第41話 弦義と桜花
弦義はふと見惚れていた自分に気付き、我に返った。国王の親族ということは、身分を失った自分等足元にも及ばない高貴な人ということになる。
「桜花様、こちらこそ不躾に申し訳ありません。お邪魔を致しました。明日まではこちらに居りますので、またお会いした際は宜しく……」
お願い致します。その挨拶を機に、弦義はその場を立ち去るつもりだった。しかし桜花は、彼の言葉を最後まで言わせない。
「弦義様のお話は、ルーバルクから聞いております。あなたは、アデリシアの特別な身分にある方だと。ですから、もう少し気安く話して下さって構いません」
「そうおっしゃって……いや、言ってもらえるのなら嬉しいです」
「そうではなく……。お仲間と話すように話してくれませんか?」
ここは、夜の世界ですから。桜花はそう言うと、片目を瞑ってみせた。
「わたしの言葉遣いは癖ですから、お気になさらず。眠くないのでしたら、少しだけ雑談に付き合って下さい」
「……僕でよければ」
「あなたが良いんです」
桜花は音もなく足を踏み出すと、ベンチに腰掛けた。読みかけの本を膝に乗せ、弦義に隣へ座るよう促す。
何故か胸の奥に緊張を抱えながら、弦義はその意味も知らずに腰掛けた。
「何を、読んでいたんだ?」
「政治に関する本を。この作者の書く文章は読みやすくて、初心者でも理解しやすくて……」
書籍全般を読むことが好きだという桜花は、手元にある本のことのみならず、文化や歴史、果てはファンタジーや恋愛小説に至るまで、好きな本のことを話した。それは弦義が口を挟む暇もないほどの熱心さだったが、弦義は彼女の楽しそうな声を聞いているのが心地よかった。
「―――っ、ごめんなさい! わたしばかり話してしまって。いつもは自重しているのに」
「そんなこと……」
「いつも、こうなんです」
しょんぼりと肩を落とした桜花は、ぽつぽつと自分の失敗談について話した。本が好き過ぎて、相手が辟易しているのに気付かず話し続けてしまい呆れ怒らせたこと。相手が社交辞令として「是非ご一緒に」と言ったのを額面通りに受け取り、実は嫌がられていたのに気付かず美術館に引っ張って行ったこと。
桜花が話すエピソードは、何故か弦義の胸を締め付けた。心から悲しそうに話す桜花の潤む目を見ていられず、そっと手を伸ばす。
「―――っ、あのっ」
「あなたは、一生懸命な人だ。空回りしてしまうのも、真っ直ぐに向き合い過ぎた結果だろう。それに……僕はとても楽しい」
「本当、ですか?」
「ああ。だから僕には……って、ごめん!」
桜花の顔が間近にあり、弦義は自分が何をしていたのかに気付いて赤面した。何を思ったか、無意識に桜花を抱き寄せていたのだ。両手を離し、桜花に頭を下げる。
目を瞬かせていた桜花も、徐々に頬を赤らめる。しかし、頭を下げたままの弦義は気付かない。小さく息を吸い、桜花はそっと弦義の肩に触れた。
「ありがとう、ございます。弦義殿下」
桜花が顔を上げて欲しいと頼むと、弦義はようやく彼女と目線の位置を同じにした。まだお互いに顔に赤みがあるが、桜花は心からの気持ちを言葉にする。
「こんな風に、わたしの話を聞いてくれる人は今まで一人もいませんでした。それも、楽しそうに。……あなたに逢えて、よかった」
「桜花どの……」
「わたしのことは、『桜花』とお呼びください。あの、宜しければ……わたしとお友だちになってはもらえませんか?」
「……僕は、祖国を追われた者だ。しかもこれから、奪還のために戦いに行く。そんな穢れた者が、あなたのような人の傍にいて良いはずがない」
「そんなことはありません!」
間近で叫ばれ、弦義は驚いて目を丸くした。桜花も自分の声に驚いていたが、勢いのままに首を横に振る。
「あなたは、わたしの友です。一緒にいて、とても幸せな気持ちになります。例えあなたが何度も血を被り傷を受けて戦うというのなら、わたしはあなたの無事を願い、帰る場所になります」
自分が告白まがいの言葉を口にしているとは思いもせず、桜花は言い切った。肩で息をする彼女に、弦義は本当に嬉しそうな笑みを見せる。
「桜花……ありがとう」
「っ、はい」
弦義の差し出した手を取り、桜花も微笑む。
「明日の決闘、勝利を祈っています」
「良いのか、伊斗也陛下の勝利ではなくて?」
「だって……いえ。陛下は大丈夫ですから」
言葉を濁し、桜花は微笑む。訝しく思いながらも、弦義は彼女の応援を素直に受け取ることにした。
「そっか、ありがとう」
月を見上げれば、夜半を示す位置に来ている。弦義と桜花は別れを告げ合うと、それぞれの部屋へと戻って行った。
同じ頃、伊斗也は自室で本を読んでいた。仕事は日のあるうちに全て片付けたが、今度赴く国について知識を深めなくてはならない。
月明かりの下で、淡い照明をつけて熟読していた。その時、滅多にない人の気配が戸の向こうにあった。
トントントン。控えめに叩く音に対し、伊斗也は「どうぞ」と促す。何とはなしに、誰が来たのかは察していた。
「失礼致します、伊斗也王」
「あなたか、勇どの。して、何か用事が?」
「ええ。……とても、大切な。決闘の前に是非お話しておきたいのです」
「聴こう」
勇を客用のソファーに座るよう促し、伊斗也は自分もその向かい側に腰を下ろした。硝子の水差しから水を注ぎ、勇に差し出した。
「有難く頂戴します」
「それほど畏まらなくても良い。あなたは、アデリシア王国からの客人だ」
そのセリフは言外に、勇の用事が弦義に関することだとわかっていると言っているようなものだ。伊斗也の言葉に頷き、勇は水をあおった。
月夜が更けていく。それぞれの場所で、
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