉が足りない」

 白慈を挟んで反対側にいる和世が、苦笑いをした。むっとした那由他の眼光が鋭くなるが、和世は慣れてしまった。

「白慈、おれたちに直接出来ることはもうない。出来るのは、弦義が勝っておれたちの所に戻って来ると信じることだけだ」

「白慈、弦義が約束を破ると思うかい?」

 和世に続いてアレシスにも問われ、白慈は間髪を入れずに首を横に振った。

「ううん。思わない」

「じゃあ、大丈夫だ」

「簡単に言うなぁ」

 その時になって初めて、白慈は自分が笑えていることに気が付いた。顔を上げれば、年上だが同い年の友人のように接する仲間たちがいる。

 だから、弦義も負けない。ここに、信じる仲間たちがいるから。

 すんなりと理解して、白慈は腹に空気を吸い込んだ。そして、吸い込んだ空気に声を乗せる。

「ぜぇったい負けんなよ、弦義!」


 傷だらけでうまく動かない体を酷使し、弦義はフッと短い息を吐く。

(勿論だ!)

 激しい攻防を繰り広げながらも、弦義の耳は白慈の叫びを拾っていた。友の願いに応えるため、腹を斬りに来た野棘の剣を身をよじって躱す。

 更によじった反動を利用して体の向きを変え、今度は野棘の腹を斬りつけた。

「うっ」

「甘いな」

 しかし浅くしか入らず、反対に背中に肘鉄を喰らった。肺の中身が押し出され、弦義は激しく咳き込む。

 思わず止まった足に、野棘の足払いが決まってしまった。

「がっ」

 受け身を取れず、肩を強か打ち付ける。反射的に身を起こそうとした直後、体の上に何かが落ちてきて圧迫する。

「の、いばら……」

「お前さえ、あの時殺していれば。そう、悔やまない日はなかった。国王も王妃も、お前以外の王子も姫も、あの時殺したのに」

 野棘は弦義を足で踏み付けながら、憎しみに満ちた目で彼を睨み据える。そのどす黒く混沌とした目の先には、弦義の心臓を狙い突き付けられた剣がある。

 銀色に輝きながらも何処か赤い影を這わす剣は、真っ直ぐに弦義の希望を砕こうとしていた。

「くっそ、どけ……」

「どくわけがないだろう。それに、これは千載一遇の好機だ」

 これで、祖国を完全に取り戻すことが出来る。

 野棘の呟きに、弦義は内心首を傾げた。

(前から思っていたけれど、こいつの言う『祖国』って何だ?)

 野棘の口ぶりからすれば、弦義の父・雪守ゆきもりが統べるアデリシア王国は彼の祖国ではないことになる。野棘が統べるアデリシア王国こそが、彼の『祖国』なのだ。

 しかし、のんびりと思考している暇はない。弦義は己の剣が手にあることを確かめ、最後の賭けをすることにした。

 肺が圧迫され、意識が時折途切れそうになる。何とか繋ぎ合わせ、弦義は剣を持つ手に力を籠めた。

 野棘が弦義を刺す直前、狙いを定めるために足の力を一瞬抜くと確信して。その一瞬で勝負は決まる。

「死ね、偽物の継承者」

「―――ッ、絶対に嫌だ!」

「なっ」

 二つの剣はほぼ同時に突き出され、すれ違う。

 野棘はまさか弦義も剣を突き出すとは思わず、わずかに軌道をぶれさせた。

「うっ」

「弦義ッ!」

 那由他の悲鳴がこだまする。

 弦義の肩に野棘の剣が突き刺さり、血が溢れ出す。気絶しそうな痛みに耐え、弦義は自分の顔に別人の血が落ちて来るのに気付いた。

 落下の起点は、野棘の胸だ。

「かっ、は……」

 ごぽり、と野棘の口から血の塊が零れ落ちる。弦義の胸元に落ちたそれは、彼の服に染み込み広がった。

 弦義の剣は、真っ直ぐに野棘の胸を貫いていたのだ。切っ先が彼の背中から出て、刃を伝って赤い液体が落ちて来る。

「の、いばら……」

「ここまで、か。我が夢は……」

 自嘲するように口を歪め、野棘は弦義に剣を抜けと命じた。

 ずるり。剣という支えを失った野棘の体は、重力に従ってその場に崩れ落ちる。弦義が支えようとしたが、飛び出してきた那由他に止められた。

「最期の力で殺されたら、承知しないぞ……」

「ごめん、那由他」

 己の浅はかな行動を謝罪し、弦義は力なく横たわる野棘を見下ろした。どくどくと絶え間なく流れ出る血が湖を作り、弦義たちの足元を濡らす。

 那由他を追って客席から跳び下りて来た白慈たちが、野棘を囲んだ。

 じゃり、と音をたて、白慈が野棘の眼前に移動する。青を通り越して白に変わりつつある野棘の顔を見下ろし、感情のない声で尋ねた。

「お前、颯希さつきという家具職人に覚えはないか?」

「さつ、きだと……」

 ひび割れた野棘の言葉に、白慈は「そうだ」と頷く。

「お前のせいで死んだ、オレの父さんの名だ」

「……知らんな」

「――そうか」

 顔を歪め、拳を震わせる白慈。彼の肩を抱き、和世はかつて国の王となった男を見詰めた。

「お前は、王の器ではない。王とは、恨みで民を殺さぬ者だ。幼い子を悲しませない者だ。その点において、お前は既に王たる資格を失っている」

「……私が目指した古き国は、何処にあるのか」

 意識が朦朧としているのか、既に野棘の言葉は要領を得ない。じわじわと死が近付く中で、光を失いかけている瞳が、ふとそこに弦義を映した。

「野棘……」

「強く、なりましたね。殿下……」

「野棘、何故だッ」

 野棘が最期に見せたのは、弦義の師匠としての顔だった。

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