第47話 変化する想い

 同じ頃、那由他は千寿に誘われて王城の一角に来ていた。王城の中でもとりわけ清浄な場所だと説明を受け、戸を開けてもらう。

 ――ぴちょん。

 何処からか、水音がした。巨大な噴水が部屋の中央に配置され、水面に幾つもの波紋が描かれる。静謐と言う言葉がしっくりとくる空間に入るよう促され、那由他は困惑しつつも一歩足を踏み入れた。

「――っ」

 ピリッと静電気のようなかすかな痛みが那由他の首筋を襲い、消える。驚き目を瞬かせた那由他は、閉じられた戸を背にしてぐるりと部屋を見渡した。

「お前か、俺を呼んだのは?」

「……来て、くれた。約束を守ってくれてありがとう、那由他」

「常磐か」

 那由他が少女の名を呼ぶと、噴水の裏から姿を見せた常磐はふわりと微笑んだ。巫女装束の赤い袴が柔らかく揺れる。

「よかった。覚えていてくれたんだ」

「簡単に忘れるほど、俺の記憶力は弱くない。それに、あの約束と少し状況が違う」

 常磐は那由他に「会いに来て欲しい」と言ったが、現状では「那由他が常磐に呼ばれて来た」ことになる。細かい話だが。

 突き放すような物言いをしつつも、那由他は動けない。何故か、常磐という少女から目を離せないでいた。

 やがて、那由他の前に常磐が立つ。二人は身長差があるため、常磐は那由他を見上げた。そっと手を伸ばし、戸惑いを隠せていない青年の頬に触れた。

 カッと顔に熱が集まり、那由他は顔を背けそうになった。しかし、呑み込まれそうな程深い常磐の瞳に魅入られて押し留める。

「何の真似だ」

「確かめたかったの。那由他が、どんな風に変わったのか」

 変わったね、と常磐は口にした。喜びを声に乗せて、満面の笑みを浮かべて。

「変わった、のか?」

「変わったよ。……きっと今のあなたなら、弦義殿下を助けて立派な国を造ることが出来る」

「そうか」

「うん」

 短い言葉の交わし合いだが、二人にはそれだけで十分伝わった。

 常磐は那由他の頬から手を離すと、数歩彼から離れた。背を向けたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「前に、わたしは厄介払いで社の巫女を務めているって話したよね」

「ああ」

「……わたしには兄と姉がいるの。兄は頭脳明晰で武器の扱いにも長け、姉は美人で手先が器用で話し上手で聞き上手。それから兄と同じように頭も良い。わたしは……」

 そこで、常磐は口を閉じる。迷いを見せ、それでも意を決して言葉を繋げた。彼女が逡巡する間、那由他はただ黙って待つ。

「……わたしは、頭は平均的だし人と話すことがとても得意というわけでもない。武器が扱えるわけでもなくて、美人でもない。だからか、幼い頃から比べられて育ったんだ。『お前の唯一の取り得はその神力だから、巫女として国に仕えてくれ』と父は言った。体の良い厄介払いをして、兄と姉はそれぞれの場所で活躍してる」

「……」

 黙ったままの那由他の視線に耐え切れず、常磐は「愚痴ってごめんなさい」と無理をして微笑んだ。そして、噴水を背にしてくるりと振り返る。

「ここ、凄いでしょう? この国で最も神さまに近付ける神域だって言われる場所なんだ。わたしは月に一度、ここで創造神への祈りを―――っ!」

 空元気を出して話していた常磐の言葉が途切れる。瞬きを繰り返し、自分に何が起こったのかを理解しようとする。しかし理解したらしたで、大きく胸の奥が跳ね上がるのを止めることは出来ない。耳元に心臓があるように感じられる。

 今、常磐は那由他に抱き締められていた。

「な、な、なゆたぁっ」

「……何か、こうしたかった」

 那由他は常磐の耳元でそう囁くと、もう一度だけ腕の力を強めた。

 自分がどうして華奢な巫女姫の体を抱き締めたくなったのか、那由他はわかっていない。ただいなくなりそうだと感じて、消えるのを防ぎたいという気持ちがあった。

「お前は何故か、儚く見える。消えてしまいそうで、怖い」

「那由他……」

「常磐も、弦義も、俺は失いたくない。二度と、失いたくない」

「……」

 那由他が言う「二度と」とは、彼の父のことであり、彼の元となった夏優咫のことだ。二人は那由他の前から消え、姿を現さない。同じように離れてしまわないでくれ、と那由他は言うのだ。

 那由他の切なさすらも帯びた声が、常磐の心をきゅっと締め付ける。

「大丈夫、いなくなったりしない」

 常磐は那由他を抱き締め返し、諭すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。自分が要らない存在なのではないかと悩んだこともあったが、今は護りたい大切なものを見付けた。

「あなたともう一度会えるまで、待ってる。――次に会った時、伝えたいことがあるから」

「……ありがとう。俺も、覚悟を決めておく」

 透明な日の光が、大きな窓を通して室内へも入り込む。その優しい光の中、不器用な笑みを浮かべて常磐と約束を交わす那由他の姿があった。


 海里との打ち合わせを終えた頃には、日が傾きかけていた。弦義たちは海里の厚意を受け、一晩の宿を王城に貰った。

「弦義、和世は?」

 豪勢な夕食を頂き、汗を流した後。ラフな格好をした那由他が尋ねた。

 時刻は二十時を過ぎ、白慈が船を漕いでいる。彼をベッドに寝かせ、弦義は首を横に振った。

「何処に行ったかは知らない。だけど、海里陛下の側近を名乗る人が呼びに来たから、陛下に呼ばれたんじゃないかな」

「……今更、和世に戻って来いとでも言うつもりか?」

「まさか。僕らは、彼が帰って来るのを待つだけだ」

 弦義は渋面を作る那由他に微笑みかけると、ふと聞こえて来た音楽に耳を傾ける。那由他と共に目を向けると、窓枠に腰掛けたアレシスがハープを弾いていた。

 旋律は何処か、異国を思わせる。ゆっくりとしたテンポを刻み、嵐の前の静けさを象徴するかのようだ。

「変わったね、音」

 月光に照らされた金髪が揺れた。少し目を見張ったアレシスは、傍に歩み寄って来た弦義を見詰め、照れくさそうに微笑む。

「そうかな? ……だとしたら、その変化は良い方向のもの?」

「勿論。アレシスの心が透けて見えるような、美しい曲だと思う」

「弦義にそう言われるなら、よかった」

 アレシスは、弦義と出会った直後に音をけなされている。弦義はけなしたつもりはないが、嘘のない音を奏でるためにアレシスが密かに努力してきたことは事実だ。

 嬉しそうに頬を緩めたアレシスは、再びハープを弾く。今度は穏やかで月夜に合う、子守唄だった。

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